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2016年についての長くて短い記録

2016年は、仕事もプライベートにおいても2014年に次いで分かりやすく人生のターニングポイントとして記録された。

特に仕事については、ゼロ(というかもはや底辺…)から仕切り直し、点からスタートしたオファーたちがからみあい、想像の上をゆくなぞに複雑な生態系ができあがった1年だった。本来出会うはずもなかったプレイヤーが、ヘンな磁場に引き寄せられあったとしか思えない。ちなみにこれは、年が明けた今も現在進行系である。

個人的には音楽から映像が感じられたり、映画からメロディーやビートを連想したり、小説の中のできごとが自分の記憶に思えたりすることが多かった。表現の領域が侵食されて、自分の生活や記憶にまで溶け込んでいっているような共感覚じみたイメージの触りごこちは、幼少期のそれに近く気分がよかった。

そんな中、様々なメディアと各種のステークホルダー、そして作家たちとの関わりから引き寄せられた、この全然ロジカルじゃない美しい動きの発展を、阻害しないようにつとめることを、編集者としての自分の役割としていた気がする。その動きの中で、自分と周囲の文化的経済的な発展をうながせていた実感は、ある。

あんまりテキスト1年を振り返るのは趣味じゃなかったけど、Googleフォトがあまりにも便利なので、それをベースにさかのぼってみる。

2016_01:住所とは? 共同アトリエと仲間たち

下北沢西口徒歩30秒の部屋を出て一時的に住所不定無職(笑)になり、休息もかねて実家に昨年末から戻っていた。「このまま半年くらい休んでいよっかな〜」と思いながら、いつもよりていねいに料理をしたり、チャリでひたすた自分の足跡をたどったり、『fallout4』をやったり、本を読んでいたようだ。

年始から活動開始。おもに懐かしい仲間ばかりを誘って、飲みに行ったりカラオケに行っていたりしたいた。

アートディレクターの重冨さんと、イラストレーターのたかくら、そして今はベルリンに旅立った松田といっしょに、世田谷のほぼ西端に位置する場所に、共同のアトリエを構えたのもこのころだ。もともと美術スタイリストさんのアトリエ兼ハウススタジオで、彼が亡くなってしまった後を引き継ぐ形でぼくたちは入居した。

本の回廊とキッチンスタジオの存在が、いつもぼくらをわくわくさせてくれた。手触りのある場所と資産を受け継ぐ、ということにも胸にじんわりと幸せの成分のような何かが毎日のように広がって、この3人とはこの時期、ずっと一緒にいた。

この頃同時多発的に、仕事のオファーが舞い込んで混乱する。


2016_02:TVCM、まちづくり、エリアブランディングと経堂の日々

経堂に根を下ろした。

気がつくと編集、取材・執筆、コピーライティング、Web制作などスキルを横断した10案件を年度内納めで平行して進めなきゃならない状態になっていた。混乱しつつ、手書きでガントチャートを書いたりしてがんばっていたらしい。

・某TV局の番組改編告知用CMのクリエイティブディレクション
・佐賀県武雄市のクリエイティブなまちづくり案件
・某鉄道会社のエリアブランディング
・飛騨高山の観光関連事業
・福音館書店のこどものとも60周年フェス事業

の5つは、同年代の友人がクライアントだったり、それまでの自分の仕事と人間関係が交差していただいたオファーで、静かにうれしく感じるものだった。

目下の予算管理と〆切に追われていて、「それではろくになことにならねえ!」と思って先の目標も立てていたらしい。それによると、2017年までに単著を出していることになっている…。


2016_03:自分の名前で書くということ、自分の名前で人と会うこと

前月から続く仕事が、例によってどれも年度末が納期だったため、平行してばりばり進める。このころ米山さんがつくっているイケてる本『GATEWAY』に「歌の在りかは消せはしない』というコラムを寄稿した。

http://yyypress.tokyo

法政大学の学生会館の話と、自分が学生時分の頃につくっていた雑誌のこと、会社を立ち上げたことをオーバーラップさせてまとめた。これが書けたことで、怒りにまみれてものをつくっていた過去の自分を埋葬するのではなく、記憶の襞から現在に連れ出し、一緒に並走することができた気がする。2016年に書いたテキストの中で、もっとも大切なもののひとつになった。

