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中篇小説『リヴァース・ショット』  最終回 週末全篇をごゆっくりお楽しみくださいましね。あなかしこ。なんてね♪

ショーグンを宇宙人といえばそうである。
しかし彼には人間の器官はなく、血や体液は 見せかけであり、
皮膚も現在の人間では 製造不可能な素材と製法で作られた物質である。
彼は脳すら所有していない。脳器官がなくても彼は思考し、感情をコントロールできる。睡眠も食べ物も彼には必要ない。
人間が個体維持するために必要な物は 彼には何一つ要らないのであるから。
しかも彼以上に考え、彼以上に物事を全て記憶できる人間などは 
この世に存在しない。なぜなら 彼は 人間では ないのだ。
但し人間以上に人間の感情を理解している。
不完全なる人間が作り出すような不完全なロボットなどではないのである。しかしどうしても人間は 彼をロボットのように認識してしまうであろうけれど・・・。

千九百九十九年八月十八日水曜日、無事土星探査機が 大気圏に衝突せず、世界はプルトニュウムで汚染されずに済み、世界は何事も無かったように 二十一世紀に向かう。
つまり『成功した』場合には 新しい世紀を迎えて、20XX年に
『ショーグン』と呼ばれる者が この日本に現れる。
そして彼が 成し遂げるドラマティックな革命は 暴力を些かも用いず、
血一滴すら大地に吸い込ませるような野蛮な事を一切しないで行われる。
しかし 人間に与える衝撃は計り知れないのである。

