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hidekのエンジニアと長話 第7-1回【全文書き起こし】~ゲスト:Supership exCTO 山崎大輔氏~

stand.fmで配信中の「hidekのエンジニアと長話」7人目のゲストは、Supership exCTOの山崎大輔さんです。

「hidekのエンジニアと長話」は、メルペイVPoEのhidek(木村秀夫)さんをメインパーソナリティにお招きし、ゲストエンジニアとともに作っていくスペシャルトーク番組です。

第7-1回の今回は、Supership exCTOの山崎大輔さんをお招きして、魔界村や87番目にYahoo! JAPANに入社したきっかけ、Yahoo! JAPANでの仕事などについて語りました。

※本記事は、2021年6月11日にstand.fmで配信を開始した番組を書き起こしたものです。


ゲスト
山崎大輔(@yamaz)氏
Supership exCTO

メインパーソナリティ
hidek(木村秀夫)氏 @hidek
株式会社メルペイ VPoE(Vice President of Engineering)

パーソナリティアシスタント
gami(池上)氏 @jumpei_ikegami
株式会社プレイド エンジニア

山崎大輔さんの経歴

gamiさん(以下、敬称略):皆さんこんにちは。「hidekのエンジニアと長話」進行役のgamiです。今回もhidekさんと一緒にゲストの方のお話を聞いていければと思います。番組への感想は、stand.fmのコメント機能かTwitterハッシュタグ、#hidekのエンジニアと長話、この番組のタイトルと同じハッシュタグまでお願いします。ということで、メインパーソナリティはこの方、hidekさんです。よろしくお願いしまーす。

hidekさん(以下、敬称略):お願いしまーす。こんにちは!

gami:こんにちはー。今日はなんかミーティングがあったみたいで。

hidek:すみません(笑)。始まりが押してしまって申し訳ないです。

gami:とんでもないです(笑)。

hidek:微妙に忙しかったです。申し訳ないです。

gami:(笑)。

hidek:この時期、クオーターのおわりがそろそろ始まるので、重たいんですよね。

gami:たしかに。クオーターの境目だといろいろあるんですかね。言える話・言えない話があるかもしれないですけど。

hidek:そうですね。やっぱり、普通にマネジャー業として評価みたいなものもある。あと、僕の会社は7月始まりなんですよ、年度が。珍しいんですけど。そうすると6月って年度末なんですよね。

gami:おー。

hidek:ちょっとすみません、生々しいんですけど。そんな感じです(笑)。

gami:いえいえ(笑)。では、今日も始めていきますか。

hidek:はい。よろしくお願いします!

gami:よろしくお願いしまーす。ということで、本日のゲストの方をお迎えしております。山崎大輔さんです。よろしくお願いしまーす。

山崎さん(以下、敬称略):よろしくお願いします。山崎です。

hidek:お願いしまーす。

gami:お願いします。山崎さんを知らない方もいらっしゃるかもしれないので、簡単に自己紹介などをいただいてもよろしいですか?

山崎:はい。山崎大輔と申します。もともと大学を出て、テキサス・インスツルメンツという半導体会社に入ってやっていたんですけれども、そのあと、Yahoo! JAPANに入りました。で、Yahoo!では結構初期のメンバーで、87番ですかね。結構小さいときに入った、100番以内に入りました。そのあと8年くらい経って独立して、スケールアウトという会社を作って、そこのエンジニア社長をやっていました。で、スケールアウトっていう会社はトーク配信システムを作っている会社で。で、そのあと、いわゆるアドテックというジャンルの仕事をしていたのですが、そのあと、KDDIグループに買収されて。で、そのあと、今も頑張っているSupershipという会社にKDDIの中で名前を変えて合併してですね。そのあとですね、結局買収されて7年くらいやって。で、昨年の11月で取締役を退任して、Supershipでは取締役CTOをやっていたんですけども、今はフリーと言いますが、次の起業を考えているだとか言っているんですけど、概ね無職と言いますか。

hidek:(笑)。

山崎:そんな人間でございます。よろしくお願いします。で、歴としては20年くらい業界にいるので、皆さん、リスナーの方、わからないですけど、結構おっさんというか、いろいろ経験しているエンジニアでございます。本日はよろしくお願いします。

gami:よろしくお願いします。

すごく大事な「魔界村」の話

hidek:よろしくお願いします。そうですね。僕も山崎さん、はじめましてなんですけど、前回の尾藤さんからのご紹介というところで、尾藤さんからメッセージいただいています。「魔界村ばっかり遊んでたらダメ人間になりますよ! また、zigorouさんと一緒に飲みにいきましょう!」というところで。なんか「魔界村」っていうキーワードから、おじさん臭が(笑)。

