回復する意味を見いだせない
うつ病の回復にとって、「回復したい!」という気持ちは非常に重要である。
しかし「回復したい!」という気持ちを全ての人が持っているわけではない。
40歳男性 うつ病
元々真面目で何事にも全力で取り組む人。
大手会社に入社以来ひたすら働き続け、残業も休日出勤も当たり前のようにこなしていた。
仕事は大変でストレスも多かったもののやりがいを感じていた。
部下に対して厳しい発言も多かったものの、面倒見も良く評価も高かった。
しかし出世を機にうつ状態となり治療開始となった。
治療によりある程度は改善するも、その後 すっきりしない状態が長く続いている。
仕事に復帰するも、すぐに元気がなくなり表情も険しくなっていき、朝起きて服を着替えるも玄関で動けなくなり仕事に行けなくなってしまう。
自宅で数週間休んでいるとまた改善してくる。
自宅では表情も良く、家事もある程度こなし、子どもや妻との会話も自然で落ち着いている。
しかし再度 仕事復帰を目指そうとすると悪化する。
妻は家計を支えるために働き始め、家事を比較的しっかりとこなすようになった。
妻としては、家事や育児をある程度はしてくれるし、無理に出勤してまた悪くなるのも心配なので「これでもいいかなぁ」という言う気持ちもあるものの、収入は以前に比べると減っており、なんだか自分だけが苦労している気分になりすっきりしない思いを抱いている。
本人の気持ち
このような状態に陥っている人は意外と多い。
ある程度は回復しており、頭も体もある程度は動き、日常生活はほとんど支障がない。
しかし「回復したい!」と強い意志を持てない。
それは本人にとって絶望的な状況が目の前にあるからである。
職場の環境はつらく冷ややか と思ってしまう
降格して復職するか、そのままの役職ながら権限はなく名前だけの役職に戻るか、なかなかつらい状況である。
休職中に職場には多大な迷惑をかけており、今までの自分の態度からするとかなり気まずく感じてしまう。
出世コースからの脱落である
自分の休職中に同期は確実に進んでおり、今後 当分の間は責任ある仕事を任される事はなく、出世も期待できず、昇給も期待しづらい。
今後 同期や後輩が自分の上司になることも十分にあり得る。
例外はあるにしても、出世コースからの脱落はほぼ確定である。
さらにこの脱落は同期の活躍を目の当たりにしながら定年まで働くことを意味する。
多少本人の悲観的発想の影響はあるものの、日本企業の多くにおいては事実である。
能力低下を確実に自覚してしまう
日常生活を送るには問題がなく、家族や主治医はほとんど気が付かないものの、高いパフォーマンスを求められる職場や職種においては能力の低下を確実に感じてしまうことが良くある。
これは休職によるブランク、うつ病の後遺症、服薬による副作用、などが絡んでいる。
この能力低下は自覚した瞬間に絶望的になる。
職場から家が自分の居場所に変わっている
今までは家は気を抜くことができる場所・寝るための場所であり、職場が自分の居場所・活躍場所であった。
しかし休職しているうちに、職場は自分の居場所で無くなり、家が妻の無言のプレッシャーが多少はあるものの自分の居場所となり、子育てや子どもとの交流も増え楽しさや面白さが分かるようになる。
未練がないわけではないが、職場の魅力より、家の方が居心地の方がよく感じる。
妻が働いており収入の心配も以前ほどは無くなってきている。
自分が頑張って復職しても、収入が減ることは避けがたく、そこまでの魅力を感じない。
こういった状況の中引け目や絶望感を感じながら、職場にしがみつく事を魅力に感じる事は難しい。
何のためにがんばるのか全く分からなくなってしまい、このままの状態で良いのではと感じてしまう。
この状態で数回失敗を繰返すともう挑戦する気持ちはなくなってしまう。
もう一回頑張ってみようという気持ち
今回のケースように家庭内の状況は比較的良く、現在の状態でもそれはそれで何とかなるのではないかと言う状況であればまだ良い。
状況的に厳しい場合、例えばローンが大きく妻の仕事による収入ではとても追いつきそうにない場合、家ではお酒を飲み怒鳴ったりなどの問題行動が増加している場合には最悪である。
この状況に陥ってしまった場合、本人がどうやって回復したいと言う気持ちを起こすかが最も難しい問題となってくる。
何のためにがんばるのか、何をゴールとして頑張るのか、それを見つけなおす作業が必要となる。
徒競走でトップを走っていた子が転倒し最下位になってしまった状況に似ている。
子どもはがんばり立ち上がり走り出すと、周りの人は大きな温かい声援を送り、その頑張りを評価し注目をしてくれる。
大人はもう一度走り出そうという気持ちは起きづらい。
一生懸命走ったとしても、周りは一部は暖かく応援してくれるものの、やはり冷ややかで一生懸命やればやるほどちょっと痛い状況である。
かといってうずくまったままそのまま倒れられていても、周りの人は困ってしまう。
レースを棄権し、何事もなかったかのように次のレースが始まり、走っている人、一生懸命応援している人をトラック外からぼーと眺める、あるいは医務室で優しい保健の先生に慰められる状態になる。
このまま運動会が終了するまでトラック外から眺めて過ごすか、保健室で優しい先生と温かい時間を過ごすか、再度グランドに戻り運動会に参加するか大きな岐路である。
あなたなら頑張れますか? 頑張ろうと思えますか?
そう思いながら 回復する意味を見いだせない人を支援してほしい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?