そして 『失敗した』場合、彼 『ショーグン』は 現れない。
その出現は 少し遠い未来となる。プルトニュウムで汚染された世界を建て直す事が必要だからである。
その汚染された地上時空を浄化するために
この魂の実体や汝などの先駆者達は予めその危険から身を護るように
『宇宙の理、天の理(ことわり)』は 取り計らう。汝はこの鉄の部屋から出られない日々が来る。この魂の実体が迎えに来るまで。
その為に予め食糧や水を貯蔵するように。備えあれば憂いなし、である。
又既に 先駆者達とその仲間たりうる者達を
ある者が 勧誘をしている。
先駆者達と勧誘に応じた者達は 直前に安全な場所に移される。
『失敗』と決った瞬間に彼らは この地上時空から離れた場所に瞬時に移動する。乃至は 地中、海中に用意されているであろう場所に。
この魂の実体も一度その安全な場所に移るが、必ず数日以内に汝とこの猫を安全な場所に移動させるために戻ってくる。
その数日間を生き延びるために必要な物を 取りあえず 汝は 明日以降から取り揃えるべきである。繰り返して言うが、準備だけは しておくべきなのだ。
安全な場所で先駆者達と勧誘に応じた者達は先程話した 古くて新しい農法を修得し、
見者とヘルメスの正当な末裔達が融合して作り上げる 空飛ぶ円盤のエンジン、発電機を完成させることになる。汚染された世界には遺伝子レベルまで損傷を受けた人間、動物、植物が 地に溢れる。
エイズウィルスを遺伝子操作によって癌細胞のみを攻撃する新しい概念で
開発される医薬品も 
このプルトニュウム汚染によって犯された人間を完全に治癒する事は不可能であろう。
死を床で苦痛に苛まれ続けて待つだけの人間を医療的に救出するのが 不可能であると同時にせめて苦痛を抑える薬を与えるにも限界があるだろう。
余りにも被害者の人数が多いのである。
その時になって、人間は こう叫ぶだろう。
なぜ『宇宙の理、天の理(ことわり)』は 予め多くの、いや殆どの人間を先駆者達と共に救出、隔離してくれなかったのか?と。
しかし、警告は既に十六世紀に 一人の見者によって伝えられていたのである。その警告に耳を傾けず、千九百九十七年、カッシーニ号という名の土星探査機打ち上げ、それを阻止できなかった人間の責任は棚上げするだろう。責任を取らされただけのことなのに。
自らの無責任さをその悲劇に至った時に忘れ
ことの次第の責任追及と罪人探しに明け暮れるだろう。
そして 愚かなものは
『神を呪う』のである。
それら全て、人間がまだ不完全な生き物であるという事の証明になるのだが、
多くの人間には
その証明すら筋道立った思考とその思考に伴う感情の正しい発露を脳内に起こしえない。
未だ進化するべき道を忘れた現代の人間とは そういうものである・・・。
先駆者達と勧誘に応じた者達は 別である。
彼らは その証明をする思考の力とその思考に伴う感情を 正しく自分の中で認識できる者達である。だからこそ 彼らは 予め救出されるのである。そこに排他性を感じる人間は多い。しかし 無限の愛である『宇宙の理、天の理(ことわり)』にも排他性があるのではない。
無限の愛であるからこそ、如何なる可能性に関しても人知の及ばぬ配慮を
無限に繰り広げる存在なのである。
悲劇カタストロフは 浄化でもある。
しかし決して最善では ない。
但し、この日本という国が 嘗て東京を始めとする主要都市を焼夷弾で焼き尽くされ、
原爆を二発落とされて 軍部による密告恐怖政治社会、全体主義体制という集団発狂状態も同時に破壊され、日本は憲法第九条という稀に見る法を獲得し、驚異的な復興を成し遂げた。
この例からも判るように、もしプルトニュウムに汚染されるというカタストロフが起きてしまったとしたら、多くの人間は病み、そして死に至るという悲劇と同時に 解決不可能な民族紛争、宗教紛争、国家間紛争も浄化されてしまうという事でもある。
人間が それらの問題を人間の力で解決可能であるという自信と誇りを失っていることは事実である。
その自信と誇りを失わない者の数が どれほど存在するかが 実は来るべき
千九百九十九年、八月十八日に問題となるのである。
そういう自信と誇りを持った者、自分では明確にそういう考えや感情を持って行動し、言動していなくても、
この魂の実体のような生まれつき思いやり深いという才質を大切に保持してきた者、見者たりうる者、ヘルメスの正当な末裔となりうる者の数である。彼ら可能性のある者たちの潜在意識、又は魂に 潜むその自信と誇りを 
この魂の実体は地中深く走る黄金の鉱脈の真上で呼び寄せる。
まさに降霊術を行うのである。
『失敗』とは 概ねその果たすべきを果たそうとするこの魂の実体のような来るべき先駆者達が失敗することでは ないのである。
かといって 来るべき先駆者達を前もって集め、
布教活動のようなことをさせることは
最早 この地上時空の人間にとってそういった活動は 
もっとも危険を招くのである。
つまり 地に蔓延る悪霊は 宗教団体にこそ潜んでいるからである。
これは 何も新興宗教に限ったことでは ない。恐ろしいことに、
偉大なる先駆者達を教祖と仰ぐ宗教にせよ、宗教団体という組織は 
そう意味で手のつけようの無い状態なのである。
だからこそ贋の預言者達が すぐにでも宗教団体を組織する。
来るべき先駆者達は 決して宗教団体を組織する事はありえないのである。
彼らの共通の教義は 思いやりの深さでしかない。
また 『それが 人間である事と一体なんの関わりが あるのか?』
という思考と感情のバランスを要求される懐疑主義が健全に働いているか
どうかが 問題となるのである

これは 嘗てキリスト教徒同士が血で血を洗う宗教戦争に明け暮れた
十六世紀のヨーロッパに存在した、いわばこれから現れる
先駆者達の先輩によるものである。
『諸世紀』を著した、見者ノストラダムスもその先輩の一人である。
しかし十六世紀の先駆者達は 余りにも孤立させられていた。
しかし 来るべき先駆者達は 孤立しない。
それが 人間の進化というものである。
たとえ『失敗』したとしてもである。
今 勧誘者は 勧誘を始めている。
彼は 勧誘されるべき者にしかその姿は見えないし、その声は聞こえない。勧誘に応じた者は ただ潜在意識に秘儀による小さな円相を刻まれ、
時が来ればその小さな円相が 潜在意識から顕在意識へと浮上するように
浸透し、心の声としてその者を 逃げるべき場所に向かわせる。
勧誘者は 先天的であれ、後天的であれ、勧誘される資質を備えている者にしか 見えないのである。
新興宗教などの勧誘者と似て非なるものである
悪霊たちは 真似をして人間を混乱させる。しかし見分け方は簡単である。真の勧誘者は 勧誘されるべき者にしか見えていなし、その声を聞きもできない。何よりも 真の勧誘者は 
勧誘に応じた者からお布施など要求するわけがない。
偽の勧誘者は言葉巧みに脅迫じみた事柄を並べ立て、
金次第で救われ方に差異が生じるなどと言うだろう。
『地獄の沙汰も金次第』というこの日本という国でよく使われている慣用句を思い出せば
悪霊に取憑かれている人間かそうでないかを見極めるのは簡単な事でもある。
民族的に口癖のようになっている慣用句には概ね正しい認識へ続く小路が存在しているものである。

