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中篇小説『リヴァース・ショット』連載第7回 ★切り返しショットの一方には別の人生、人生の意味が広がる。俊輔にとってのミナミとは別の横顔をとらえるショットが ある。

奈良俊輔の代わりに 


ある男が 千九百九十九年の 五月七日、仙台に向かって新幹線に乗る。 

その男が 誰であるかは 奈良は勿論知らない。しかし その男は 奈良が書いた『ありきたりのポルノグラフィ』のモデルとなったあの ミナミという源氏名の女に会うために仙台に向かったのである。

とはいえ。その男が ミナミという名を知りはしない。その男は その女性をもっと別の名前で呼ぶ。ミナミが 別の名前で送ってきた人生に その男は 深く関わっているからである。

彼は 大男のわりに顔が小さく、浅黒く日焼けしたその顔には 五月人形のような 太くてまるで筆で描いたような立派な眉が凛々しい鼻筋に向かって二本左右対称に並んでいる。鼻筋はまっすぐ通っていて、がっちりとした外観とは正反対に 繊細でどこか女性的な柔らかな線で輪郭を描いていた。伏目勝ちな両の目ははっきりとした二重瞼に長く黒い睫毛をたたえ 時折見せる鋭い視線を放つ緑がかった黒目を所有しているとは想像できない。濃い髭を物語る青々とした頬から鼻の下、そして顎。少年のあどけなさを残している唇は 浅黒い皮膚と青々とした髭の剃り跡に対比してどこか痛ましい。

膝の上に乗せたペット専用のバスケットの中にいる猫?に語りかける時見せる優しい表情は 居合わせた者の視線を集めずにいられない。六尺豊かな身丈夫に似合わぬ甲高い声とその異常な程に優しい顔つき、唇から零れる白い歯並の綺麗さは 異彩を放って憚らなかった。身に付けている服は 坊主頭に不釣合いでもあり、その坊主刈りのヘアースタイルの中に、白いものが チラホラ目立てば この男が 実際四十歳なのだろうと見当をつけさせる。

よれよれのコットンパンツにフードの付いたのヨットパーカーは、グレイの木綿地で、タートルネックの紺色のセーターが 季節に合わぬ 上質のホワイトカシミアである。足元も妙に都会を歩くには重装備すぎる登山用のブーツだった。彼の座る席の網棚(荷物置き場)には 日本では余りお目にかかれない、あるイタリアのブランド製の特注物で、一見ズタブクロ的旅行鞄だった。余程そのブランドのファンでない限りそれがそのブランドの特注物であることは 判らない。有名なマークが ほんの小さくサイドジッパーの横についているだけなのだ。概ね日本でそのブランドものを持つ者は その有名なマークをでかでかとあしらった、既製品をこれみよがしに持ちたがる。

異彩を自然と放つこの年齢不詳の大男は どちらかと言えば貧乏人に見える。そんなイタリアの有名なブランドに直接特注しなければ持ちえない鞄を持ち歩く金持ちには 一見しただけでは 認識不可能である。そして彼はどこか浮世離れしている雰囲気が漂っていた。何がそれ程嬉しいのかと尋ねたくなるような微笑を絶やさないし、乗務員や車内販売員が傍を通り抜けるたびに 軽く会釈をする様は 上品でもあるが 得体が知れない感じでもある。時折、膝の上のバスケットに入れられた猫を励ましてるらしく 妙な(一方的な)会話を彼の近辺に座った者たちは 耳にした。

「もう少しの辛抱だからね。ゲーテ。 君は電車に酔う体質?そうか それは申し訳ない。」

もしもこの内容を奈良が耳にしたら 

おそらく彼に近づいてこう訊いただろう

「その猫の名前 ゲーテというのですか?」と。

そしてそれを確認したら、奈良は 岡井事務所の西城栄一に電話で知らせただろう。しかしその列車に奈良は乗っていなかった。西城はその頃、ゲーテは門前仲町か木場あたりにいると思っている。まさか その猫が 仙台に向かっているとは 予想だにしていないのである。

宇宙とはそういう風にして動いているものなのだ。


そして 仙台市からバスで二十分程北に向かった外輪山の懐に抱かれて、農家が点在するある村に 一本の古くて背の高い辛夷の木が立っていた。その枝枝には 漸く青い新芽が吹き出そうとしている。めじろの番(つがい)がいい声で鳴いている。しかし その木の下では 押し殺すような人間の泣き声が 黒い大地に染入るように低く畝(うね)っていた。辛夷の木に隣接するように建てられた、真四角なコンテナハウスの中から その泣き声は 洩れている。

