椿

 有給休暇をとって、いまコメダ珈琲店でこの文章を考えている。まだゆとりのある正午過ぎ、自分がこうしてのびのびと寛いでいる一方で、ほかの同僚は働いているのだと考えると、妙に気持ちがいい。

 大学を卒業して、ほぼ一年が経つ。変わったことはいろいろあるけれど、その一つに母との買い物が思い浮かぶ。それまでは気恥ずかしくて、二人で外に出る機会を作ろうとしてこなかった。ただ最近は、二日に一回ぐらいの頻度で近所のスーパーまで歩いて行く。夕食をおえてから外出するので、辺りはもう暗くなっていて、人通りの少ない静かな道を喋りながら歩く。途中、野良猫がいる駐車場があり、彼らに話しかけては毎度そっけない態度をとられる。スーパーが光を放っている。お馴染みの場所なのに、初めて訪れたかのようにぐるぐると巡ってからお会計を済ませる。大体三十分ぐらいの外出ではあるけれど、僕にとっては意味がある。

 窓の向こうで街路樹の葉がかさかさと揺れる。今日は一段と風が強い。どれだけ服を着込んだとしても、必ず隙間を狙って冷たい空気が入りこんでくる。まだ寒さは厳しいが、だんだんと日の暮れるのが遅くなっている気もして、かすかな春の気配を見る。

 いまの仕事や実家での暮らし、そして母との外出は、いつか終わってしまうものだ。グラスの氷が溶けてカランと音がする。いつも仕事で疲れて眠るから、それほど悲嘆に暮れることもなく、ただ素直にその事実を眺めているけれど、いざ変化を要求されるときが来れば、かなり精神を疲弊させるだろう。家の扉をあけ、母と夜の風を受けながら、いまのゆるい幸せがずっと続けばいいのになあと、ふと思うときがある。「季節はいつか移り変わる」と頭では理解しているつもりだ。しかし、日々の営みを終えて布団の中で目をつむるとき、ぼんやりと、また同じ朝が来ることを信じている。

 心の中に椿がある。いつの日か、花は首ごと落ちてしまう。また壊れながら走りつづける季節が来るのだろうか、いやだ、嫌だ、ずっと安心の中で暮らしていきたいのに、何度も苦しみの方へ巻き戻されながら、途切れとぎれの幸せを歩いていくしかないのか。グラスの水を飲み干して席を立つ。外はまだ明るくて、冬の風が吹いている。