山崎:あー、魔界村ね。ちょっと1分くらい話させてほしいんですけど。これはすごく大事な話なので。魔界村っていう超難しいゲームがあるんですけど、それの最新版の『帰ってきた 魔界村』っていうのが今年の2月にリリースされたんですよ。で、それ本当に難しくて、僕、一応、歴代の魔界村は頑張ってクリアしたんですけど。これ本当に難しくて、たぶん50時間くらいやって、やっと1周できたんですよ。2周しないといけないんですけど。50時間で、本当に難しいゲームで。今、無職じゃなかったクリアできなかったんじゃないか、くらいの内容のゲームで。ただ、これ本当に、バカバカしいと思うかもしれないんですけど、僕さっき「起業準備をしている」って話をしたじゃないですか?

hidek:はい。

山崎:起業って、あとで話するんですけど、結構、その事業で頭の中をいっぱいにして、いろいろなことを全部なしにしてやらないといけないんですけど、『帰ってきた 魔界村』で頭の中を全部『帰ってきた 魔界村』にして……。

hidek:(笑)。

山崎:たぶんね、3週間くらいやったんですよ。奥さんとかにちょっと白い目されながら。なので、『帰ってきた 魔界村』はそういう人にとっては大事なゲームなので「知っておいてください」という意味のない宣伝でした。

hidek:(笑)。たぶん僕と同年代だと思っていて。

山崎:そうですね。ちなみにおいくつ、何年生まれですか?

hidek:1970年生まれです。

山崎:僕、1972年なので近いですね。

hidek:そうですよね。なので、魔界村ってすごく僕も思い入れのあるゲームで、それこそあれファミコンですよね?

山崎:ファミコンです。ファミコンです。

hidek:ファミコンですよね。今ってデバイスは何になるんですか? その最新版の魔界村は。

山崎:Switchですね。今度Steamも出るみたいなんですけど、基本的にはSwitchですね。

hidek:Steam……、PCでやるんですか、これ?

山崎:まあPCでも今後できるんじゃないですかね?

hidek:そうなんですね(笑)。魔界村ってあれですよね、難易度っていうのが、衝突判定がすごくシビアっていうか、それで難しいですよね。

山崎:シビア。そうなんですよ。で、今回本当にひどいのが、難度が選べるんですけど、最高難度がデフォルトなんですよ(笑)。

hidek:(笑)。

山崎:普通、「普通難度」「高難度」「Ultimate」みたいな、「Nightmare」みたいな、そういうレベルの上がり方がするじゃないですか、ゲームって。ただ、今回は、最初から一番難しいのがデフォルトのレベルで、「それでクリアできなかったらレベル下げていいよ」みたいなそんな感じなんですよ。ひどい。

hidek:(笑)。

山崎:だけど、それがまた面白くて。なんか、すみません。魔界村の話は(笑)。

hidek:全然大丈夫ですよ。そういうポッドキャストなので、全然大丈夫です。

山崎:あ、そういうポッドキャスト? でも、本当に言うんですけど、『帰ってきた 魔界村』を1周した人はたぶん日本で300人くらいしかいないはずで、おそらくは。1,000人いたら結構多いかな、って感じなので。皆さん、興味があったらプレイしてください。

hidek:魔界村……。難易度って、衝突判定が厳しくなるんですか? それとも敵のキャラクターの数が増えるんですか?

