見出し画像

貝の火

 自動ドアが開くと、こちらに向かってくる秋の風。空はうっすらと翳りはじめており、遠くの方で橙色が燃えている。霧のようにぼんやりとした空気を縫って帰る。赤信号で停止したときにふと頬を触ってみると、皮脂で汚れているのに気がついた。

 帰ってきてから眠りにつくまで、ほとんど頭を使うことがない。労働で疲れた身体が脳に抑制を与えているのかもしれない。感情の起伏もさほど起こらず、静かな毎日が間延びしてつづいている。さびしくて熱い涙をこぼすこともないし、震えるほどの怒りを覚えることもない。風はずっと穏やかで、枕元に積み上がる本はだんだんくだらないものばかりになる。本当は、さびしく感じてるのだろうか。本当は、部屋を飛び出して町中に当たり散らしたいほど怒っているのだろうか。考えはじめてもすべてが無機質になる。

 ついこの間、大学時代の友人と久しぶりに会って遊んだ。レンタカーを借りて海を見に行ったり、中華料理店でテイクアウトしたご飯を分け合って食べたりして、あっという間に一日が過ぎていったし、すぐにお別れを言わなければならなくなった。高速バスに乗り込んでこちらに手を振っている友だち。その姿がだんだん小さくなって夜の中に溶けこんでも、不思議とさびしくはなかった。予約していたホテルにチェックインして、ふかふかのベッドに身体を預けた。楽しい思い出だけが浮かんできた。前なら確実に感傷的な気分に浸っていたはずなのに、いまはテレビを点けてドラマをぼんやり眺めている。それから、ケトルに入っている白湯をゆっくり飲んで眠った。

 さびしいという気持ちが心から離れて、友だちのことを頻繁に考えることがなくなった。今年の春、大学を卒業して間もない頃は、どうせ彼らとの仲も自然と疎かになるのだろうと思ってひどく落ち込み、彼らのいろいろに執着してしまった。しかし、いつの頃からか、友だちに(わかりやすい形で)依存しなくても生活することができるようになった。ただ、本当にそれでいいのか、よくわからない。僕はずっと、孤独感というものを流行病のように考えていたけど、いまでは夕日のように懐かしい。

 コーヒーを淹れて飲む。歯磨きを済ませて、布団の中に入る。読みかけの本を手に取ってページを捲るけれど、さして面白く感じられず、すぐに本の山に返す。明かりを消して瞳をとじれば、見慣れた顔の朝がやって来る。