さて。
先駆者達は安全な場所で何をするのか?
先駆者達とともに勧誘された者たちは?
彼らは プルトニュウム汚染で病み、死を待つばかりになった人々を 
ニュートリノ系物質でできたゼラチン状の繭床で眠らせる。
そして苦痛を取り除く為の投薬を施し、生命を維持させる管理をし、死を待つ床に横たえる人間に夢を見させるのである。美しい夢見だけを繭床に横たえる人間達の脳波に送り込むのである。
他人が夢を見ているのを傍にいて それを見守り続けることができる 
思いやりの深さを先天的にであれ、後天的であれ、資質として持ち合わせていなければ できない所業である。
だからこそ 勧誘者は 見極めているのである。
そして今 眠っているこの魂の実体を
愛情込めて見続けている汝も又勧誘されるべき者である。
勧誘者は 汝のもとも必ず立ち寄り、汝の潜在意識、魂にも小さな円相を刻むであろう。

漸く今回の我が声もエピローグに向かう。
千九百九十九年、八月十八日水曜日、
来るべき先駆者達の果たすべきことを果たして
それが『成功』し、七十二ポンドのプルトニュウムが空から降ることなく、この魂の実体と汝が 共に互いに信じ、互いに愛し合うべきパートナーシップを保ち、新しい世紀を迎える。新しい世紀は 混乱と争乱でぎこちない
月日を人間達は経験する。
空から『恐怖の大王』は降ってこなかったが、
人間同士は恐怖ばかりを共有する。
恐怖を通して獲得する連帯が 如何に悲惨で、非人間的な教条主義を野放しにするかも追体験する。
ある意味で ニュートリノ系物質の繭床で 苦痛無く ただ人工的な美しい夢見に明け暮れる方が楽なようなものであろう。
しかしこの追体験を打ち破ることこそが
この魂の実体と汝を含む来るべき先駆者達の登場を鮮やかにするのである。
そのはじまりは この日本で起こる。
新世紀になって 明確には言えないが 20××年のある日、
防衛庁に 一人の男が現れる。
その男は先駆者ではあるが、人間ではない。
宇宙人かもしれない。しかし 見た目は明らかに人間である。但し、彼には脳みそもなければそれに代わるゴチャゴチャした機械が内蔵されているわけでもない。五臓六腑も無い。美しい目と鼻と耳と口は 人間には在りえない程の知覚能力が備わっている。エーテル体とアストラル体を知覚する霊的な眼と耳すなわち霊的な知覚能力をゾロアスターやキリスト・イエス並みに持っている。人間で彼を騙せる者はいないし、悪霊は 身を隠す術も無い。
悪霊に取憑かれた人間が束になって彼を暗殺しようと試みても 無駄である。危険は事前に察知されるし、彼の徳性の高さに悪霊に取憑かれた人間の良心が目覚めてしまうし、彼は人間の肉体を所有しているわけではない。
銃弾は ただ突き抜けるだけで、一時的に痛ましく彼の表面上には弾痕が口を広げても それは すぐに修理されてしまう。勝手に修復されてしまうだけだ。どんなに鋭い刃とその使い手が 彼を斬ろうとしても只虚しく空を斬るのと同じである。

