発達障害という言葉
あの人は発達障害かもしれない
発達障害という言葉は普通に使われるようになってきている。
「あの人は発達障害かもしれない」という風に、他人のことを発達障害の可能性を考えることが増えてきている。
この風潮はその人の特性を理解し、特性に合わせた対応をすることができるかもしれないという点では意味がある。
しかし最近の風潮はそれとはちょっと違う気がする。
「あの人は発達障害かもしれない」という言葉は、その人のことをより良く知ろうとしているのではなく、「発達障害という病気の人」という理解をしようとしていることが多いように感じる。
自分の常識では少し理解しづらい人を、ちょっと個性的な人として理解し上手く付き合う方法を模索することを放棄し、病気の人たちで自分たちとは根本的に異なる異物であると理解しようとしているように感じる。
”個性的な人として理解する”ことと”病気の人として理解する”ことの差は、「あの人は発達障害かもしれない」という言葉だけでは区別することはできないものの、その後の対応やその人の生きづらさに大きく影響を与えるため重要である。
発達障害がよりよく理解されるために
発達障害のことがよりよく理解され、すべての人にとってプラスになるためには、以下の点が重要である。
・発達障害はスペクトラムである
極めて強い障害を抱えた人から、普通の人とほとんど変わりがない人まで境界がない。
・発達障害は病気ではないし異常でもない
今のところ多数派が「普通」とみなされているだけで、将来的には軽度の自閉症スペクトラム症の人が多数派になることもあり得る。
・特性を理解し特性に合わせた対応で上手くいくことが多い
例えば耳で聞いたことは理解しづらい人とは、目に見える形でコミュニケーションを取るようにしたほうが良い。
多くの人が、耳で聞いたほうが理解しやすい人、目で見たほうが理解しやすい人、実際にやって見せたほうが理解しやすい人、など様々な人がいるということを理解しその人に合わせた対応ができるようになるのが良い。
少し前に使われることの多かった「不思議ちゃん」。
ちょっと変わった子で不思議なところがある人という、ある種の親しみを持った言葉であり、今の「あの子は発達障害だから」よりはるかにプラスの言葉だと思う。
最近はHSPという言葉が”流行っている”らしい。
Highly Sensitivity Person、非常に感性や感受性の高い人たちのことを指す。若いころプログラミングに興味のあった自分にはHSP=Hot Soup Processorである。
これもまた様々な人がいて、それぞれいろいろと苦労しているということが理解できるような流れになって欲しい。
決して「私はHSPだから ちゃんと理解してください(特別扱いしてください)」「あいつはHSPらしいから面倒な奴だな」という方向に進まないことを望みたい。
医学用語が一般的に使われるようになる時に、本来の意味合いからずれて、違う意味合いが付け足されることはよくあることである。
今後「発達障害」という言葉自体が、治療的な意味合いを持つようになるためにも、医学用語が正しく伝わるようになってほしい。
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