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意味を見いだせないとき

私は洗車をする気に全くなれない。

ピカピカの車とドロドロの車では多少印象が異なるのは間違いない。

しかし車は移動手段に過ぎないと言う価値観を持っており、洗車に意味を見いだせない。

家の一部として車庫を作り部屋から車を眺めるような車好きの人にとっては、ピカピカにする意味はあるものの、それ以外の人にとって数日後には汚れてしまうことが明らかなことにお金や手間をかけるのは「無駄」に感じてしまう。

もちろん「無駄」が悪いと主張する気はない。

ガソリンスタンドで楽しそうに洗ったりワックスをかけたりしている人を見ると、意味の有無ではなく、個人の趣味・楽しみなのだと思う。

しかし私は洗車に意味を見いだせないので洗車はしない。油膜で前が見えずらくなったときに、窓を拭く事はあるもののそれ以外はしない。

無意味と思いながら行動すること

先日 家族に強く言われて洗車をした。

と言っても機械式で1番安いコースである。

しかし無意味と思いながら、自分の財布からお金を出し、自分の時間が消費(浪費)させられるという嫌な思いをした。

人が感じるストレスの度合いはやらされる内容ではなく、自分が意味がない、したくないと思うことをさせられることこそが、極めて強いストレスになるということが重要である。

良かれと思って人に勧めたり何かをさせても、本人が意味や理由を十分に理解しないままでは何ら意味がない。

意味がないどころか非常に大きなストレスになることが多いということは忘れてはいけない。

「高校くらい卒業しておいたほうが良いよ」と親が頑張って学校に行かせても、本人にとっては拷問でしかない。

会社で上司が部下に自分のやり方で仕事をやらせても不満がたまるだけである。

家族や主治医が回復のためと「毎日5分外出して散歩しよう」と言っても、つらいだけである。

指示をするときには意味や意図を伝える

人に何かを言ったり指示するときには、相手に理由や意味があるということを十分に伝えることができているかを吟味するべきである。

十分に伝えられていなければ、お互いの努力はプラスにはならずにマイナスになることが多い。

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