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中篇小説『リヴァース・ショット』連載9回。はなればなれの実時と和子。それぞれの曲がりくねった道。それぞれの孤独。それぞれの絶望寸前。夜明け前が一番冥い。

咽る(むせる)ように薫る新緑の青桐が 揺れている。

実時は 和子の行方が判らなくなって以来、その行方を探るように嘗て和子が巡った霊場を訪ね歩いていた。季咸や芳仙という巫女と違って、降霊術師である大宗師、尊院には霊場修行は 本来それほど重要ではない。
しかし実時は口実をつけては 芳仙だった和子が何処かの霊場に預けられているのではないかという微かな期待を胸に抱いて旅をしていたのである。既に 和子の行方が知れなくなって一年が過ぎていた。是時は十八代大宗師を弟の篤時にする云々を最早忘れたかのようだった。 あの場の出任せでもあったし、実時が 言い放ったように、篤時は 降霊術を修得するために必要な 物事の流れの勘所を察知する能力に甚だ欠落していたので 
是時も前言を有耶無耶にし、事実上撤回せざるを得なかった。但し当時の実時は東京部会でも小田原の攖寧社でも湯河原の梓慶庵、
東京芦花公園の自宅でも孤立していた。
そうした頃に訪れたのは 関東地方の山岳信仰の霊場だった。烏天狗の修験者は 二十世紀の日本にも未だ存在していた。勿論その数は極わずかだったし、実時はそこの老師から客人扱いされていた。つまり伊勢流降霊術の後継ぎとして遇されていた。かつて和子が 十代半ばで此処を訪れた時、彼女は 三昼夜一睡もせず 実時が今眼前とする青桐の林を越えて関東平野を抱きかかえる外輪の山を只ひたすら杖妙と呼ばれるお経のような文言を頼りに歩ききったと その老師から聞かされた。
老師は 千里眼と呼ばれ、伊勢流の降霊術と根本的には 同じ霊的な能力によって未来を感知するので有名な人でもあった。但し、伊勢流降霊術とは違って 巫女に霊を降ろしてではなく、老師本人が普通に会話するようにして 相談者に 未来を告げる。よく当たると評判だった。
毎月七日だけ、先着百人に千里眼の布施として相談を受け付ける。
伊勢流降霊術は 小田原・後北条氏から 徳川氏に密かに抱えられ、徳川幕府崩壊後も 結局明治政府要人達に庇護されて続き、絶えず権力者と結びついていた。攖寧社は 一般人の相談は一切受け付けていない。国会議員なども極わずかな権力中枢に属する者達が国家的な命題に直面した際に利用する。とはいえ、それは建前だった。至極個人的な問題についても 密かに訪ねてくる権力者達もかなり多い。場合によっては、尊院と芳仙が練習も兼ねてそれらの相談に応えてもいたのだ。
そんな攖寧社と違って 千里眼の布施は飽くまで当日先着百人であり、無料が原則であった。特別扱いは 無かった。概ね夜中の二時から徒歩で三時間掛けて登り、五時に着けば ギリギリ百人に間に合う。修験者用の宿坊に前夜から泊まりたがる者は多かったが、それは老師が強く拒絶し、皆夜中から登山してくるしかなかった。老師に言わせれば その山登りをさせて貰えるだけの体力、お金、時間の余裕を 与えてもらっているという気付きこそが 布施だと諭す。
実時は 十五歳の芳仙・和子とは比べ物にならない気楽な行を済ませ、その日下山する事になっていた。そして丁度、七日であった。百人の老若男女が 板敷きのお堂に犇めき合っていた。私語のざわめきは ご法度で 
べちゃくちゃ喋りたがる御婦人達は 偶に 修験者から厳しく注意され 中には お堂から追放され 順番札を取り上げられている。
元々は 女人禁制であった場所だけに極めて男性的な 剛直さ 押し通すところがある。弁当など広げようものなら 此処へ何度も来ている者から叱責の声が飛ぶ。
「遠足にでも来たつもりか!」
それでも止めない者には修験者が近づき
「お弁当食べたかったらお堂から出てください。順番札も戻してください」と注意されている。
実時は その有様を遠目に見ながら宿坊で一人、本を読んでいた。小一時間 その本を読んで時間を潰し、下山してバスを待った方がよさそうだったからである。
青桐の林から吹いてくる風は 植物の生命力を否応無く感覚させてくれる。実時は それが 心地良かったのだ。
お堂の方は水を打ったように静まり返り、木々の風に揺れる音、鳥たちの様々な鳴声だけが 朗らかに響いていた。そして千里眼の布施が始まると、順番にお堂の奥にある小さな老師の部屋に一人ずつ入っていく。
その部屋は 普段は 修験者が 老師と問答を繰り返す時に使われている。実時も前の晩に其処で 禅問答の公案のような問答で絞られた。
三昼夜杖妙頼りの山伏行の代わりだと老師は 問答が終わってから冗談めいて言った。その折にも実時は 激しく和子の行方を老師に尋ねたかった。
そして今、自分もできればお堂で順番を待ちたいものだと思っていた。
降霊術師としての能力が遺伝子的に備わっていても 
それは 千里眼的な霊的能力とは別個のものであった。只 目に見えない霊的な存在を感知し、その存在に相対し、心を浸透させ その融和によって 
巫女たる季咸、芳仙にしばし降ろす。
大宗師や尊院は その霊的存在を肉眼以外の目で見ている。
季咸や芳仙は 肉体上の耳ではない、霊的なるもので出来た耳で聞き、
それを風のような光芒として吐き出す。
季咸や芳仙の声帯は仮借の用を成す。
大宗師や尊院は 霊的存在を 見定め、呼び寄せ、
そして元の場所へとお戻り頂く経路を示す能力があるだけである。
さて。
そのおり、伊勢実時が 読みふけっていたのは 中国明代の将軍で 
秀吉の朝鮮出兵軍を打ち破った
袁凡了の家書『陰騭録(いんしつろく)』であった。
実時は 中学高校と同じ学校で親友だった
山辺英春から貰ったハガキを栞代わりに挟んでいた。そのハガキには山辺の手書きの文字で『陰騭録(いんしつろく)』の内容を山辺らしい思い切った
要約が短く記されてあった。