山崎:難度は変わらないんですよ。キャラが出るスピードとかは全然変わらないんですけど、中間ポイントの数が極端に短くなるんですよ。難度が高くなると。

hidek:あー、なるほど。

山崎:だから、前半をやるのに5分くらいかかるんですけど、5分間、濃密に行かないといけないんですよ。

hidek:なるほど(笑)。

山崎:で、その5分は本当に超集中しないといけない5分間で。だけど、難度が低くなると、その5分間が4分割にされたり3分割にされたりして、どんどんラクになる、っていうそんな感じです。

hidek:あー、やり直しがちょっとききやすい……。

山崎:やり直しがききやすい。途中からできる、っていう。

hidek:なるほどですね。わかりました。ありがとうございます。そうですね。まさに僕なんかは世代がぴったりなので、ちょっと本当におじさんトーク(笑)。今回もおじさんトーク多いんかい、って話なんですけど。本当に年齢近くて。冒頭の自己紹介の中で「テキサス・インスツルメンツ」なんていう話が出てきたときに、意外と僕ら世代ってITがなかったじゃないですか?

山崎:なかったですね。

hidek:だから、結構、半導体業界から来る方とか。

山崎:メーカーとか多いですよね。

87番目にYahoo! JAPANに入社したきっかけ

hidek:メーカーとか多いですよね。なので、すごく懐かしいな、と思ったり。で、Yahoo!が87番目?

山崎:はいはい。

hidek:当時のYahoo!ってどんな感じなんですか?

山崎:当時のYahoo!は……。Yahoo!って、インターネットの最初の企業ではないじゃないですか?

hidek:はい。

山崎:だから、海のものとも山のものとも、「インターネットってなんだ?」みたいな、僕はYahoo!に入ったのが1998年なんですけど、「インターネットってそもそも何?」みたいな、そういう感じのノリの状況だったんですよ。だから、入ってくる人も、例えば今のメルカリとかってわかってるから、優秀な人が最初から入ってくるじゃないですか?

hidek:はいはい。

山崎:だけど、そんなんじゃなくて、「楽しそうだから入ってきた」とか、そんな感じのノリなんですよ。

hidek:へー。

山崎:だから、最初の100人とかは、本当に「ピカピカのエンジニア」とかそんなのじゃなくて、そもそもエンジニアって30人くらいしかいなかったのであれなんですけど、「楽しそうで面白そうなことできそうだから」って入ってきた100人とかそんな感じでしたね。

hidek:なるほどね。僕、1996年くらいかな、に今のGMO、バリバリのインターネットサービスプロバイダやってたときにバイトみたいな形で入って、そこから社員になっちゃったんですけど。そのときって、僕は結構「インターネットに触れたいな」っていう思いがあって。

山崎:へー。

hidek:そうそう。だけど、自宅でやるのってお金がかかったじゃないですか、当時。

山崎:うーん。

hidek:山崎さんがYahoo!に入るきっかけみたいなのってどんな感じだったんですか?

山崎:僕、もともとテキサス・インスツルメンツ(TI)っていう、皆さん知らないかもしれないですけど、当時世界3位の半導体会社に勤めてたんですよ。で、当然トップはインテルで、2番目はGoogleに買収されちゃったモトローラって会社があったんですけど。で、当時、TIってめっちゃ儲かってて、絶対潰れないっていうくらいの感じで。当時、エンジニアというかコンピュータをやっていた人って、ソニーとかIBMとかそういうところに入るんですけど、僕は外資系に行きたかったのでTIというところを選んだ、と。そのときに、それで一生普通のエンジニアとして頑張って、全うして、退職金もらっておわりだね、ってそんな感じのつもりでいたんですけど。

hidek:うん。

山崎:入って2ヶ月くらいして、世界全体でリストラが起きたんですよね。

hidek:あー。

山崎:で、3万人くらい社員がいたんですけど、1万人くらいクビになったんですよ。

hidek:あー。

山崎:で、「おお、来たぞ!」とか思って。僕、新卒だったので、当然リストラの対象にはならなかったんですよ。

hidek:うんうん。

山崎:で、そりゃ「給料も安いし残しておいた方がいいよね」みたいな話で。で、リストラがあったから、1万人減ったから、「これからめっちゃ仕事大変になるのかな?」と思ってすごく身構えてたんですけど、超ラクだったんですよ。それはどういうことかと言うと、日本のビジネスってワールドワイドと切り離されてて、結構稼いでたんで、少ない人数でも回せる感じだったので、ラクだったんですよ。でも、「え、これ超ヤバくない?」って思って。「なんでリストラしたのにこんなラクでいいの?」みたいになって、すごく怖くなったんですよ。

