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魚影の群れ

 暮れかかる町を車は泳いでいた。七時半をすぎていても、外はまだ明るさを残しているし、冷房の風を押しのけて熱気が肌に張りついてくる。あついなあと呟きながら、僕は助手席にからだを預け、平日の疲れを少し眠らせる。

 ふと、この車が魚のように感じられた。瞳は二つ揃っている。まっすぐ前を捉える右眼と、よそ見ばかりする左眼。翳りゆく空気をかき分けて、いろんな魚たちが巣へと戻っていく。その営みを窓から眺めてみる。今日は嫌なニュースがあった。ネットを開けても痛々しくて、憂鬱で、息切れしそうだった。だからこそ、そんな自分にとって黄昏はやさしかった。流れる風景を懸命に目にとどめようとする。人びとがファミレスで食事をしたり、買い物をして帰ったりする姿に、なぜか安らぎを覚えて嬉しくなった。

 暗い海中を車は走りつづける。どこか特別な場所へ行かなくても、ただ車に揺られながら言葉を交わすだけで心がほぐされるようだった。夜の静けさに、ついなんでも話したくなり、また爪を噛むことが増えたとか、眠る前に消えたい気持ちに襲われるとか、あんまり皆に言えないことまで声に出す。なにか助言を期待しているわけではない。明るくない話題に耳を傾けてくれる相手がいるということ自体が有難くて、もう少し助手席に寄りかかりたいと思う。そうして夜が深まっていく。

 途中でミニストップに寄って、白くまアイスとXフライドポテトを買った。冷房のきいた車内で小腹を満たしながら、目に止まったあれこれに対してくだらないことを言い合う。部活帰りの高校生を「青春だなあ」と羨ましがり、ミニストップを背景に自撮りをする二人組に微笑んだりする。ふと気づくと時間は九時をまわっていて、だんだん心細さが顔を出す。会ってもいいのは夜の十時までと決められており、仕事で毎日顔を合わせるものの、やっぱり別れはさみしかった。

 いつからか、毎週金曜日にはドライブすることが当たり前になった。その新しい習慣は、徒労感が募る日々のよすがになり、僕を助けてくれている。今でもときどき不思議に思う。なぜ僕のことを好きでいてくれるのだろう。君に尋ねてみるとそれはお互い様だと言った。君の車が、僕から離れてだんだん小さくなり、消えていくまで見つめていた。僕は、文章にならないような会話や、つないだときの手の温度などを、多分に愛おしく感じている。それらができるだけ長く続いてほしいと願っている。また会える日を心待ちにしている。