『変えられない宿命と
変える事のできる運命。
宿命を受容れる落ち着きと
運命を変える勇気、
そして宿命と運命を見極める知恵』
『陰騭録』を勧めてくれたのも山辺英春だった。和子への苦しい思い、
伊勢流降霊術後継への戸惑い。それらを 伊勢実時が相談した唯一の人間だった。
「エイシュンらしいな。こんな難しい本を恋に悩む男に勧めるなんて」と
苦笑いした。
碌に勉強しなくても成績優秀だった山辺に対して、実時は東大生の家庭教師を二人付けられていても、成績で山辺に追いついたことはなかった。
あいつの頭は どうかしていると クラスメイトは口々に噂していた。
そして変人という評価において 実時と英春は一致し、
当人同士も自然と仲が良かった。
さぁ下山したら 山辺と逢おう。あいつは 下戸だから うんと旨い飯でも食べよう。
青桐の林の方に顔を向けて実時はそう小さく独り言を言った。
すると、人影を感じた。実時は目を本から上げた。なぜか老師が立っていた。しかも余り似合わないスーツ姿であった。
実時は 少し、声も出なかった。
「陰騭録かね?」老師は尋ねてきた。
「布施の方は?」と実時は 訊き返そうとしたが 唾を飲むだけだった。
老師は 栞代わりの山辺のハガキを見せろと謂った。
それを手には取らず スーツ姿の老師は眼鏡を取り出し 
実時にそのハガキを手に持って自分に見せろというのであった。
「ははん。成る程。そういうことだわ。」
老師は 読み終えると 実時の前に腰掛けて煙草を吸い出した。礼拝場以外は 禁煙ではなかったが、修験者達は 殆ど煙草を吸わなかった。
宿坊で実時は この一週間一人、給湯室のような場所やトイレで 備え付けの灰皿を持って吸っていた。
老師が偶に庭に面する縁側で煙草を吹かしているのを見かけたことはあった。
実時は 灰皿を持って来ようと立とうした。
「大丈夫。ここにある。」老師がそういうと畳の上には 確かに灰皿が在った。何処から取り出したのだと 実時は 思った。
「あんたの宿命は もう見極めがつているだろう。伊勢流降霊術は 無意味に何百年も続いてきたわけでは あるまい。単に権力者との関係が巧くいっているから という理由だけではあるまい。まっ なるようになるしかない。そう 腹を括って 茶の道も極めてみなさい。あれは あれで懐の深いものじゃ。 そしてな。 未だ若いからかもしれんが  そうそう女に拘りなさんな。いや 拘っても構わん。しかしな 概ね 夫婦になる男と女は 前世の因縁、かなり碌でもないもので結びつき、その腐れ縁ゆえ お互い我慢の修行として夫婦になるものだ。あんたが 捜し求める女性が 自分とどんな因縁または 宿命星の如何なる物語が あるか きちんと見定めてから 
答えをだしても 決して遅くはあるまい。
待つという修行は 常に人生に付き纏う。
待てる者だけが 真の人生を生きられるものじゃ。
あーして お堂で待つのも修行。
人間皆この地面の上でやる事は 修行にすぎない。
金の亡者もいれば 色や権力の亡者もおる。仮令世間でいっぱし名の知れた者となって 偉そうな顔しても 死ねば 灰、土くれに戻る。結局は まぁ皆同じようなものじゃな。この地面の上で亡者の度合いを深めれば又別の星だか地獄だかの地面の上でもっと過酷な修行が 手薬煉引いておるのにな。
この地上時空は 修行の場。ある意味では
その一例にすぎん。終わり無き修行じゃ。
だからといって邪険にこなせば 高が知れておる。丁寧に修行すれば 必ず良いことがある。この星、この地面は 修行場所としてはまさしく天国じゃて。
さてほんとの天国とは 何処じゃろか?
地獄の説明はどの宗教も得意だが 
肝心の天国の説明は 甚だどの宗教も下手糞じゃな。そうは 思わないか?」
老師は そう云って実時を ジッと見つめた。皺垂れた瞼と白いものが 混じり、長く伸びて瞼を覆う眉毛。それらの中央で 二つの眼球が キラキラと輝いていた。それは 人間の目では ない。実時は 只そう感じた。まるで催眠術に罹ったように意識が霞んでいた。周囲の音は 遠のいていた。一方で老師の話が 自分の頭上から繰り返し降ってきた。実時の視界にいつの間にか老師そのものが消えていた。
それに気づいた瞬間、
突然周囲のありとあらゆる音が 実時を襲った。催眠術から解放されたように 我に還った。生唾を飲み込んだ。今ほんの少しの間に起きた事は 難解な陰騭録を読みさし、遂まどろみ、白昼夢を垣間見たのか?
しかし 実時は 老師が話してくれたいちいちに 自分が明瞭に納得し、
最後の方の宗教における天国の描写が 地獄の描写より巧みでない事の例を実時なりに 記憶から捜してみようと焦った、その感情が なまなましく残っているのだった。
そして目の前に 老師も灰皿も嘘のように消えて無かったが、煙草の煙の匂いはそのまま漂っていた。
実時は 頭を振った。両の掌で顔をゴシゴシと洗うように擦った。
 
