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pale blue

 助手席に座りながら、左側の暗闇をぼんやり眺めていた。もっと早い時刻であれば、窓辺から海が見えたのだろうが、いまは黒の濃淡が平面に浮かんでいるだけだ。

 僕はずっと、心の内にある思いを口にしたかった。しかし、ずっと喉のあたりでとどまって、大事な部分が声にならないから、ぎこちなく沈黙してしまう。気まずさでつい笑いが漏れる。運転している相手は、僕がたどたどしく話す内容からだんだん察しはじめたのだろう、呆れるように微笑みながら「別に来週でもいいよ」と言った。この思いを伝えるのは、また次の機会にするべきなのか。その話し方や態度から、相手も僕と同じ気持ちなのだと感じることができたけれど、それでも僕はためらっていた。

 いま、彼女との関係は「友情」に当たるけれど、僕の一言で「恋愛」に変われば、僕自身も変わってしまうような気がした。恋愛につきまとうイメージ。僕の頭の中に刷り込まれた、異性愛の物語にみられる伝統的なジェンダー観。僕はいままで「男らしさ」から逃れようとしていたけれど、恋愛をすることで気づかないうちに「彼氏らしさ」の服を着せられるのではないか。そして、相手にも「彼女らしさ」を強いるようになってしまうのではないか。そうした変化が、いまの関係にある心地よさを破壊するのであれば、この思いにはそっと蓋をしたほうがいいはずだ。

 車は夜の道を走り続けた。僕は、ポケットから「好き」の言葉を取り出しては元に戻したりを繰りかえしていた。これだけ恋愛の恐ろしさを認識していても、なぜか捨てることはできず、掌であたためていた。信号が赤に変わって、車は停止し、短い静寂がうまれた。迂闊だった。僕の指の隙間から、その言葉がするりと抜けて、沈黙を破ってしまった。でも、どうしても言いたかった。その理由を僕はここで説明したいと思った。ただ、無責任だと思われるかもしれないけれど、いまでもその輪郭は曖昧で抽象的だった。ほとんど衝動に近かった。

 僕は、ずっと心の中にあった(なんなら今でもある)葛藤を彼女に打ち明けた。彼女は前を見つめたまま、今のこの感じ、今の君のままでいいのだと言ってくれた。そこでふいに気づいたことがある。友愛か恋愛か、そのパッケージが変わったとしても、その内実はつまるところ、人と人の関わり合いであり、そのつながりを維持しようとする営みでしかない。では、僕はなぜ恋愛をするのだろう。その答えはいまも用意できていなくて、夜中に布団の中で延々と考えてみるけれど結論には至らない。

 僕は、「有害な男らしさ」から逃れたい。青色から水色へ、それから別の色へと転じたい。そうした試みのどこかで、なぜ恋愛をするのか、自分なりの答えがなにか見出せたなら、僕は嬉しい。