雪深い土地で その矩形なるコンテナハウスが適宜な仕様とは思えない。

それほど裕福な農家や際立った造りの家並みも 無い、

いたって見るべき建物もない、仙台市の外れにあるこの村に 数年前忽然と現れたコンテナハウスに 関東地方から三十前後の独身女が引っ越して来た事を村の人々は 知っている。

彼女は取り立てて住人から除け者扱いされている訳でもないが、かといって懇意に付き合いをしている家が あるわけでもない。

プロパンガスのボンベが外に剥き出しに横付けされ、雪を下ろす為の屋根にかかっている梯子が 疲れきって呆然と矩形の家に凭れている。

その中から洩れてくる、うめくような泣き声は枕に顔を埋めている、その家の主、ミナミこと丸山和子のものである。近所の者が 

其処を通りかかれば、流石に都会とは違って何があったかと戸の一つでも叩いただろう。

しかし 古い辛夷の大木と番(つがい)のめじろだけがその人間の泣き声を聴いていた。風の歌の伴奏程度に・・・・。

近隣の住人が 彼女が七尾会のミナミであることなど思いもつかない。丸山和子なる独身女は 生命保険のセールスレディをしているとか、週に三日は ショッピングセンターでレジを打っているということは 周知であった。実際、彼女は そのとおり仕事をし、女一人、日々を過ごしているのであるが、生命保険の契約取りでは 地縁のない女に 歩合制給与システムの仕事は都会と違ってそれだけに頼って暮らしていくのは困難であった。無論 ショッピングセンターのレジ係りだけでも そう容易ではない。そしてその棲家、暮らし振りは 派手ではない。コンテナハウスの内は 外観のみすぼらしさに等しい、殺風景さである。ベッドも、鏡台も、衣装ダンスも 特売品か出来合い物の最低価格品に違いない物ばかりであるし、生命保険のセールスレディとして着用する服もブランド品など一つもない。出来得る限り最小限の衣料が 女性として生きていくごく普通の欲求すら感じることができないような ストイックさでその部屋に存在している。単身者向けの小さな冷蔵庫にも 最小限の食料品が入っているだけだ。流し台の上にある、戸棚には 廉いウイスキーのボトルが置いてある。冷蔵庫にも ロング缶のビールはいつも買い置きがしてある。小さな浴室のヘアー・リンスが数日きれていていることがあっても、ウイスキーとビールが数日の間存在しないということは ありえないだろう。とはいえ、彼女はアルコール中毒ではない。彼女の呑む酒とは 

たとえば こうだ。

晩御飯、スーパーマーケットの惣菜売り場で売れ残った天婦羅を醤油とみりんで煮直したのを主菜に 漬物や味噌汁を並べて 話す相手もなく、テレビをボンヤリ眺めながら、ウイスキーを晩酌にする。グラスに二センチぐらい入れて ゆっくり呑むのだ。夏ならビールも。冬のビールは 風呂上がりと雪かきの後に呑まずにはいられない。

そんな彼女が 七尾会で ミナミという源氏名を持って、見知らぬ男と寝る理由は

そうしないと暮らしていけないからである。

三十四歳の独身女。しかし彼女は 既に一度結婚していた。数年前 このコンテナハウスに住まうようになる前には、六年程東京郊外にある精神病院の入院患者であった。結婚生活は その前四年間、九州地方の県会議員の妻としての生活があった。

そして彼女は実の両親を知らない。三歳の時に捨てられた。丸山和子という名前は 捨て子であった彼女を引き取った丸山三代という女性の養女になることで得た名前だ。


今、泣き崩れる丸山和子は 丸山三代から届いた手紙に顔を埋めていた。精神分裂症から漸く回復をしていたが、感情の爆発は 時として失神状態を招聘する。その方が 安全でもあった。トランキライザーを彼女は 素早く服用したかもしれない。近隣の住人は 丸山和子のそんな素性を 一切知らない。