以前 霊能力の高い者の中には 遊体離脱した自己の分身が まるで肉体そのものとして、別の場所に現れることを聞いた事があった。
そんな話をしてくれたのが 季咸の丸山三代だったか 
それとも和子か 又は 陰騭録を読めとアドバイスしてきた山辺英春だったのだろうか。
結局 実時は そのことを老師に直接話して確かめる事なく 
予定通り下山した。
千里眼の布施は 真夜中まで続く。
そして和子に対する思いに駈られ、かつて
芳仙となるべく和子が 修行の為に渡り尋ねた霊場も
既に駆け足ではあったが 一年近くかけて自分も巡ってみた。
和子の行方を知る手がかりは何も得られなかったが、健気なる和子のいじらしい姿を生き生きと感じ知る事は 出来た。
それはもうそれで充分なのだ。
実時は 諦めではなく、寧ろ和子の為に自分が今何をすべきかが 
はっきりしはじめていた。
老師の話によって実時は 伊勢流降霊術を いや、伊勢実時という自分自身をもっと腹を据えて見定める心が 決ったのである。
しかしあの遊体離脱した?老師から指摘された「待つ」という修行が 
それから十数年続くとはその時、予想だにしていなかった。
だが。
今 千九百九十九年、実時は 漸く丸山和子の居場所を知り、なんの躊躇いもなく彼女に逢うためだけに実時の全身全霊が 仙台に向かっている。
半年間、記憶喪失によって一度ショートしてしまった脳味噌は 鮮やかに
この老師の話を記憶装置から蘇らせていた。

