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役を生きる原理原則 世界で一番やさしいスタニスラフスキー・システム⑨

個人レッスン初日


 毎週スタジオに通う事にした。

前回の体験レッスンはたまたま、急用や体調不良の方が重なり結果として私一人のマンツーマンになったらしい。

私は、体験レッスンを気に入ればオープンクラスというものに参加させてもらうつもりだったが、前回のような個人レッスンが今後も可能ならそちらをお願いすることにした。

俳優に踏ん切りをつけるのにあまり時間をかけたくなかったし、意外な事に今の私にはマンツーマンの方が気楽だった。

毎週金曜 夜19時、私が役を生きる技術を学ぶ時間となった。

スタニスラフスキー・システムの全体像


「前回、私たちのゴールが見えましたので、今回はたどるべき道とコンパスを手に入れたいと思います。つまり、役を生きるための神髄と原理原則です」

「はい」

「座学は今日で終わり、次回からは実践に移りますので、もうしばらく我慢してくださいね」

「全然、大丈夫です」

「ところで、あなたは生き物を育てたことがありますか?」

「今、ちょうど金魚を2匹飼ってて、水の管理にはけっこう気を使ってます」

「わかります、私も娘と縁日の金魚やエビを何匹も埋葬する羽目になりましたのでアハハ!…水槽の水質管理は大変ですよね」

「はい」

「自然の池であれば全てをバランスよく勝手に整えてくれるのですから自然は本当に偉大です」

「さて、役を育てるのにも自然の摂理にのっとった原理原則にしたがわなければなりません。今からサクッと10分ほどでスタニスラフスキー・システムの全体像をつかんで欲しいと思います」

「…はい」

私はあれから数年前に購入した「俳優の仕事」を読み返していた。

読むと興奮さえ覚え、本に書いてある事を早く試したくなっていたあの頃を思い出していた。

結局、稽古や実践にどう活かせば良いか分からないまま、スタニスラフスキー・システムと言われても、うすらぼんやりとしたものしか残らなかったあの頃…


リンゴの樹


「では、全体像をつかんで頂くために、果樹園で働いていると想像してくださいますか」

「果樹園…」
先生はホワイトボードの左側に絵を描き始めた。

「ここに一本のリンゴの樹があります。そこに大きくて、真っ赤なリンゴが沢山実っています。見た目に美しいだけでなく、かじるととても甘く、のどをうるおし、私達に滋養やエネルギーだけでなく喜びをさえ与えてくれる素晴らしいリンゴです」

「はい」

「ところが、残念ながらこのリンゴの樹はとなりの果樹園のものでした。私たちの果樹園を見てみると、痩せたリンゴの樹に、小さく、青く、すっぱい、食べても喜びも滋養も与えてくれないリンゴが少し実っているだけです」

先生は右側にやたら貧相なリンゴの樹を描いた。

「さて、なんとか自分の樹にも、となりの果樹園のようなリンゴを実らせたいと考えました」

「そこで、隣のリンゴの実をじっくりと観察し、時間とお金とを費やし、とても素晴らしいものを開発しました」

「それは隣のリンゴと全く同じ赤を再現できる人工着色料。隣のリンゴと全く同じ甘みを再現できる人工甘味料。あっという間に隣のリンゴくらい大きくなるステロイドのようなホルモン剤です」

「これらの薬物を混合し自分のリンゴの実に注射します」

先生は注射器が小さなリンゴに突き刺さっている絵を描く。なぜか注射器のデティールにこだわりをみせる。

「すると、あっという間にそのリンゴは赤く染まり、甘みを増し、まるまると大きなリンゴになりました。どこからどう見ても隣のリンゴそっくりです」

先生はグルグルと丸を描き、となりのリンゴと同じ絵を貧弱なリンゴの上に重ねた。

「はい、全く同じですね」

「さて、このリンゴ・・・果たして私たちが望んだリンゴといえるのでしょうか?」

「うーん、味も見た目も同じなんですよね…でも…なにか違うという気が…」

人工的に手っ取り早く求める弊害…


「そうですね、ひょっとすると一時的になら、お客さんを、そして、自分をも誤魔化すことが出来るのかもしれません」

「しかし、このリンゴをしっかりと味わえば味わうほど、どこか人工的でケミカルな風味がするかもしれません。噛みしめれば、噛みしめるほどその歯ごたえの無さに物足りなさを感じるでしょう」

「もし、そのリンゴを食べ続けるのであれば栄養を得られるどころか薬物の副作用に苦しむかもしれませんし、敏感な野生動物なら一口食べただけで二度と近づかなくなるかもしれません」

「動物たちに見放されたその木の周辺では食物連鎖は起きず、その土は痩せ、リンゴの樹はさらに元気をなくすでしょう」

「すると実るリンゴはさらに痩せ、頼らなければならない薬物の量は増え、ますます土はやせ…と、その悪循環は繰り返され、その樹が本来持っていた生命力さえ失われてい行くかもしれません」

