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号泣のレッスン 俳優の触覚を極めるpart3 世界で一番やさしいスタニスラフスキー・システム27

痛みの感覚を再現させる


「私たちは痛みに敏感に反応しやすい面があります。例えば、ちょうど昨晩なんですが、風呂場の扉に段差があって、そこに爪を引っ掛かけてしまって、足の親指の爪をはがしちゃったんですよね…」

「…!」

「結構な量の血がタイルを流れていったのですが…」

「…‼」

「…さて、あなたは自分が今どんな表情しているかに気づけますか?」

私は思いっきり眉間にしわを寄せていた…

「はい…」

「その表情をそのまま維持してもらってよいですか?」

「えっ…はい…?」

「とても痛そうな表情をしていますが、あなたの爪がはがれたのではありませんよね」

「ええ…」

「ではなぜ、今あなたは眉間にしわを寄せる必要があるのでしょう?」

「…たんに反応だと思うのですが…」

「あえて行動だとしたら何をしているのでしょう?」

「…何しているんだろう…私…」

「では、その表情を一旦やめてみてください」

私は眉間のしわをほどいた。

「もう少し力を抜けますか?…では、そのリラックスした表情を絶対に変えることなく、私の痛みを再び想像してください」

「はい」

「どうですか?」

「…さっきと比べるとただ想像しているだけというか…さっきは痛みを私の感覚でも共有していた気がします」

「では、爪の話を再び思い出し、先ほどの表情へと移り変わってゆくプロセスをじっくりと味わってみてください…」

眉間だけではなく喉、鼻の奥なども収縮していくのが分かる…

感じない努力


「…あっ!眉間にしわを寄せるのは、私にも同じことが起きたら感じるであろう痛みに耐えようとしているのかもしれません…」

「ですね!想像上ではあっても、その痛みに抗う行動をしているのだと解釈できますか?」

「なるほど、そうですね」

「今から取り組む訓練では痛みを具体的にどこに、どのように感じるのかを身体の各部分に思い出してみましょう」

「はい」

「そして、それに矛盾しているようですが、先ほどあなたがしたように、私たちは痛みを感じると必ずそれに抗うためにいくつかの行動を無意識にしているものです。その無意識の行動も一緒に身体に思い出させてみましょう」

「痛みだけを思い出そうとするのではなく、それに抗う行動が伴うことで葛藤を感じられるので真実味が増すということですね」

「その通りです!悲しみや痛みを感じなければならない俳優が一生懸命に過去の記憶からそれらを思い出して演技するときがありますね」

「私も覚えがあります」

「その時、俳優の身体が過去を思い出すという目的を達成するための態勢になっていると上手くいきません。行動や身体感覚の説得力はイメージよりも強力ですのであなたの無意識に送られるメッセージは「今、私は何かを思い出すだけの余裕がある状況」だと判断するのです」

「なるほど…イメージだけに依存していると、いくら繊細に過去のリアルな記憶を辿っても身体への影響が限定的になっていることが多いのはそのためなんですね…」

「「今、ココに居てください!」って言われる俳優の多くが同じようなことをしている事が多いですね」

「私も前に言われましたね…ココに居ないよ!って…」

「敏感になろうとしているのにかえって鈍感になってしまうのは「痛みをわざわざ思い出すほど余裕の状況なのだ」というメッセージで身体が満たされているからです。目も虚ろになっていることが多いです」

「そうですね…痛みをわざわざ思い出したい人など演技訓練中の俳優以外には居ないでしょうから…」

「はい、むしろ、つい痛みを想像してしまう時でさえ、その痛みを感じない態勢になるのが私たちの無意識なのですから、その無意識がすることを意識的に再現できれば逆説的に痛みを感じやすくなるということです」

「やはり行動がもっとも影響力を持っているのですね」

「そういうことですね。先ほど私は本当に爪がはがれたら感じるであろう痛みとそれに抗う行動もセットで思い浮かべたので私の身体もあなたもその虚構の話を信じたのかもしれませんね」

「あの…では、さっきの話は作り話ですか…」

「アハハ!すみません…」

「いえ、良かったです…爪がはがれてなくて…」

「では、様々な痛みを身体に思い出させてみましょう。そして、その痛みにどのようにあらがおうとうとするのかあなたの身体も観察してみましょう」

「わかりました」

「ただし、実際の痛みと同程度まで感じようとする必要はありませんし、できないでしょう。もし、本物の痛みを再現しなければならない訓練があったとしたら私は絶対にやりたくありませんし、アハハ!」

身体的な痛みと精神的苦痛


それから私は先生の誘導に従いながら頭痛、歯痛、肩の炎症、腹痛、転んで怪我した膝の痛み、かさぶたを剥す感じ、手首の痛み、やけどの痛み、刃物で指を切った痛み、腰痛や寝違えなど様々な痛みを身体に思い出させた…

「どうでしたか?」

「ズキズキしたりヒリヒリしたり、ドーンとしたり…痛みにも本当に色々あるのを改めて思い出しました」

「では、痛みに抵抗するためにどんなことをしましたか?」

「眉間にしわを寄せて耐えようとしたり、息を止める場合もありましたし、逆に長く続く鋭い痛みには息をゆっくり吐いて痛みを逃すかのようにしている時もありました」

「痛みに耐えている時はどんな気分でしたか?」

「はい、これがいつまで続くんだろうと考えると恐怖も感じましたし、何かすごく惨めな感じで屈辱なども感じることができました」

「身体的な痛みを身体に思い出させることが、文字通り精神的な傷や痛みを味わっている時の状態に非常に似ていることに気がついていただけたかもしれませんね」

確かにそうだ…
悲しい想いをする時…
私の身体はいつも収縮し、
単に想い出している時でさえ
私の呼吸を浅くさせた…

告白の構成


「多くのドラマのクライマックスは告白です。打ち明けると味わうであろう恐怖や痛みを避けて今まで秘密にしてきたのですから、味わう恐怖とそれを乗り越える行動の葛藤が必要な場面となります」

「なるほど…」

「その恐怖や痛みを感じるのが非常に難しい場合があるのですが、そんな時はいつもそれを身体の傷として感じてもらうようにしています」

「…」

「役の人物の恐怖や痛みを身体で共感できて初めて、それでもなお真実を伝えたいという葛藤に満ちた役の行動に集中する事ができるようになるのです」

私は「子供の時間」のマーサ、「かもめ」のニーナ、「桜の園」のロパーヒン、「ガラスの動物園」のトムたちの最後の場面を思い出していた…

なるほど、全ては美しくも痛々しい告白の場面だ。

ただ、私も含めて力が不十分だった俳優たちが演じる時、泣くことに専念された芝居に白けてしまうことも少なくなかった。

彼らはただ泣いていた。
役は泣きたくなんかない…ただ、俳優が泣きたがっている…

彼らはただ痛みを感じようとしていた。
役は痛みを避けたがっているのに、ただ俳優がそうしたがる…

痛みを感じる事に意志を使うのではなく、
痛みという状況は身体に任せてしまい
その意志はそれを克服する行動に集中できていれば…

きっと、その役の人物達の意志の美しさが際立ったのだろうと想像した…

その時、俳優は役と同じ行動に専念し、
役を生きている実感を得られるのだろう…

クライマックスはいずれも痛みを伴う告白


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