実時は 変えられない宿命と変える事のできる運命とを
十余年かけて見極めた。宿命を受容れる落ち着きは 
半年間の記憶喪失状態でも揺るがなかった自信がある。
そして変える事のできる運命を変える勇気が 
静かに実時の胸を熱くしていた。
半年間の不可思議な記憶喪失という珍しい体験もまさに必要な修行だったのだなと
実時は感じ入っていた。
その記憶喪失の物語は又、別の物語。

実時の膝の上のバスケットに収まっている猫、ゲーテという名の猫は 
居心地の悪さにも観念し、静かに寝息を立てていた。
実時とゲーテの経緯もこの物語では詳細を省こう。

但し。 この猫が 猫なのかどうかは 判らない。
猫族そのものが 果たして 人知及ばぬ知覚・感覚によってこの地球という惑星に生息している種であることは 認識しておいても決して損ではない。あしからず。

仙台に実時が こうして向かおうとしている事など全く知る由も無い
丸山和子は まだその頃 失神していた。 
二人目の子供を流産した後、和子の精神は変調をきたし、幻覚症状と極度の鬱状態に陥り、苦しんだ。
そして 彼女は 離婚した。正確にいえば
離婚する前に、彼女は関東地方の精神病院に入院させられていた。
攖寧社とのコネができる事を期待していた県会議員の夫は 
元・巫女であった女を妻にした自分の浅慮に後悔しなくてはならなかった。生まれつき霊的能力に恵まれていることは とても危険なことなのだ。
感覚が鋭すぎることは 筋肉などと違って明確な能力として自覚することが 困難であるからだ。明確に自分の感覚、感性をボディとして自覚するために芳仙・丸山和子は 中学を出た後、数年の間ひたすら修行したのであった。
一度つけた筋肉が 使わなければ 次第に目に見えて弛緩し 細る。
霊的能力は 目に見えない。その能力を自己制御できなければ 巫女としての能力とはいえない。
自己制御不可能な状態に陥った霊的な能力は 悲しくも
過剰な、意味不明な、つまり単なる精神錯乱以外の何もでもない状態になる。言語の体系的な理解そのものが 不安定になる。たとえば文字と音の一致、小学生でも難なく記憶していくその事が 困難になる。文字が別の記号としてしか 感知できなくなる。自分の思考と感情が まるで別の生物として
勝手に動き出す。実体のない幻想と幻覚が 和子の触覚すら刺激してしまう。たとえば、何も無い空間と殴り合いをしている和子には 其処に ちゃんとおぞましい何物かと対峙している。そういう状態になり、彼女が通常の生活を送ることが不可能になってしまった。
まだ 二十四歳だった。
しかし この状態から六年かかったが、丸山和子は 奇蹟的に 回復したのである。この状態の間に もし 実時が 彼女を捜し出し抱きしめても、慰めても 奇蹟的な回復は 望めなかっただろう。
廃人寸前までに一度崩壊しかかった彼女を 立ち直らせたのは 同病の患者か、悪意のある看護人か やけくその療法を試した医師の仕業か それは 判らない。
それは 突然訪れた。
ある夜、狂乱状態の果てに鎖骨を折って、 ベッドに半ば括りつけられ、
強い鎮静剤と睡眠薬によって強制的に眠らされていた和子は 右耳に水を注ぎ込まれようとしている感じがして、 強制的な睡眠から 是が非でも目覚め、その攻撃的な仕打ちに抗う怒りの感情が 錯乱しているだけの彼女の脳内に突如纏まったボディを持った。バラバラだった彼女の思考と感情が 
一瞬正常に 一体化を果たしたのだ。彼女は腕をベッドに括りつける硬いゴムバンドから 右腕を抉じ開けえるようにして 解放し、濡らされた右耳を拭った。暗闇の中で目を懸命に見開こうとしたが 瞼は 重かった。しかも右耳は 濡れているのでは なかった。誰かが 口を近付けて喋っているのだ。拭おうとした手の甲に 湿った空気を感じた。顔を声の主に向けようと捻ろうとしたが 動かない。ただ 次第に声が明瞭に言葉として聴こえてきた。
「あんたが していることを あんたは 憶えていないというが ちゃんと憶えているのだろ?なぁ 憶えているのだろ?」
ペチャペチャとした囁きは 聞き覚えがあるようで 誰と特定しようにも 和子は名前を挙げようとしても徒に混乱しそうで敢えて その無駄な抵抗を 抑制した。
「憶えていない!」そう 囁き対して応じる事を 優先させた。
「教えてほしいか? 知っているくせに」
囁きは 勿体つけるような感じで 誘う。
「何を したの?私は 何を?」と和子は誘いに乗った。おぞましいこの世の実在物とは思えないモノに必死で格闘している夢見を生生しく憶えていても 周囲は そんな話は 作り事か幻覚としてしか 取り合ってくれない。そのもどかしさを 今一挙に解決したいという衝動が 和子を突き動かしていた。
暗闇で和子の耳に口を近づけるようにして
囁く声はいよいよ詳細を語りだした。
和子が 白昼、病棟で突然全裸になって自慰行為を派手にしでかした挙句、それを止めさせようと近寄ってきた男の看護士にしがみつき 性行為を要求する卑猥極まりない言葉を叫び続けたという内容だった。