徒手空拳 身一つで防衛庁を数時間で掌握し、半日で国会を占拠し、
血一滴大地に染み込ませること無く、
彼は事実上のクーデターを成功させる。はじめに占拠された防衛庁でさえ、彼への発砲すら起きないだろう。
彼は防衛庁と自衛隊を数時間で自分の配下に従えて 国会を包囲する。
空砲が数十発東京の空に鳴り響くだけである。
彼は 『ショーグン』と海外のメデァから呼ばれる。日本では 色々だ。『ボス』と呼ぶ者もいるし、『先生』と呼ぶ者もいる。
寧ろ『あなた』とか『彼』と呼ぶ者が最も多いだろう。
そして本人は 『僕』と自称する。名は 無い。偶に『吾が輩』を使う。

彼は 国会から議員だけを退去させる。物々しく駆けつけた警察隊は 自衛隊員と国会周辺で談笑するだけである。
多くの者が その自衛隊の戦車や装甲車の隊列を何かの間違えでパレードをしていると思うだろう。
自衛隊員達は 数時間で彼一人によって集団オルグをされたと 
後日アメリカのメディアは報じるだろう。
彼は 一切の暴力を用いず、余りセンスが高いとは言い難いユーモアで人々を笑わせ、心を少し開かせた瞬間に彼の徳性に帰依させるのである。
それは 人間業ではない。
帰依させられている本人が帰依などしているつもりもないのに 
自然と彼の述べ伝える事を傾聴せずにいられず、傾聴してしまう。
すると只、自己反省とそれを修正するための発展的思考を巡らすはめになる。

『ショーグン』と綽名される男は 地球上のありとあらゆる言語に精通している。駐日アメリカ大使は テレビで放映された英語による彼の演説を聞いて 本国に対して軍事的解決の不要を主張する電話を大統領にかける。
駐留アメリカ軍は当初このクーデターだか
大掛かり過ぎる軍事マニアの茶番劇に対して 威嚇攻撃を仕掛けるだろうが、数機の未確認飛行物体の飛来によって阻止される。その一件を日本からの衛星中継で目撃した大統領はロズウエル事件の関係者を 密かにホワイトハウスに招集する。
一方『ショーグン』は公共放送を使って
国会議員を国会から締め出した説明をする。
現行日本の民主主義が 衆愚、デマゴーギーに陥っている事、
それが自分のようなタイラントを招聘したというブラックユーモアを交えて衆愚、デマゴーギーに対応する法案説明を展開する。
難解な内容を諄々と説く突然出現した指導者を日本人は 
速やかに受容れるだろう。
そして彼は 国会議員の代わりに知識人や学者、優れた一般市民を選び出し、法案を作成させる。国民投票による決議が頻繁に行われる。
そして彼の法案説明の放送は 小学生の子供達でも解るように噛み砕かれ、随所に挟まれる他愛の無い冗談に子供達は大笑いし、大人より熱心に視聴するだろう。
彼の出現後 活動停止したのは 国会だけで
行政司法はもとより、経済活動や日常におけるありとあらゆる活動はそのままだ。
あとは 公共放送がしばしば、彼の法案説明によって中断するだけである。

