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自己紹介(聴覚障害者との出会い)

前回、自己紹介を書き始めたら、意外にいろいろ書きたくなってしまい、長編になる予感がしたため、noteを内容別に分けて書いてみたいと思います。

前回は、「差別」というものと出会い、差別とそれ以外について意識して世界を見るようになった話しを書きました。よかったらお読みください。

https://note.com/standbyhearing/n/ne61c6b48c7f8/edit

そんな、私が次にであうのは「聴覚障害者」です。今の私にとって、聴覚障害者という括りは非常に大きな括りだなと思いますが、当時の私にとっては、非常に小さな括りだと感じていました。その当時の思い出話です。

別世界の人としての「聴覚障害者」との出会い

小学生のあるとき、学校の授業で聴覚障害者の講演がありました。講演の内容をすべて覚えているわけではありませんが、指文字の書かれたプリントなどが配られ、体育館で講演を聞いて、指文字を実際に手を動かしてみるという講演でした。結構指文字を覚えるのが楽しくて、自分の名前を指文字でしてみたり、友達に指文字でメッセージを送って、読み取れるかなどをして楽しい講演だったことを覚えています。

この講演の終盤で、質問の時間がありました。そこで、1人の女の子が感想と質問をしていました。質問の内容は忘れてしまいましたが、感想は「耳が聞こえなく生まれてきたことをかわいそうだと思いました」というものがありました。それに対して、講演者である聴覚障害者の人が、「かわいそうだと思わないでほしい」と発言とともに、質問についての回答をしていたように思います。

「かわいそう」と思うことはいけないことなのか

教室に戻り、講演について先生から「かわいそうだと思うことはよくないこと」という趣旨の話があったことを覚えています。私は、先生の発言に非常に違和感を抱いたことを覚えています。当時の私は、なぜ自分がそこに違和感を感じているのか理解できていませんでしたが、今思うに、「かわいそうだと思われることがいやだ」ということ、「かわいそうだなと思うことがよくないこと」ということは、等価ではないということをはっきりと理解できなかったことにあると思います。他人からかわいそうだと思われたくない気持ちは、誰にでもあることだ思います。一方で、誰かや何かをかわいそうだと思う気持ちも、誰にでもあることだと思います。この誰にでもある心の動きを、「一方的に抱いてはいけない感情」と説いたことに違和感があったのだと思います。

あとがき

今回は、福祉の中でも、なぜ聴覚障害に興味があり、補聴器について興味を持つようになった人生の入り口の思出話でした。まだ、続きます。自分の人生を振り替えることのできるきっかけになってるなと、次に自分がどう生きていくのかが楽しみです。

#自己紹介 #聴覚障害者 #障害者

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