九州の嫁ぎ先で はじめての発作の直後、自分が 衝動的に首を吊ろうとしたことを夫から聞かされた。しかし和子は そんな行為をした憶えはなかった。突然睡魔に襲われてフラリとした。目が覚めたら 病院のベッドにいたのだった。それをそのまま夫に言ってみたが 怪訝な顔を向けられただけだった。そしてそういう事が立て続けに起こった。
その時までの和子ならば 「ああまたか」とその暗闇で態々耳に口寄せて囁く声の主の話に只そう反応し、底なし沼のような自己嫌悪に自分から落ちていっただろう。底なし沼の自己嫌悪では 思考と感情が分離したままとなり、制御不可能な幻覚、幻聴の渦に 五官感覚が呑込まれてしまう。
その夜、 和子は そうしなかった。
和子は 暗闇の声に向かって
「うそ。私は 知っているもの!そういう
欲情には『ソウ!レン!ショゼ!ウー!』 この印を切るのよ!
私はそうして実時さんを 兄として敬い慕うの!」そう答え、嘗て尼僧から伝授された自慰行為を抑制するための印をひたすら和子は切った。
指で図形を拵え、その形を念頭に思い浮かべては其処へ向けて風を送るように 念を、
『ソウ!レン!ショゼ!ウー!』と聞こえる音を咽喉から発し続けた。
すると 和子は 実際自分が 数時間前に男の看護士の脚に縋って剥き出した自分の乳房を擦りつけている最中の行動を思い出した。
そうだ!私は それを した!羞恥心が 噴出してきた。
しかし和子は 印を切る事を止めなかった。
忌まわしい多くの光景が 
次から次へと思い起こされてきた。
しかし 和子は 怯まなかった。このまま 臆せず続ければ、辿り着ける。辿り着くところとは、伊勢実時の顔だった。
五所神社の境内であんぱんを千切って 和子に渡す時の 笑顔なのに、涙で目から頬まで濡らしていた伊勢実時の、あの顔だ。
あれは 慈愛、御仏の慈愛。
という 嘗ての口癖のようになっていた御詠歌の一節が和子を温かく包み込んだ。
その温かさは さらに 和子の周りから和子の中心に向かって 熱い光線となり、やがて全身を貫いた。一瞬大きな光芒を目の当たりにした。その中で 実時と一つになった時の悦びが 無数の数珠球として飛散した映像を確かに和子は 見た。すると暗闇で囁く声は もうとうに和子の傍から離れて居なくなっていた。
それは 千九百九十五年の秋頃だった。
その時和子は、三十歳になろうとしていた。

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