hidek:うんうん。

山崎:で、僕、もともと大学時代にコンピュータネットワークの勉強をしていて、もともとネットワークの勉強をしたかったんですよね。

hidek:なるほどね。

山崎:で、「じゃあちょっと本当にやりたかったネットワークやるか」と思って。だけど、僕、人生ラクに生きたかったので、あとから何度も出てくるんですけど、僕、人生ラクに生きたいと常に思っているので。超デカい会社に入って易々と生きたかったんですけど、「ちょっとこれ無理そうだな」と思ったので、インターネットの方に向けていろいろな転職活動とかしてたんですけど、「一番最初に受かったのがYahoo!だった」っていうそんな感じです。

hidek:なるほどですね。当時、TIってなんでダメになったんでしたっけ?

山崎:メモリー部隊を持っていて、メモリーが日本とか韓国(サムスン)とかにすごくやられてて、薄利多売みたいな戦いになったときにアメリカが対応できなくなっちゃったんですよね。

hidek:あー、なるほど。

山崎:で、そのときに、もともとBSPっていうロジックICっていうのを持っていて、「そこに集中しよう」って話になって、メモリーもバツっと切ったんですよ。それが3分の1だった、っていう。

hidek:あー、なるほどね。じゃあ、選択と集中の中で……。

山崎:そうそう。

hidek:なるほどなるほど。でも、この辺もわからないですよね。今、インテル、当分は大丈夫だと思うんですけど、インテルも結構パワーを失っているというか。

山崎:そうなんですよ。

hidek:だから、これ、何が起こるかわからないので。おっしゃるとおり、今って、どこでも言われていることなんですけど、「大企業にいてのうのうと暮らす」っていうのは結構厳しそうですよね(笑)。

山崎:厳しい厳しい。大企業でずっと30年持たせるのは無理っすね。

初期のYahoo! JAPANでの仕事

hidek:あー、そうですよね。で、そのYahoo!に転職なさって。で、インターネットのエンジニアとしての……。

山崎:そうです。

hidek:なんか、具体的にどんなことをやってたんですか?

山崎:僕が入ったときって、Yahoo!掲示板がまあまあ盛り上がってて、Yahoo!メールがやっと立ち上がって、Yahoo!ショッピングが2年後だね、みたいなそんな状況だったんですよ。

hidek:なるほどですね。

山崎:状況的には。で、Yahoo!スポーツとかYahoo!ファイナンスはあったよ、みたいなそんな感じなんですよ。ヤフオクとかもなかったですし、Yahoo!BBとかもなかったよ、みたいなそんな感じなんですよ。

hidek:うんうん。

山崎:で、そのときエンジニア20〜30人いたと思うんですけど、なんでもやらされましたね。当時って、OSってFreeBSDっていう、Linuxとかのあれよりも古いOS……、「古い」って言うと一部の人に怒られちゃうんですけど(笑)、でやってたんですけど。当時って、サーバって落ちるんですよね、OSの不具合とかで。

hidek:はい。

山崎:今じゃそんなの考えられないですけど。だから、「データセンターに毎日4回行く」とかそんなことをやって、「電源ポチってやる」みたいなことが最初の仕事でしたね。

hidek:へー。あ、そうか。当時、そうか! Yahoo!ってFreeBSDだったんですね!

山崎:FreeBSDです。

hidek:Linuxじゃないんですね。

山崎:違います。最近はもうLinuxらしいんですけど。

hidek:そうか。当時だとLinuxがまだ出たばっかで、そんなにあれですかね。1998年とかですよね?