 彼が 後に『ショーグン』と呼ばれるのは
彼が『六十歳徴兵制度』を法案として成立させるからである。
しかも あくまで憲法第九条の専守防衛を維持したまま。
徴兵とは名ばかりで、あの古くて新しい農法の開発と修得、
そして先駆者達の開発する、あの空飛ぶ円盤に使用されている 反・重力機関の利用修得、さらにエイズウィルスを遺伝子工学技術によって医薬利用する開発を進めるためである。
これら先駆者達の開発する農法やエネルギー機関、そして医療を 種子的支配、エネルギー的支配、医薬的支配、さらに経済的支配という欲望に晒さず、軍事的支配への流用を防ぐ為のカモフラージュが目的である。
『六十歳徴兵制度』は 他に多くの含蓄が込められ、彼の際立った戦略的展開は 日月を追うごとに 諸国を驚かせるだろう。
なぜなら  徴兵制度を復活させながら相変わらず自衛隊という名であり、海外派兵に対して憲法第九条に護られ消極的な日本の姿勢に変化は無く、反・重力機関が 人道支援として海外に無料で配布され、あの古くて新しい農法も 六十歳以上の男女による自衛隊員によって海外に普及されていくのである。
但し、反・重力機関は 機械だけでは作動しないものであるから
多くの留学生がその作動を体得するために日本に来る。
そして 日本国内にもそれは 各家庭の自家発電機として無料配布され、人々は その作動方法を 兵役を終えた六十歳代の者達から学び修得する。
彼は 先駆者達を完全に防御しながら 確実で速やかに それらを開発させるのである。
やがて 日本に独自の民主主義が根付く。
ギリシア的思索性と中国的な徳育性の融合を大和的融和性によって仕上げていくのである。借り物でない、日本独自の民主主義を。
しかし 大切なのは 主義・制度でも画期的な機関や農法でもない。
そして宇宙人の如き『ショーグン』でも、
先駆者達でもない。
目に見えるものをよく見、目に見えない真実を感じ知る 忍耐と冷静さ 
つまり本当の意味での優しさを、人間が人間自身の進化として 各々が責任を持って生きることである。
人間は人間の拵えたモノの奴隷になりたがる癖がある
宗教、戒律、制度、そして何気ない普段の生活においても 
自分で勝手に拵えた習慣に拘り、その奴隷となって、ストレスを貯めている。ストレスという言葉を拵えてそれに縛られている。
人間が人間の捏造したモノの奴隷になりたがるという癖を克服していくことが 人間の進化の大いなる道のりである。

眼がもう一つ増えたり、身長が三メートルになったり
羽根がはえて自由自在に空を飛べるようになる事が 
人間の進化では ない。
内面の問題である。
この惑星、地球も進化している。そして
この大宇宙も進化している。
宇宙が膨張しているように計測できるのは
『宇宙の理、天の理(ことわり)』からの人間への合図である。
共に進化せよという呼びかけである。
より良い制度を作ることも、現在の常識や通念を一挙に破るような科学的な発展や概念の飛躍も、人間の進化に貢献しなくてはならないのである。
『より思いやり深くあること』
その素朴な価値観が 制度やモノの奴隷となりたがる癖を克服するだろう。
イエス・キリストのたった一つの新しい契約は『互いに愛し合え』である。
二千年かけて 人間はその新しい契約を未だに呑み込めていないようだ。
その不首尾を恥ずかしいと思う純真ささえも喪失しかけているのに、
相変わらず多くの国家と人々は 
軍事的支配や経済的支配という欲望の方が
その恥ずかしいと感じる純真さより人間として重要であると思い込んでいる。

損か得か。より快適か不快か。その二極の間における目先の得と快適を
貪欲に追いかけるばかりである。
如何に科学が進歩しても人間の意識が進化し、変容しなければ 
地球と大宇宙の進化に添いとげるという人間であることの本質、
本来の意義を果たすことにはならない。個々人がその自覚を基にこの地上時空における自由を獲得する進歩には至らないのである。
制度や法律が自由を提供するという発想を乗り越えるための
まるで御伽噺のような 
思考と感情の二重螺旋構造化した状態が
人類の集合無意識全体をパラダイム・シフトアップさせていくのである。
それが 『ショーグン』とも呼ばれるファンタジックな存在によって成される所業の描写の仕方である。