その樹が本来持っていた生命力さえ失われていく…
私はずいぶん自分に過酷な事を強いてきたのかもと感じた。

なんとか自家発電させ、感じてもいない感情を表現し、信じてもいない言葉を発する…

自分以外の誰かを喜ばせるために…でも、本当は誰も喜んでいなかったのかもしれない…

「…これでは、自分も周囲も生かせず新たな命の誕生に貢献することは難しそうですね」

「ですよね。では自分の樹に望むリンゴを実らせるために私たちは本来何をするべきだったと思いますか?」

有機的方法


「うーん、私なら、隣の果樹園の人にどうやったのか聞くかもしれません」

「いいですね!スタニスラフスキーもそうしました。天才俳優達や自分が上手く行っている時に行っている事を調べたんです。さて、となりの農夫はなんと答えたと思いますか?」

「そうですね、土の手入れや水のやり方などを教えてくれるのではないでしょうか?」

「そうです!先ず、土ですね。樹は土に根差して生きています。何にも頼らず一人で立っている樹を見た事がある人はいないでしょう」

「もし、土に十分な栄養が無いのなら、土に肥料を与える必要があります。光が十分に当たっていないのなら周囲の葉を刈らなければならないかもしれません。もし、雨に恵まれていないのならば水を与えるのでしょう」

「このように、私たち本来の仕事とは土、水、光、などリンゴの樹を取り巻く環境を観察し、整え、リンゴの樹本来の生命力を頼りに望むリンゴが自発的に生まれてくるように見守ることだったのだと気が付きます」

「これは少し考えれば誰にでも分かることです。にもかかわらず実際には多くの俳優が似たような間違いを犯してしまうようです」

「その理由は私たちが自分の仕事を勘違いしてしまうからです」

「勘違い…」

俳優の仕事とは?


「私たちは果樹園で働いているので、「あなたの仕事は何ですか?」と聞かれるとつい「リンゴを作っています」と応えるかもしれません」

「しかし、リンゴを作っているのは本当に私たちなのでしょうか?…違いますよね…」

「はい…そうですね…私たちがリンゴを作るなんて…できないはずです!」

「では、リンゴを作っているのは誰でしょう?」

「自然だと思います。リンゴをつくっているのは、リンゴの樹や水や土や太陽やそういう周囲との有機的なつながりの中から生まれてくるのだと思います」

「その通りです!生命が生まれてくる場には自然の法則が支配しており、その自然の法則を尊重し、それに従わなければなりません」

そりゃそうだ…

種も蒔かずに豊作は期待できないし、
つぼみを無理やりこじあけて美しい花が咲くはずもなく、
青いリンゴを赤く塗ってもしっぺ返しの方が大きかった…


理性ではなく本能にアプローチする


「では俳優が従うべき自然とは何でしょうか?」

「本能…ですか?」

「そうですね、私たちは理性に頼るのではなく内なる自然、本能に頼る必要があります」

「ところが、多くの俳優は頭が良すぎるので本能ではなくつい理性を頼りにし、原因を工夫するのではなくつい結果に直接色を塗ってしまいます」

「もし、望むリンゴよりも青いリンゴが生まれたのであればあわてて、さっさっと赤く塗るのではなく、もう一度原因にアプローチしなおして再び結果が生み出されるのを見守り、望むリンゴが生まれるまでそのプロセスを繰り返す必要があります」

「このようなアプローチを繰り返すからこそ自分の本能についてくわしくなります」

「本能に詳しくなる?」

「大げさな言い方になってしまったかもしれませんが…赤いリンゴがほしいならこんな土壌、小さいリンゴが欲しいならこんな水分補給、青いリンゴならこんな光の当て方といったように」

「こんな具合に手入れ方法や技術、そしてなによりも自分に宿っている自然、本性について詳しくなることで私たちは自由な俳優になれるはずです」

私のメモは以下の通り

役を生きる原理原則

1.まず、原因にアプローチし、
2.本能を巻き込み、
3.そのプロセスを尊重し、
4.望む結果が生まれてくるのを見守る
5.結果次第で1から4を繰り返す

役を生きる根幹とは何か?


「もちろん、私たちの仕事は自然でさえあればよいわけではありません」

「生命力溢れ、しかも、美しいリンゴを、決められた時間に決められた量を提供しなければならないのがプロです」

「私たちは手入れをしていない野生の樹に偶然出来た美味しいリンゴを期待しようというのではありません。場合によっては青くできてしまったリンゴにささっと赤を塗らなければならない現場にも沢山でくわすことでしょう」

「「その感情が生まれなかったのでそのセリフは言えませんでした」などと無責任なことはできないのです」

「確かに…」

「しかし、再び同じことを繰り返さないように小手先のテクニックを増やすのではなく、原因へのアプローチをさらに工夫し、試し、自然発生的に生まれるものが演出の意図にそったものになるように環境を調整する知識と技術を磨き続けられるのです」

「その秘訣と法則について研究したものがスタニスラフスキー・システムなのです」

なるほど、このリンゴの樹の絵1つでスタニスラフスキー・システムの全体像を確かにつかむことができる。

これからは、自分が今、何を学んでいるのか、演じる時は何か欠けていところは無いのかをこの絵を思い出すことでもれなく確認できる。

「では、いよいよ、役を生きるために具体的に土とは?肥料とは?水とは何のことをいっているのかを見ていきましょう」

「そして、役を生きるためにこれだけは欠かせないという最も太い根幹とは何なのかについてみていきましょう」

私はまだ、あの日のテイク1と2の違いを生んだ違いが何かを明確にはできていなかった。

今から先生が語るのは、いよいよ、その答えを知ることにつながるのだろうと予感していた。




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