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自閉スペクトラム症の診断とは

示唆に富んだ文章を紹介する。

診断とは、「あなたには障害がある」という宣告よりも、「生活上の助言を含めて、いろんな支援を受けたら、あなたの人生の苦しみはかなり減ると思いますよ」という提案だと考えたい。
成人期の発達障害はグレーゾーン群が多い。場面、時期、ストレスなどによって障害特性が顕著になったり目立たなくなったりする。ある時点で障害あり、障害なしとしても意味がない。生きづらさや生活障害が強ければ支援は必要である。

自閉スペクトラム症の診断をめぐって 青木省三、村上伸治 精神神経誌2017 適時改変

誰がどう見ても、自閉スペクトラム症ということが分かる人は問題ない。
この場合の問題ないとは、診断し支援することに誰も異論がないという意味である。

違う病名で治療中の人で情報が増えたり、状況が変わることで発達障害的な要素が強く表れたりしたため発達障害の可能性を疑った人は、発達障害の診断が難しいことが良くある。

診断基準が結構あいまい

自閉スペクトラム症(広汎性発達障害)の診断基準は、

相互の対人的ー情緒的関係の欠落。例えば 「対人的に異常な近づき方や通常の会話のやりとりのできないこと」、「興味、情動、感情を共有することの少なさ」、「社会的相互反応を開始したり応じたりすることができない」「感情を共有することの少なさ」など。

DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引き

というように、やや専門的な用語も多く分かりづらい上に、多い・少ないという極めて主観的な判断を必要とする部分も多く、極めてあいまいである。

しばらく話をしていると感じる違和感が診断の中心となり、判断する人によっても差が生じやすい。

診断は時と場合によって変わってくる

多くの精神障害は基本的に本人だけで病気が成立する。

幻聴がどんどん聞こえてきて被害妄想が出現する統合失調症。
ずっと落ち込んで一日中寝ているうつ病。

無人島にいても症状は変わらない。

しかし自閉スペクトラム症は、基本的に人との関わりの中で生じる障害であり、一人では成立しづらい。

誰とどのような状況で関わるかが、その人の「障害」、生きづらさに直結する。

自宅では全く問題なく過ごせるものの、学校や職場では難しくなる。
クラブや趣味の世界では全く問題なく過ごせるものの、新人が入ると難しくなる。
などは極めて良くある。

そのためある時には障害であり、ある時には障害ではなくなる、という人が多数出てくる。

言葉が結構きびしい

診断基準の、「相互の対人的ー情緒的関係の欠落」という言葉は、感情を共有すること が多いか 少ないかなどで判断するものであるにも関わらず、「欠落」と非常に強い言葉が使われているのは気になる。

元々の英語の意味は本来あるものがちょっと足りない、という意味合いなのかもしれないが、ちょっと日本語ではきつい。

ちなみに ADHDの日本語訳は、注意欠陥多動性障害と「欠陥」という相当きつい言葉が使われることがある。

「私は欠陥商品ですか・・・・」とショックを受ける人も多い。

DSM5では 注意欠如・多動症と「欠如」という言葉が使われており、欠陥に比べると少し柔らかいものの、欠如もなかなかきつい言葉である。

本人の特徴に最も近いのは、注意力にムラがありすぎる・やたらと動きすぎる病だと思うものの、少なくとも病名としては使えない。

説明した際に厳しくネガティブな印象を与える用語は受け入れがたいことが多く、言葉は重要である。

「注意力にムラがありすぎる・やたらと動きすぎる病」は、受け入れてくれる人は多いが、注意欠陥多動性障害は受け入れることができない、受け入れたとしてもプラスとして理解できる人は少ない。

以前 統合失調症は精神分裂病と言われていた。

精神が分裂する病気 と言われて受け入れることができるのは、興奮しめちゃくちゃなことを言っている本人を前にした家族だけである。

発達障害の診断とは上記(青木省三、村上伸治 2017)のように、「障害の宣告ではなく、不器用な面があるので色々な支援を受けたら苦しみはかなり減りますよという提案」という感覚は非常に大切である。

もちろん医学はある程度は、科学的、客観的である必要があり、治療なのかよろず人生相談なのか分からない状態が、ずっと続くのはあまり良いことではないものの、現時点では仕方がないと思う。


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