山崎:そうですそうです。

hidek:それだとちょっとLinuxしんどいかもですね。

山崎:しんどいですね、だいぶ。Linuxやっと出たかな、みたいな感じだと思いますよ。

hidek:でも逆に、SPARC Solarisじゃないんですね。

山崎:それもあったんです。ただ、それは本当にそれじゃないとできないやつだけで。基本的に、Yahoo!ってアメリカに本社があって、そこからソフトウェアの供給を受ける、っていうビジネスモデルだったんですけど。アメリカって常に日本の10倍くらいアクセスを受けていたので、Solarisとかを並べているとお金がもったいないんですよ。

hidek:はいはい。

山崎:ハードウェアも買わなきゃいけないし、ソフトウェアも買わなきゃいけないので。もったいないので、基本的にはタダのソフトウェア……、タダっていう言い方も失礼なんですけど。OSSで構成されていて。だからFreeBSDでしたね。

hidek:なるほどね。当時だと、データベースはたぶんOracleを使ってた?

山崎:そうそう。Oracleですね。

hidek:そこはたぶんOracleがサポート、当時だとFreeBSDはおろかLinuxもサポートしていないので……。

山崎:ないですないです。だからそこはOracleでしたね。

hidek:そこではSolarisを使うイメージですよね。

山崎:あ、そこはWindowsだったんですよね。

hidek:え! そうなんですか? SQLサーバーですか?

山崎:言っていいのかわからないですけど。そう。Windows NTでOracleが動いてた、っていう。

hidek:あ、そうなんですね。えー。それはそれでお金かかりますね。

山崎:あ、そうですそうです。

Yahoo! JAPANを辞めて起業した理由

hidek:なるほどですね。で、そのあとYahoo!を卒業。何年くらいいたんですか、Yahoo!は?

山崎:僕、8年くらいですかね。

hidek:うんうん。8年いると、普通にマネジャーとかもやった感じですか?

山崎:はいはい。最終的には20〜30人くらいですかね。で、エンジニアやってましたね。

hidek:うんうん。なるほどね。そのころって、辞める8年のころには、今はYahoo!JAPANってアメリカからも独立してるし、ソフトウェアもたぶん自分たちで自前でやってると思うんですけど、当時8年経った時期でも、やっぱりアメリカからのソフトウェア供給だったんですか?

山崎:そうですそうです。で、ちょうどGoogleとかがめっちゃ来てたときで、海外に対抗しないといけない、って話だったんですよ。ただ、Yahoo!って、当時、Googleみたいにテックセントリックじゃなかったんですよね。テリー・セメルっていう人が社長になったんですけど、その人はメディア上がりの方で、「Yahoo!はメディア会社だから、メディアとして推すんだ」っていう風にやってたんですよ。

hidek:うんうん。

山崎:で、そうしてたらGoogleとかに完全にやられて、今後どうするか、みたいな話で戦ってて。そんな時代でしたね。

hidek:なるほどですね。で、起業っていう道を選んだ、その転換点みたいなものってあったんですか?

山崎:もともと僕、さっき言ったとおり野望のないエンジニアで、「普通に退職金もらって人生ラクに暮らせればいいや」と思ってたんですけど、リストラとかあったら苦しいじゃないですか?

hidek:はい。

山崎:リストラとかあると、リストラに怯えながら人生を歩まなきゃいけない、みたいになっちゃうので、それがすごくイヤでYahoo!に転職したんですけど、青天井な業界を求めて。

hidek:はい。

山崎:で、当時のYahoo!って超最強で「インターネットと言えばYahoo!」みたいな感じだったんですけど、Googleがやっぱり来ていて。例えばAdSenseとか。検索とかも昔は、例えばあるワードで検索したときに、ちょっと古いんですけど、AltaVistaみたいな話だと、ワードがたくさん散りばめられているページが検索したときにトップに来るみたいな話だったんですけど。Googleって「ページランク」みたいな、「グラフ理論を利用した」みたいな話になっていて。結構クールで、かつ、実用に足る、みたいなのをやってきたじゃないですか?

hidek:はい。

山崎:ああいうようなテクノロジーがYahoo!にはあまりなくて。

hidek:うん。

山崎:言っていいのかな? まあ、行きましょう(笑)。それに対して、アメリカがちょっと頼りなくなってきたので、日本は日本で「自分たちで防衛しなきゃいけない」みたいな感じになったんですよ。

hidek:うんうん。

山崎:で、そのときに、もともとAdSenseみたいなのが来たときに、「AdSenseを作れ!」みたいな話が社長から来て。で、僕、広告システムをずっとやってたので「お前作れ」って話になったんですよ。

hidek:はい。

山崎:「じゃあAdSense作りますか」って話になって。AdSenseの調査を始めるじゃないですか?