トランキライザーの処方箋を以前入院していた担当医の厚意と指示で毎月送って貰い、

念のためビールやウイスキーと同じように 彼女の生活には その薬が そっと身近に常備されていた。

呼吸困難の症状などはなかった。パニックによる胃痙攣や 四肢の痙攣は 多少あった。涙で重くなった両目は 閉じきっていない。震える手に収まった手紙には 丸山三代という彼女の育ての母親の癖のある古風な筆跡が 戦慄(わなな)いていた。



丸山三代からの手紙

 前略 和子様

お元気ですか。今月も相変わらずの仕送りしかできませんこと誠に申し訳ございません。

あなたが 見知らぬ土地で 女一人どうやって暮らしているだろうかと思うと 全くやりきれない気持ちです。世間は 不況で 小田原の攖寧社は寧ろ大忙しですが、天もなかなか明るいお示しをされません。それでも先行きの見えない世情ですから 攖寧社にすがる方々は 増えるばかりです。しかし あなたもご存知のごとく 伊勢茶道東京部会が 抱える負債は 相当なもの。攖寧社に来られる政治家や大企業の経営者の方々が 多いから なんとか表向きには ならずに、処置はされていますが、いよいよ小田原での私の手元に自由になるお金は無いも同然…。攖寧社への御喜捨は 右から左と東京部会の負債返済に廻されています。

八十二にもなると 季咸のおつとめも中々身に堪え、天のお声を一度降ろしたら、もう翌日の朝まで 気を失ったままという事がしばしばです。芳仙のあなたが 居てくれたらと 大宗師様も時折 私の枕辺に見舞いながら溜息交じりにそう云います。あなたの後に芳仙を勤まる者は 天に御伺いしてもなんのお答えもございません。早雲公によって開かれ、再び駿府大御所家康公の沙汰により、

この小田原で伊勢流茶道を表向きに 幾度も絶えはつる危機に出会わせては、現、十七代大宗師様まで続いてきた攖寧社も 季咸の筋が絶えては 如何ともしがたきこと。そしてさらに尊院様の行く方は 未だに知れず。

天に尋ねども ただ今は 及ばず、憂い心配する莫れの一点張り。

ここ数年尊院様の茶杓が 世に高く評判を取って、伊勢流茶道の面目をまさに立直さんとしていただけに 

天が お隠しあそばされる御意図が 判りません。しかし 尊院様は 必ずご無事で 

いつしかひょっこりと 和ちゃん あなたの元に現れると信じていますよ。あなたの居場所を尊院様は ご存じないけれど、子供ではない。尊院様は あなたのことを 幾度も尋ねようとされていたのを私も知っている。宮崎にあなたが嫁いだ直後にも、あなたが入院した時も 尊院様は 大宗師様とお母様と大層な喧嘩をされてはその都度 行方を眩ませた。その都度私はあなたのところへ きっと 尊院様は 行っているに違いないと思っていました。しかしあの方は 十八代大宗師様たる修行を一心腐乱に積まれ、攖寧社と伊勢流茶道の行く末を担われる硬い決意を内に静かに、攖寧たる氣を湛えておられました。

 ただただ和のことが憐れでならない

尊院様は 私にだけ 本意のままにそういわれた。和ちゃんが 宮崎で神経を患って東京部会の方で無理矢理病院へ移したことなど尊院様には お見通しだったかもしれない。

誰に問い質した様子もない。無論私が 話すことなどできようもない。心の内では尊院様に『和子は実は今』と叫んでいたけれど。

三歳の時、あなたが 湯河原の伊勢家で拾われなかったら、そしてあなたに季咸を果たし得る霊媒の体質がそれほどまでに抜きん出ていなかったら、私は あなたにこんな悲しい手紙を書いてはいなかったかしら。 

あなたの母親とは名ばかりで、芳仙となるまでただただ修行の、躾のと鬼の如きであった。幼い頃から甘えるあてのなかったあなたをこの世で唯一受け止めしっかり守ってくださったのがこともあろうに男女の仲となっては元もこもなくなる、ともに大宗師と季咸となるべき運命の尊院、実時さんだった。  

年取ると愚痴ばかり出て申し訳ないけれど、

私も もう先が長くない。季咸というお役を受け入れ、私の場合、なんとか息長らえている。返す返すも折角導かれたあなたを 

芳仙から季咸へあげることができなかった。

本当に残念で残念で仕方ありません。

もうやめましょう。季咸の先達には 私などよりもっと惨い目にあって、尚季咸をつとめた方々が たくさんいるのだから。とはいえ 和ちゃんには可哀相なことをしてしまった。