一方 ニュートリノ系物質による繭床も同様のコンセプトを持って
別の経路を辿っていく所業の描写である。
されど 古来 歴史書なるものにその名を止めなくとも、アカシックレコードには明確に書き止められている、『思いやり深い魂の実体達』の記録は まさに星の数ほどある。
宇宙の膨張、いや宇宙の進化に伴って 
その数はもっと増えなくてはならない。
人間は 宇宙の進化をいつまで傍観しているつもりなのだろうか?そして
人間という種の快適さの為に あといくつの種を絶滅させれば人間の欲望は自己抑制されるのだろうか?
地球も進化している。人間達が最も安心して生と死を享受できる星は 地球である。
その生まれ故郷であり安息の終焉地である場所に対して殆ど未だ何も知りえてはいないのに、土星を探るため、もしもスウィングバイが失敗した時に失われる命、人間ばかりではない、植物も人間以外の動物も死に絶える、その被害の大きさを知っていながら 『人類の進歩のために』という大きな嘘を旗印にして、大国の軍事的支配という欲望を優先させたのである。
奢るローマがどのようにして滅びたかをその大国の政治家は 学び直し覚悟を決めるか、改心して方向転換をするしかない
奢るローマと同じ運命を辿る、それが
『宇宙の理、天の理(ことわり)』によって動かしがたく
起こるのである。その運命は 変えられる運命である。
変える事の出来ない宿命では 
ない。運命と宿命の違いを冷静に見極める知恵と、変える事のできる運命を変えていく勇気とを 現代の奢れるローマに対して
『宇宙の理、天の理(ことわり)』が求め、声を発しているのである。
その声を伝える者達は 勿論、現代の奢れるローマにも存在している。
寧ろ先駆者達が最も多く存在しているほどである。
但し、先駆者達は 図々しくない。
彼らは 謙虚という徳を目先の損得より優先させる。
その葛藤が 常に問題になる。
謙虚さを失えば 先駆者たりえない。
複雑な制度や組織を組み立てれば 寧ろ
先駆者達は連帯などできない。
しかし彼らは 必ず 制度や組織だけに頼らない、シンプルな連帯の方法を自然から学び直すだろう。
『ショーグン』と綽名される、
人間ではないファンタジックな存在が展開する方法が役に立つだろう。

さて。この魂の実体と汝は アカシックレコードに
『思いやり深い魂の実体』としてその名を刻む星の一つとなる宿命がある。
その宿命を受容れる 落ち着きを共有し、
互いに信じ、互いに愛し合って生きなさい。
そして その愛の生活から知りなさい。
つまり、
思考と感情がまるで遺伝子の二重螺旋構造と同様に、
互いに円相を分かち合えば
正しい直観へ上昇することを!
なぜなら二重螺旋構造とは
その見る位置を 畏敬の念を込めて見上げるアングルに立った時、
ひたすら上昇しつづける構造なのである!
パラダイム・シフトアップとはそういう事である。
反・重力も又 主旨として同じである。
仲睦まじい夫婦となることから
宇宙の真実に近づく経路が
汝とこの魂の実体に対して開示されている。
その開示に向けて互いに努力しなければならない。
それが汝とこの魂の実体にとっての宿命である。
多くの婚姻関係が
汝らと同様な意味と意義によって結ばれている。汝らは特別に 予め意味と意義を明確に自覚し合えたわけである。
祝福として聞きたまえ!
今回は ここまでにしておこう」

眠れる預言者?状態の声は終わった。
実時は 軽い鼾をかきはじめた。
和子は カセットテープレコーダーの録音状態を解除し、巻き戻し、録音できているかどうかを確認した。そしてしばらく実時の寝姿を呆然と眺めていた。難しい内容に注釈をして貰いたい気分が半分、そして単純な感動が半分 和子の胸のうちで蠢いていた。
この突拍子もない内容を実時が 記憶し、縷々滞ることもなく 
長時間喋り続けた 
手の込んだ芝居だとしても 丸山和子にとって、
それをプロポーズとして感動する権利があるだろう。
なぜなら彼女は この瞬間まで余りにも複雑で込入った人生を生きてきたのだから。
絶望を前提としながら、怨む心を暴走させず、自棄と無気力に陥って 
自裁して果てそうになるギリギリを もう芳仙から季咸へと上がる必要もなくなったのに、自裁を忌む心の姿勢を保って、かろうじて生きてきたのだ。健気に生きる者には必ず良い廻り合わせが訪れるものである。
それこそが、まさしく、
『宇宙の理、天の理(ことわり)』の所在証明ではないだろうか?

