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【行政書士試験失敗記】17話 蛍光ペンで塗りたくられた六法は受験生を威圧するのに使える

 

あなたの隣で勉強している受験生。手に持っているのはボロボロの六法。その六法は蛍光ペンでキラキラしている。あなたはどう思うだろうか。


 約一週間、休んでしまっていた。今までしていた活動を休むことになるとは思わなかったが、慣れないことをしたせいで体調を崩してしまった。その結果、私はまたしても新しい失敗をしてしまったのだが、それについては別にまとめるつもりなのでまた後日。

 さて、参考書を読んでいると、自分が「あ、ここ大事だな」と思うところには蛍光ペンでマークするのが癖になっている人は多いのではないだろうか。私もそうだ。
 
 大事なところはマークする。この習慣を私たちは幼少の頃からたたき込まれる。
 

「大事なところ」にはマークを。これが世の常識。


 
 ところで、「大事なところ」を判断するのは誰であるか。
 基本的に自分自身である。
 稀に講師から「ここはマークしておくように」とのお達しがあってその通りにすることもあるが、「大事なところ」というのは自分が判断して、自分でマークする。
 
 ではどこが「大事なところ」なのか。それが判断できなければどうなってしまうのか。
 
 今回ご紹介する私の失敗は「全部大事なところに見えた」というものである。
 
 遡れば、私が始めて行政書士試験に挑戦するときのこと。
 ネットで知識を蓄えた私は、通信教育で講義を受けるのと同時に、参考書などの関連書籍を収集するのに没頭していた。
 
 基本装備を揃えなければ戦うこともできない。どれがこの試験においての基本装備なのかをまず調べることから始める。
 
 ここで行政書士試験受験と言えば、と言われると思い浮かぶ本が3冊ある。
 
 1つは「肢別過去問集」
 1つは「ウォーク問」
 そして「ケータイ行政書士ミニマム六法」である。今回は特にこれに注目しよう。
 
 このミニマム六法。受験生にとっては説明不要かもしれないが、一応解説しておく。

 行政書士試験の試験範囲である法律条文が掲載されており、他の六法と違い、携帯性に優れ、忙しい我々受験生の強い味方となってくれる存在だ。
 
 注意点として、携帯性を確保するために行政書士試験に出題される頻度が高い条文を厳選して掲載しているため、全ての条文が載っているわけではない。
 
 私も、模擬試験において見たことも聞いたこともない民法の条文が問われて焦ったことが何度もある。

 そういう事態が起こることも考えられるので、ミニマム六法だけでなく、別の六法も用意しておくと良い(今はネットで法律条文全文を閲覧できる)。
 
 世の行政書士受験生はこれを擦り切れるまで読み、寝る直前までこれを眺め、睡眠学習効果を狙って枕替わりにしている言っても過言ではない。
 この六法はいわば行政書士受験生のスタンダードな持ち物なのだ。
 
 私もこの六法を手に取り、擦り切れるまで読み込んだ。大事なところにはマークし、補足情報を熱心に書き込む。そんな生活を続けていたのである。
 
 そしてこれが私の大いなる失敗につながることをその時の私はなにも考えていなかったのだ。
 
 行政書士試験の合格体験記なんていうのを読むと、このミニマム六法の使い込み具合がやり玉にあげられる。どれだけ使い込んだのか。それが各々の勉強量を測る指針になっているからだ。
 
 「見てくださいこのミニマム六法を! これだけやり込みました!」
 
 と表示される画像には条文はきれいにマークされ、余白には補足事項については赤ペンが走り、こまめに付箋が貼られている。ボロボロになった表紙を見れば、その人がどれだけの時間を勉強に費やしてきたのかが一目でわかるというわけだ。
 
 長い戦いを経てボロボロになった六法は受験生の強い味方である。
 それを取りだすだけで周りの受験生は恐れおののき、平伏する。
 本試験会場では各々が自分自身の世界に入り込んで勉強しているように見えるが、その一方で六法や参考書の使い込み具合を見せつけ合い、相手を威圧する。さながらサバンナで相対する野生動物のようだ。
 
 ボロボロの六法にはそれだけの強い威圧効果がある。それは間違いない。
  
 そして言うまでもなく、私の六法はボロボロになった。
 
 大事なところは全てマークされ、余白部分は赤ペンでびっしりな状態で、暗記箇所には赤と黄色の付箋がべたべたと貼られていた。
 覚えなければならない判例は、大きめの付箋に書いて貼り付けてある。
 
 長い勉強期間を経て、私の六法はいつか半分で割れてしまうんじゃないかというくらいにボロボロになった。
 
 ここまでやったのだから当然合格するだろう!
 
 と息巻いて試験会場に向かった。

 その結果、私はその年の行政書士試験に不合格となった。
 
 どうしてこうなった!?