手紙は壊れたレコードのように後は同じ繰言が続いていた。


雲間から 斜めに赤く強い光線が下界に降りていた。コンテナハウスの横に立つ辛夷の木の枝には めじろの姿は無かった。代わりに雀たちが 毛ずくろいをしながら チュンチュントと忙しく鳴声を上げ、一群の点呼を取って山にある雀のお宿への帰還を前に羽根を休めてでもいるようだ。点在する家々から思い思いに灯りが洩れはじめていた。風を斬る様に 鳶が 高い空で廻っている。

そしてコンテナハウスの中では 横たわったままのミナミこと、丸山和子が目を開けていた。しかしその目は まるでガラス球のように生気なく、虚空の一点に向けられていた。

時折手が痙攣し、足の指先がピクピクと勝手に動いている。彼女の視線はそのコンテナハウスの殺風景な様子を何一つ捉えていない。彼女の脳内では 彼女、丸山和子の過去が断片的に夢見の如く浮かんでは消えている。

※ミナミこと丸山和子の回想※


白めく早春の陽光を浴びて バスが走っていく。その中に一人の青年を認めようとして目を見張っている十二歳の少女の丸山和子がいる。湯河原駅へ向かう一本道沿いにある五所神社の石段の中腹に立っていた。春から和子は 中学に進む、十二歳だった。伊勢流茶道の本家、宗匠を継ぐ青年、伊勢実時が大学二年の春だった。伊勢茶道本家の梓慶庵近くで 丸山和子は 丸山三代の娘として育てられていた。しかし彼女は茶道とは 全く無縁の生活をしていた。養母といっても、和子は 余りに高齢な養母に母親を感じたことは なかった。何より、物心ついた時から 自分が近隣の子供達とは 全く別の世界の住人であることを否応なく弁(わきま)えていた。捨て子という肩身の狭さ、明日 住む所も食べていくあてもなくなるという漠然とした恐怖が付き纏い 幼心にも視界に えもいえぬ暗がりを見て、意味の判らぬ悲しみに捕らわれて、只立ちすくむことがあった。

一方、近隣でも格別 裕福な伊勢の家に出入りが自由でもあった。養母の

三代が 茶道でなく季咸という巫女であることで 特別な存在として扱われることは 十二歳になる頃には、明確に知っていた。そして自分もやがて

芳仙という巫女・霊媒の次座を務めるべく、中学を卒業すると日本各地の霊場に修行しに旅することを定められていることも。

和子は 既に 梓慶庵の一室で養母と大宗師様と呼ばれる実時の父、伊勢是時から伊勢家に伝わる降霊術によって トランス状態に入って、自分の意志とは無関係に咽喉から風が吹き出てくる奇妙な体験を 小学校に上がる前にしている。

その咽喉から勝手に風が吹き出す儀式を行う度に 養母の機嫌はよくなるし、普段伊勢家を取り巻く多くの大人たちが 畏まって憚らぬ、伊勢是時が 妙に自分に優しく、特別扱いをしてくれるのが 嬉しかった。

風を吐く、妙な体験をした時に青白い雷のような渦巻く場所を通り抜ける恐ろしさは苦痛だったが、いつ自分は 又捨てられるのではないかという恐怖より遥かに楽だった。

それに 週末に東京から帰ってくる 実時と逢うのが なによりも嬉しかった。実時の弟の篤時と三人で 高価なお菓子を食べたり、実時の弾くピアノに合わせて 篤時とともに唄ったりする時、和子は 全ての恐怖から解放されていた。そして実時が 高校生ぐらいになると 三代と和子が暮らす家によく実時が やって来て 三代にすき焼きを強請(ねだ)った。 長年 高齢の養母とヒンヤリと静かに 食事をする世界しか知らなかった和子は 陽気な実時の来訪を心待ちにしていた。