hidek:はい。

山崎:で、AdSenseって、リスナーの方わかっているかわかんないですけど、ブログとかいろいろなページにタグを貼ると、そのページに沿ったいい感じの広告を出してくれる、っていう。例えば、自動車のページには自動車の広告が出て、食品のページにはいい感じのキッコーマンの広告が出る、とか。そんな感じのプロダクトなんですけど。よくよく調べてみると、そのいい感じの広告が出るということは、Google自体が「そのページがどういう広告を出せばいいか」というのを知っておかなきゃいけないわけじゃないですか。

hidek:はい。

山崎:ということは、Googleはそのページを全部事前にクロールしてないとわからないわけなので、「インターネットを手元に持っておかないと、そのAdSenseというのは成立しないんだな」ということに気がついたんですよ。まあ、当たり前ですよね。

hidek:はい。

山崎:で、「インターネットを手元に持っておきゃなきゃいけない」ってだいぶキツい話じゃないですか。

hidek:そうですね(笑)。

山崎:Googleとかは「インターネットをgrepするためのシステムがあるんだ」みたいなことを言ってますけど、それを持たなきゃいけないってだいぶしんどい話で。「え、これを作らないとGoogleには対抗できないの?」って思っちゃったんですよ。で、Yahoo!ってさっきも言ったとおり、アメリカからソフトウェアを提供してもらって、アメリカって超戦いが行われているので、すげー鍛えられたソフトウェアなんですけど、それで鍛えられてめっちゃ完成されているソフトウェアを2〜3年遅れた日本にピュッと投入するとシュッと勝てる、みたいなそんなビジネスだったんですよ。

hidek:はい。

山崎:だから、ヤフオクとかも、いろいろなオークションサイトが立ち上がりましたけど、アメリカ側が「絶対にeBayとかが入ってくる前にすぐやれ!」みたいな感じで、シュッと入ってシュッとやってヤフオクができたんですけど。あんな感じで、我々ソフトウェアエンジニアからすると、入れてちょっとローカライズするくらいの話で、全然大した話じゃなかったんですよ。やらなきゃいけないことは。

hidek:はいはい。

山崎:ビジネスはデカいですよ。ヤフオクとかすごいじゃないですか。だから結局、僕自身の市場価値を考えたときに、「あれ、実はYahoo!で超デカいビジネスやってるけど、9割くらいはYahoo! Inc.のソフトウェアに頼っていて、自分の実力って10%あったらいいくらいじゃないの?」ってちょっと思っちゃったんですよ。

hidek:うんうん。

山崎:で、Googleとかやってくる中で、でも、Googleとかには対抗しないといけない、って話になったときに「これちょっとやべーな」って思って。僕、当時、さっき言ったとおり87番で入って。hidekさんとかはわかってると思うんですけど、スタートアップって、最初に入ると、そのままシフトして偉くなるじゃないですか?

hidek:そうですね。一般的にはね(笑)。

山崎:ちょっと今、苦笑いしてましたけど(笑)。これ、事実で。ちょっとこれ大事な話ですよ、リスナーの皆さん。聞いておいてください。スタートアップって、最初に入ったらそのままシフトしてまあまあ偉くなるんですよ。ちゃんとバリューを出していれば。要するに、87番で入ると何が起きるかというと、当時、辞めたときに4,000人くらいいたと思うんですけど、4,000人中87番まで偉かったとは言わないですけど、まあまあちょっと偉かったんですよ。だから、今のYahoo!のデカさを考えると、残ってても結構いけたはずなんですよ。

hidek:うん。

山崎:なんですけど、さっきのTIでのリストラの話とセットになって、「あれ、このままだと、もしかしたら……、Yahoo!は絶対勝ち続けられると思うんだけど、結構、未来的には、自分の能力は、9割はYahoo! Inc.の、Yahoo! JAPANのビジネスの10%くらいしか自分の実力を発揮できていないと考えると、「あれ、もしかして俺って、このままだとリストラになっちゃうんじゃねぇの?」って思ってしまって、「このままだとヤバい!」って思って辞めた、っていうそんな感じです。

hidek:へー。



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