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10年越しのお礼を言われた話

15年推してる推しがいる。
15年前は「推し」なんて呼び方なかったし、私はオタクではあったけど幼くて今ほどオタク世界にどっぷりというわけでもなかった頃、ただただその人の作る作品が好きでのめり込んだ相手だった。
あ、過去形じゃないな。今も現役で活動されているし最推しです。

で、その人が10年前に作った作品があった。
その作品は、推しが普段作る作品と比べたらちょっと挑戦的というか風変わりというか、そういうものだった。
私は盲信的なオタクなので「そういう形もあるのね」とすんなり受け入れて好きな作品であったけど。
作り手側はそうじゃなかった、らしい。どういう反応が返ってくるか不安で緊張してた、らしい。ということを、最近知った。

その作品には、推しの他にも関わった方がいた。
私はその関わった方のことも好きだった。(もちろん、今も好きだ)
推しと仲が良く、推しの作品に何度も関わってる方だったから、その推しを好きなオタクたちの間でも馴染みの方だった。

最近、その方、つまり「推しの作品に関わってる馴染みの方」と交流する機会に恵まれた。
これまではほぼ表に出て来ず、推しの作品越しにしか接点のなかった方だったので、素直に嬉しかった。
そしたら、その方は突然言った。

10年前、あの作品で、あなたとあなたのお友達が作品を褒めてくださっているやり取りを拝見して、不安で泣いていた私はとても救われました。ありがとう

突然、10年前の自分に対してお礼を言われた。
私の友達、って誰のことだろう。
10年前の私は、その友達とどんなやり取りをしてただろう。
全く記憶になかったから、その場はキョドりながら「え、あ、こちらこそいつもありがとうございます」みたいな感じで終わった。

後から、その人から通知がきた。
「いいね」の通知だった。
見ると、それは10年前のツイートだった。

作品が公開されて。その素晴らしさについて、友達と絶賛しまくってたツイートだった。いつものあの方も参加してるねと、その人の名前もあった。わかるわかると、友達も絶賛のリプライをつけていた。

タグも付けてない、あまりにも何気ない会話のやり取りだったから、本当に全く覚えてなかったんだけど。
それを当時読まれていて、しかも10年間覚えられていて、「救われた」とまで言われて、そして10年を遡って該当ツイートを「いいね」されるとは、思ってもみなかった。

10年。10年前、ですよ。
遠い遠い、はるか昔の出来事だったのに。
そんなことってある?
あまりにも嬉しくて、幸せすぎることだな、と、ジワジワと幸せを実感して噛み締めている。
言われた瞬間はキョドるばかりで嬉しさも霞んでしまっていたけど。今はもう、胸いっぱいに幸せだ。

私が今こうして、言葉を書いているのは。
文章を書くことが好きなのは。
私がこれまで、人の言葉に救われてきたから。
私もそういう人になりたいと、憧れたから。

だから、10年前の私の言葉を、「救い」だと言ってくれる人がいて、覚えていてくれて、お礼を言ってくれて。形容できる言葉がないくらい、嬉しい。
あぁ、書いていてよかったなと、心の底から思う。


今年の3月12日に、生誕ソロライブで、ukkaの茜空ちゃんは映像を使って「ファンからの言葉に励まされ、支えられている」という気持ちを伝えてくれた。

先日、5月28日に、AMEFURASSHIのツアーファイナルのライブで、愛来は「辛いときに最初に思い浮かべるのはファンの皆さんのこと」と涙ながらに話してくれた。

私の言葉も、彼女たちの力になれているだろうか。
空ちゃんも、愛来も、そして私の全ての推しも、推しでもなんでもなく私の文章を読んでくれる人も。
誰のためでもいいけど、誰かのためになる言葉を書けていたらいいなと、思う。
私を救ってくれた言葉のように。
そういう言葉を書けてたらいいな。
そういう言葉で溢れた世界になったらいいな。

ネガティブな言葉ばかり、人を傷つける言葉ばかりが拡散されがちな世の中だけど。
そんなものには、負けたくないな。

そして、10年前の自分にも、負けないように。
10年後、それ以上先まで残るものを、まだまだたくさん書いていきたいな。


P.S.
あ。推しの新刊です。
最高の物語を保証します。
よろしくお願いします。


サポートするより私の推しを見てくれた方が嬉しい。 動画でもSNSでもフェスでもライブでも良いから、私の自慢の推しを見てくれたら嬉しい。 そして、私の推しをあなたも好きになってくれたら、もっと嬉しい。