しかし季咸たる丸山三代としては実時の来訪にヒヤヒヤしていた。それでいて孫のようにも可愛い存在である実時には 甘かった。

降霊術をして巫女を霊界に繋げる大宗師や尊院には 霊媒・巫女たる季咸や芳仙に対する恋愛感情は禁物であった。

そのため従来  巫女・霊媒が 大宗師・尊院より、年上である。

実時と和子では 尊院、後の大宗師となる実時が七歳年上となり、異例なのである。

当初、実時より十八歳年上の芳仙が既に存在していた。しかしまさに奇縁としかいいようのない事態が起こった。丁度、和子が 捨て子として湯河原の梓慶庵に現れる前日に降霊後、その芳仙が心臓発作を起こして急逝していたのである。このこともあって、和子は三代によって引き取られ、しかも五歳の時に 霊媒としての天性を示した。和子が芳仙を経て季咸となる。そうなるべくして天より賦与されたという事が 伊勢家、大宗師とそして季咸丸山三代の間で確定したのであった。


実時は 和子を実の妹のように可愛がった。これから 自分が尊院という伊勢降霊術の次席に上がり、和子がその相方としての巫女・芳仙になることを 実時はこういった。

「和っぺが 京唄子で、僕が 鳳圭介。僕は

ボテチとか いうだけでいいんだ」と云って笑った。それを傍で聞いていた三代が 少し怒った。その時も三人で すき焼きを囲んでいた。実時が自分の小遣いでしこたま牛肉を買い込んできた。牛の脂身を熱した鉄鍋に落し、肉を次々焼いては 割り下と醤油を軽く塗しかけ 和子の卵を溶いた小鉢に肉を入れていく。実時が 高校の友人に教えてもらったやり方のすき焼きは豪快で愉しかったし、おいしかったが、とても脂っぽかった。育ち盛りの実時と和子は 卵も夫々三個以上使って夢中で食べた。横で三代は とてもついていけないと 苦笑いをしながら若い二人を見ていた。

「お三代さん 普段 何食べてるの?」と

実時が 云った。和子の養母で既に七十近い三代は面食らっていたが

「そら 普通の物ですわ。ここらは いい魚が近くであがるのだもの お魚が多いですわね。私なんかもう 年ですもの、 こんな肉の料理は なかなか 思いもつかない。」

「和ちゃんも 同じものだろ?」と実時が 三代の方を向いたまま 訊いた。和子は反射的に 三代を見てしまった。自分が 肯くべきなのかどうか・・・。三代が代わりに 「ええ そらまぁ」と応じた。

実時は妙な仕草をしながら

「そらぁ あかん! 育ち盛りの和子に婆と同じもの食わしとったら そら あかん!

発育遅れる!」実時は 悪戯っぽく三代を

見た。

「まっ そんな 真似して!」と三代は噴出した。実時は攖寧社に来る 

有名な政治家の物真似をしたのである。養母の三代が屈託なく思い切り笑う姿をはじめて見た和子は釣られて、意味は分らなかったが一緒に笑った。

その翌日から 和子の夕食の膳には 出来合いのコロッケやカツレツなどが 乗るようになった。

三代は 実時に弱かった。代々の季咸は 概ね結婚し、家庭を持っていた。

しかし丸山三代は 結婚してすぐに 夫を戦争で失い、それ以降 再婚もしなかった。忘れ形見の一人息子とも縁薄く、その一人息子も十代で早世してしまった。

巫女・霊媒とて一人の女であることに変わりはない。そして母親の情も 又。

三代にとって、実時は 孫のようであり、

亡くした一人息子のようでもあるのだ。

そして 和子には 実時は 兄のようであり、この世で唯一の自分の庇護者であった。その感情は 和子の肉体が変容していくにつれ、抑えようの無い 恋心に変容する。

そういうものだ。

和子が 中学に上がる頃から実時は 尊院になる事に 時折激しく抵抗した。大学も親の薦める元華族が通う学校でなく、音楽大学に進んだ。東京の世田谷、芦花公園にある伊勢家の東京の自宅からも飛び出していた。それでも週末は必ず湯河原に戻り、茶道と尊院に上がるための降霊術修得に必要な指導を実父である大宗師・是時から受けることを小学生の頃から続けていたのだが、音大に進むと 実時は東京からなかなか戻ってこなかった。そんな実時が 久しぶりで東京から湯河原に帰ってきてお作法なり修行なりを終えて 

又東京に戻ろうとしていた。

バスに乗っている実時を 十二歳の和子は神社の石段から一目見ようと立っていた。

実時が 尊院へ上がらなければ 十八代大宗師は 弟の篤時が継ぐかもしれない。

そんな噂を 耳にした。自分は 実時が尊院に上がり、十八代大宗師にならなければ いつ 丸山三代からも見捨てられるかもしれない。季咸の次席たる芳仙は もう「和子しかいないよ」と季咸たる養母の三代からは言われていた。しかし実時がいない梓慶庵、そして時折三代とともに通う小田原の攖寧社に 自分が 存在してはいけないような気持ちが

