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「ホンモノ」に辿り着きたいあなたへ。 ルカの福音書23章32〜49節「和解のための仲介者イエス」  2023.4.2 守谷キリスト教会礼拝

私たちは誰でも、自分の空虚さを埋める何かを捜し求めています。

自己啓発的な「原則」や「本当の自分」。

「幸せ」や因果を示すような宗教。

正義を追求する哲学。

その多くはぼんやりとでも、
空虚さを埋めるホンモノを指し示そうとしているのかもしれません。

私たちとこの世界を造り愛しておられる唯一の神だけが、
私たちの空虚さを埋めます。

重要なことは、そこに至る道も唯一であるということです。

"神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。"

テモテへの手紙 第一 2章5節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

イエスが十字架にかけられた時、
その周囲には群衆や宗教家、ローマ兵、
散り散り逃げていった弟子たちなど様々な人々がいました。

彼ら一人一人の姿は、私たち人間と神との関係を表しています。

群衆たちのように、
イエスに付かず離れず着いていくようにして、
なんとなく教会に通うだけの時期を通ることが私たちにはあります。

熱心に求めるわけでも祈るわけでもありません。
良いことがあれば感謝します。

しかし多くの時間、私たちはその手のひらを返すようにして、
神を悲しませることについて無関心です。


宗教家たちのように、
奥底にある自身の誇りを握りしめ続けることもあります。

弟子たちのように、
試練の中で信仰を手放そうとしてしまうこともあるかもしれません。

あるいはローマ帝国の為政者や兵たちのように、
神について聞いたとしても、
自分とは全く関係のないことだと断じることもあります。

それほどまでに、
私たちと神との関係は修復不能で深刻なダメージを受けているのです。


私たちが神と和解するためにできることは何一つありません。

しかし神の側から、
和解のために仲介者としてのイエス・キリストを備えてくださったのです。

"そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。"

ルカの福音書 23章34節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

これは私たちのための、とりなしの祈りです。

イエスの十字架は、私たちへの神の愛を示します。

そして十字架の死にまで従われたイエスの、徹底的な神への忠実さの故に、
罪に対する神の燃える怒りはなだめられたのです。


どんなに高尚な倫理観も、

仕事による結果や報酬も、

肉体の美しさも、

それらは神の素晴らしさを象徴する一部ではあっても、仲介者ではないのです。

ましてや神でもありません。

イエスによってのみ、
私たちがずっと求めて来たホンモノに近づいていけるのです。

この受難週、
十字架の主イエスに目を向ける一歩一歩を歩んでいきましょう。


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