実時が 軽い鼾を止め、目を覚ました。
顔を和子の方に向け
「・・・録音できた?」と訊ねた。
「はい。大丈夫です」
「そう。ああ とても眠い。」実時はそうして又眼を瞑ったり、開けたりしていた。
「やはり 体に堪えます?」和子は少し心配になって訊いてみた。
「いや。あの声を降ろすと寧ろ体調も頭の調子も良くなる。それより晩御飯の食べ過ぎが・・・。」声がフラフラしていた。
そして実時は ニっと笑って付け加えた。
「和ちゃんに やっと逢えた幸福に酔っているみたいだね。ハハハ」
実時は睡魔と戯れるようにしながら
「和ちゃん 先にお風呂でも入ってなさい。
僕は 少し ネムネム・・・・」そう云いながら微笑みつつ寝入ってしまった。
和子は 実時に毛布を掛け、その傍で眠っている猫のゲーテを抱いた。
実時がいくら生まれつき優しい性格でも寝入ってしまって、その巨体をゴロリとゲーテの上にずらしたら
猫はさぞかし 驚くだろうし、痛いだろうと思ったからだ。
猫は和子に抱かれ、和子に毛並みを優しく撫でられて さらに気持ち良さげであった。和子は 膝の上に猫を乗せ、
実時の帰りを待つ日々、この猫と一緒だから
淋しくないわねと心の中で呟いた。
すると 和子の内に
「そろそろ 風呂にお入り。そして僕に
チーズを振舞って頂戴」
という声がした。実時が声色でも使ったのかと和子は 実時の顔を見た。
違う。明らかに耳から聞こえた声ではなかった。膝の上に乗せている
猫のゲーテを見た。
するとその銀色に輝く灰色の猫は目を開け、
大きな欠伸をして 自ら和子の膝からゆっくり降り、両の前足と両の後ろ足を大いに伸ばし、大口を開けた。次にブルブルと全身を震わせ顔を片方の前足で洗った。ひとしきりお目覚めの猫族における習性を終えると きちんと座って和子を見つめ、ニャンゴロと声を発した。和子は 合点した。
「なんだ キミは 喋れるのね」
和子は 又嬉しくなった。冷蔵庫に向かった。ゲーテも尻尾を立てて和子の脚に身体を寄せていた。チーズを取り出し、小皿に盛って猫のゲーテの前に置いた。
「ハイハイ 私は お風呂に入ってきます」
和子は 又 猫から話し掛けられたらしい。そしてそのまま彼女は 風呂場に向かった。お湯は丁度よい温度になっていた。
狭い脱衣場兼洗面台で衣類を脱ごうとした。迂闊にも彼女の腕が洗面台の横にある戸棚を打った。滅多に開けない戸棚の扉がその拍子に開き、
中からシェービングフォームと髭剃りが一式転がり落ちた。
猫はチーズを食べ終え至福の時を満喫していたが、その落下音で気分を台無しにされ、和子の粗忽に少し腹を立てた。
実時の方は ピクリともしない。
猫のゲーテは音のした方向に用心深く近づいた。
すると全裸の和子が、落とした髭剃りとシェービングフォームを拾っていた。そして目が合った。和子は 猫とはいえその視線に少し驚いた。
猫の方は「あなたは粗忽な性分だね」と一声掛けた感じである。
和子は以前、実時が行方知れずになったという報知を三代から受け取った際に、実時が仙台に来るような氣がしてなんとなく購入して置いた髭剃りの一式だったのである。髭の濃い実時には 必要だろうと。
その髭剃りの一式を手にしたまま 猫のゲーテの視線から逃れる事を優先させて、和子は 風呂場に入った。そして身体を洗いはじめた。
ボディシャンプーで身体の隅々まで洗っている自分に気づいた。
そんなに神経質に洗うのは 此処のところ ミナミに変身する直前と
ミナミから丸山和子に戻る為にしか しないのだ。
和子は 必死でミナミというもう一人の自分を洗い流そうとしていた。
髪からつま先まで 少し意地になって洗った。
そして泡だらけの全身をシャワーで流した。風呂場に置いた小さな鏡に映った腋の下の毛を和子は見た。和子は 徐に偶然手に持って入った髭剃り道具を手にした。
そして片方の脇を鏡に向け シェービングフォームを塗りたくり、シェーバーを注意深く動かし 剃り落とした。
和子が 両の腋毛を剃り落とした。その泡にまみれた毛が 排水口に流れ落ちていくのを和子は 湯船に浸かりながら見つめていた。

そして。
あの奈良俊輔が書いた『ありきたりのポーノグラフィー』は やがて永遠に消え去るだろう。
なぜなら もう奈良俊輔は それを書き続けないし、フロッピーとパソコンのハードディスクに保存したデータも本人の不注意で
すっかりこの世から無くなるからである。
          


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