 これだけやったのだから私は合格して然るべきではないのか!?
 だって、私の六法はこれだけボロボロなのだから!!
 
 そう叫んだところでどうにもならない。そこにあったのは装丁がボロボロで中身が蛍光ペンでキラッキラな六法と、私が不合格だったという真実だけが転がっていただけなのである。
 
 納得がいかない!
 責任者に問いただす必要がある!
 実は記述問題の採点が間違っていたりしないか!?
 
 もちろんこれは負け犬の遠吠えでしかない。

 遠吠えを続けたところで何の生産性があるわけでもなし、ひとしきり叫び続けた私は、自分の失敗が何だったのかを考えることにした。
 
 当然のことながら、勘違いしてはいけないことがある。
 ボロボロの六法というのはあくまでも、正しい過程を経た上での副産物でしかないということだ。
 
 たくさん勉強して、合格した。その結果、六法がボロボロになっていた、が正しいのであって、六法がボロボロだから合格できるわけでは決して無い。
 
 率直に言えば、毎日仕事カバンにミニマム六法を入れて通勤していたら、勉強しなくても自然にボロボロになるだろうし、ボロボロの六法が欲しいのであれば、水にでも沈めた後に乾かす。もうちょっとリアリティが欲しければ手でところどころ千切ってしまえばいい。

 それだけで本番の受験生同士の威嚇対決には勝てる(実際にそんなことしたからなんだという話だが)。
 
 結局のところ私の場合、六法をただボロボロにしただけであり、ちゃんと勉強できていたのか怪しい。

 私は結局、六法を使って周りを威圧していただけであったのだ。勉強した気になっていたが、その実、ただ自分で気持ちよくなっていただけに過ぎない。その証拠に
 
 「それだけ勉強したと言うのだから錯誤の取消し要件については存分に語れるんだろうなぁ?」
 
 と強面のお兄さんから詰め寄られたら目を背けるしかない。だってちゃんと覚えていなかったんだもの。
 
 次に、「大事なところ」にマークする。この行為についてである。
 
 根本的なことであるが、独学の場合、誰が「大事なところ」と判断するのだろうか。
 
 もちろん自分自身である。自分が大事だなと思うところに蛍光ペンでマークするのである。
 
 さて、法律未学者の人間にとって「大事なところ」とはどこに当たるのか。
 
 ここに大きな失敗がある。
 
 今となってはどこが「大事なところ」か、どこが試験に出るのかを判断することができる。
 それは長い時間行政書士試験の問題に立ち向かったからであり、その蓄積された経験によって判断を可能にしていると言える。
 
 しかしながら、当時の私にはその判断基準などあるはずもなく、言うなれば「目に映るもの全てが大事」に見えてしまうのである。
 
 その結果、どうなるか。
 
 目に映る全てに蛍光ペンを塗りたくってしまうのだ。
 試験本番前、私の目の前にはほとんどのページが赤か黄色の蛍光ペンで塗りたくられたボロボロの六法を見て、私はこう思った。
 
 どこが大事なのか分からねぇ……
 
 全部が「大事なところ」であれば、最初から蛍光ペンでマークする必要はどこにもない。
 
全部大事であれば区別する必要はないのである。

 にもかかわらず私は蛍光ペンで塗りたくった。なんとなくそっちの方が勉強した気になるからだ。嘆かわしい。
 
 実際のところ、六法に載っているものは全て覚えておきたいという心理は理解できるし、そういった意味では全て大事なところではある。
 しかし、悲しいかな行政書士試験には、六法に載っている全ての条文が出るわけではない。
 
 全ての条文が出るわけではないし、繰り返し出題されるところも当然ある。
 
 その繰り返し出題されるところこそが、我々の求める「大事なところ」なのだ。しかし、その「大事なところ」を見る目が養われていないうちにそういったことをすると
 
 全ページが蛍光色でキラッキラな六法が出来上がる。同様のことが参考書にも言えるし、問題集にも言えるし、模試の解説にも言える。
 
 当時の私はキラッキラな六法と参考書を持って試験会場に向かった。それはもう自信を持って。
 
 これだけやり込んだ六法を持っている人間は私以外いないだろう!
 
 とドヤ顔で六法を広げ、周囲を威圧している気になっている私の姿はひどく滑稽に見えたことだろう。
 今思い出すとなんとも恥ずかしい限りである。
 
 試験問題を解く時、手元に六法を置けない。
 キラッキラな六法を作ったとしても、本番では使うことができないのは間違いない。
 
 私がやらなければならなかったことは、蛍光ペンでメッキのように塗り固められた六法を作り上げることよりも、ボロボロの六法から得られる知識をちゃんと頭の中に叩き込んでおくことだったのである。

 私はそれをしなかった。中身の無い頭を抱えながら、試験を受けてしまった。

 なんとも恥ずかしい限りである。

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