まだ少女の和子の心を支配し、その不安を

どうしても実時に聞いてもらいたいと思っていた。湯河原駅で東京に向かう実時を待ち伏せしようかと迷ったが 和子は 駅で梓慶庵や攖寧社に関係する人に出くわすこと、そこで実時に気安く話し掛ける様子を見咎められ、後でどんな面倒が起こるかが 怖くて わざと五所神社の石段に立ったのだった。待ちながら 実時が 自分に気付かず そのまま東京に行ってしまうのだったら、それは それでいい。自分は どうしてでも芳仙、そして季咸にまで上がらねばならない。ただ実時の顔を一人で、一瞬でもいいから見たかった。

もし気付いてくれて、バスを降りてきてくれたら その時は 自分の不安を正直に話せるのだ。

大きな楠木とこれまた樹齢千年近いという杉の大木とが 小さな和子の頭上に新緑を盛大に広げていた。バスは 来た。しかしまばらな座席には 実時の姿はなかった。次のバスかなと 思った。思わず背伸びし、伸び上がった。と、つま先がズルりと滑り、石段を捕らえそこなって 危うく急勾配の石段を踏み外しそうになった。体の重心のバランスを大きく崩し、和子は少し踊るような恰好になった。小さく悲鳴をあげた。すると

「何をしているんだ!」と

背後から実時の声がした。和子は 本当に驚いてまさにバランスを失いかけた。実時がその和子を 転げ落ちる寸前で 腕を掴み、グイと引きあげ、抱き寄せてくれた。

和子はすっかり大人びた実時が眩しかった。そして思わず泣いてしまった。

「泣く奴が あるか」と実時は云いながら

腰を屈めて 目線を和子の高さに合わせて

「俺のこと捜していたのか?」と云った。

和子は 嬉しくて泣いていることを伝えたかったのだが、ただ懸命に頷いただけだった。実時に促されて 和子は 実時とともに五所神社のお社まで

石段を上がった。

和子と実時以外は 誰もいなかった。実時が お社に禮をした。和子もならって禮をした。お社の隅に 腰掛けると実時が 鞄からあんぱんを取り出して、ニッと笑った。それを 半分千切って和子に差し出した。和子は躊躇わずそれを受け取った。涙を拭きながらまずは それを頬張った。

「和ちゃんは 中学でると 芳仙になるために あっちこっちの霊場に修行に出るのが

厭じゃないのかい?」実時は 微笑を浮かべて尋ねてきた。和子は 頭を振って

「厭じゃないです」とできるだけハッキリ云おうとした。実時は 嬉しそうに笑った。

「そう。偉いな和っぺ先生は!」そういって実時は 和子の三つ網に編んだ片方を軽く指で弾いた。

「私は そうしなきゃまた捨てられるから」と実時を見ずに呟いた。
実時の顔から微笑みも柔和さもその一言で消えた。真直ぐに和子を見詰めていた。実時の顔が戦慄(わなな)いた。

和子をいきなり抱きしめてブルブル震えた。

やがてウォウという声が和子の耳に響いた。

実時は 泣いていたのである。

「捨てやしない。俺は 捨てない」

 そう云って泣きながら自分を抱きしめてくれる実時に十二歳の和子は陶然としていた。

和子は実時に夢中で抱きついた。和子はなんともいえない疚し(やまし)さと後ろめたさを 感じた。なんだろう?

兄のように慕っている、この世で唯一自分の庇護者たる実時に対してこの 妙な心持は 何?陶然としつつも 物陰から急に襲ってくる何か恐ろしい気配に怯えるようなこの感じは?


十九歳の実時は ただ ひたすら憐憫の情に打たれていた。和子を妹として護る義務を感じていた。

「俺も 尊院に上がるから 頑張ろうな」

実時が和子から身体を離し、和子の両肩を力強く 掴んだ。和子は見た。
実時の涙に濡れた両目がむやみに笑っていたのを。

あれは 慈愛、御仏の慈愛。

その短い言葉が 十二歳の丸山和子を包んでいた。

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