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潜るのに疲れたら浅瀬で水遊びしてもいい(ただし陸に上がるかは慎重に)

小説を書く準備をしている。
実際には、小説を書く準備の助走のためのストレッチくらいの作業をしている。具体的には、パソコンの前に座ってぼんやりするなどである。普段のインターネットがソファとタブレットであるので、ここまで持ってくるまでにかなり時間がかかっているのだけど、これでやるぞ、となれるのはいつかはまだなんともいえない。たぶん11月のどこかでは本格的にやるぞ、という声がけをしているのではないかと思う(誰と?)。

noteを開いた意味はまったくないのだけど、表題の最近考えていることについて。

何かを勉強しようとしたとき、あるいは創作をしようとしたとき、どうしてもそこに向けて深く深く潜る必要が出てくる。息を止めて、自分が潜れる範囲の深さまで行き、そこで得られたものを掴んで、苦しくなったら水面まで戻ってくる。これを繰り返して、少しずつ潜れる深さを伸ばしていき、誰もまだ持っていないのではないか、というものを見つけようとする。(メイドインアビスみたいだ)もっとも、現代ではその苦しさをやわらげ、より早く深く潜るための酸素ボンベなどのアイテムがある。教科書や理論書だ。そういうものを使って効率的に行く方法もあるが、結局はやることは一緒で、一人きりで潜るしかない。ガイドはつけられても、光が通りにくくなった深さでは一人なのと一緒だ。
この理屈は、単純明快だけど、はっきりいってとても疲れる。何度も何度も簡単にトライできるものではない。行くという覚悟を決めて、大きく息を吸い、水圧に逆らっていかなければならない。
だから、深く潜るのはここぞというときにして、普段は水素ボンベの扱い方を復習したり、浅瀬で遊んだりすることにする。浅瀬で遊ぶというのは、周辺事例を調べたり、もしかしたら必要になるかもしれない程度の参考文献を集めたり、一見関係のない外出をしたりすることだ。というか、何をしていてもいいのだけど、心の中では浅瀬にいるということを意識して、足元は濡らしたままにしておく。そうしないと、いざというときの潜る気持ちが遠ざかってしまう。思い切って陸に上がることも大事かもしれないけど、それは最終手段の、完全なオフとして割り切ってやるくらいの勢いが必要で、たぶん、戻るのは容易ではない。潜水ポイントが明らかに間違っているときなんかは、いっそ陸に上がることもあるだろう。

そんなこんなで、一度陸に上がってまったりしてしまった私は、いよいよ潜水をするために、浅瀬でパチャパチャ水を蹴っているのであります。私の言っていること、5%くらいは伝わりましたか?

じゃあ、そろそろどこに潜るか決めないと。
ああ、でもその前に準備運動はよくしておかないとね。

指先だけ出る手袋、フード付き着る毛布、もこもこのルームシューズでお送りしております。(10月でこれなら年明けくらいにどうなってしまうのか)

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