見出し画像

【説教要約】ヨナ書3章1節-4章4節「そんなことはもう、わかってる?」 2023.11.12

ヨナ書は聖書の中でも特筆して面白い物語の一つです。

ヨナが神に対してさえ強情な人物として理解するなら、
ヨナ書は更なる立体感をもちます。

一度は御顔を避けて船に乗って逃げ、
魚の腹の中で祈ってもなお、彼の特性は変わりません。

ヨナは魚に吐き出された後でさえも嫌々ニネベの町へ行き、
そこで滅びのメッセージのみを短く語り、
町全体が悔い改めると彼は非常に不機嫌になります。


多くの場合、人は一瞬で変わるほど単純ではありません。

正直なところ、私たちはこのヨナの気持ちが理解できます。

自分の敵を愛しなさいというイエスの教えを受け取る一方で、
非常に理不尽な出来事の渦中にいる人に対しては、
「敵を愛せ」と簡単に言えない現実を私たちは知っているからです。

ニネベはアッシリヤ帝国の首都です。

後にヨナの出身である北イスラエル王国の首都サマリヤを3年間包囲し、
北イスラエルを滅亡させたのが、このアッシリヤ帝国です。

ヨナ書の中にあってはヨナ以外の登場人物は、
ニネベの王も民衆も家畜も、嵐にあった水夫たちも、
そして神でさえも方向を転換する柔軟さを持っています。

彼がニネベに伝えた「滅びる」という言葉はヘブル語ではひっくり返って状況が好転することを示す言葉です。

ヨナ自身はおそらく気がつかないうちに方向転換について語りましたが、
それでもヨナは強情なままです。

ヨナの強情さの根本にあったのは、
「そんなことはもうわかっている」という態度です。


彼にとっては、
神が「情け深く憐れみ深く、怒るのに遅く、恵み豊かで、
わざわいを思い直される方であることは、
すでに「知っていた」ことでした。

ニネベの悔い改めが形だけで元に戻るだろうことも
彼にとってわかりきったことだったのでしょう。

だから彼は4章で町の外に居を構えて観察したのです。

しかし彼は本当に神の愛を体験していたのでしょうか。

このヨナの態度は、
選びの外にあって「もしかしたら神は憐んでくださるかもしれない」と
希望を置くニネベの人々や、あるいは1章に出てきた水夫たちとは対照的です。


ヨナが、そんなことはもうわかっていたと吐き捨てた、
神の憐れみ深さ、恵み豊かさの背後にあったのは、
イエスの十字架という途方もなく大きな犠牲です。

私たちはこの神の大きな愛と十字架の犠牲、
そして全てを統べ治めておられる神の聖さを、
驚きをもって仰ぎ見ているでしょうか。


この十字架の犠牲と、
それによって私たちを新しい契約に入れてくださったことを覚えて
聖餐式にあずかりましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?