紙ものをいくつかつくった月でもあった。
やはり、紙媒体における作業工程が、ぼくはすきだ。

たくさんラフも切った。

写真集の様に構成する本はあまり手掛けたことがなかったので難儀だった。膨大な撮り下ろしデータから使用するものをセレクトする作業から、常に選ばれなかった世界を想像しながら進める仕事の尊さを知った。スタンプがないので、仕上がったゲラに赤字で、校了、と入れていく。この月で4度の校了があって、疲労で撃沈。

また現在編集長を務めているROOMIEについては、コンセプトのリメイクとエディトリアルコンサルティング的な仕事としてこの頃から関わらせてもらうようになる。

台湾で日本カルチャーを伝える雑誌『秋刀魚』の、下北沢特集で取材を受けたのがこのころ。
http://qdymag.com/#top

Yogee New Wavesの角舘くんと一緒に下北をまわり、たいへんに愛しているぐらばー亭のお母さんと取材を受けたのが、そぼくにうれしい年度末になった。


2016_04:意外としっくりきた三十路のこと

30歳になった。

ドタドタが終わって、「今年は最低年間10試合は野球場に足を運ぶぞ!」と決める(しかしこれも実行されなかった…)。

本当に2016年は海外を含む出張が多く、毎月の半分弱を東京以外の土地で過ごしていた。これは旅が苦手なぼくにとっては、とても真新しい経験で、その土地に固有の文化があることは当然のこととして理解されていたが、それが身体にはにおいや空気、そして現地の人ととの会話(おもに宴席)よって届けられることに、感動をおぼえていた。

この月は定例の飛騨高山とアポなしの無謀な取材旅行で愛媛県に。「3つの太陽」(日光、海の反射光、段々畑の石垣による輻射熱)からおいしいみかんがつくられるということ。八幡浜は、長く滞在してみたい場所のひとつになった。高山祭りは屋台(山車のことを当地ではこう呼ぶ)が圧巻だった。

この月の末から、ふたり暮らしをはじめるために、小田急沿線の世田谷エリアでの内見が開始された。


2016_05:祖父の死と姪っ子の光、昭和の重鎮たち

ひたすらに新しい仕事の仕込み、仕込み、仕込みの月。
自宅とともに、プロジェクト関連ので内見、内見、内見の月。
写真家の雨宮透貴が、イギリスへ旅立った。

祖父が亡くなった。

2親等内の血縁関係者の死は自分にとってはじめての経験だった。
その分生まれてきた姪っ子が家族の中で、人というものを越えた、光、のような存在として認識されはじめた。

書き手としての仕事はこのあたりから減らし、メディアの立ち上げ&リニューアルの案件に自分のリソースのほとんどを充てるよう意識していた。が、ハフィントン・ポストから浅田次郎さんの取材依頼をもらう。これまで小説家に取材する機会は、個人的に恐れ多くやりたいと思ってこなかったが、トライしてみてよかった。

http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/29/asada-jiro-kikyou_n_11190420.html

また雑司が谷のみちくさ市に関連して、東北新社の中野ディレクターと一緒に行っているトークセッションシリーズ「作品と商品のあいだ」では、国内のスタイリストの礎を築いた高橋靖子さんにゲストとしてご登壇いただいた。

原宿セントラルアパートの中心とした当時のカルチャーを直接うかがうすばらしい体験。母が学生時代に今はなき同潤会アパートに出入りをしていたこともあり、様々な感慨とともに聞いた。ヤッコさんは1月にこちらで展示があるので、足を運ぼうと思う。

http://www.beams.co.jp/news/225/

常々自分は昭和的な人間で、生まれる時代を間違ったなあと思っているのだけれど、そんな時代を生き抜いたレジェンドな人たちに会うことのできた貴重な月として記憶された。

また怒涛の内見がおわり、安心して暮らせる自宅が決まったのもこのころ。書籍の居場所がみつかって一安心した。


2016_06:ハバナイと骨折

はじめて出かけたハバナイのライブで、感極まりすぎて骨折。ギブスをつけるほどではない、ちょっぴりヒビが入った程度だったので、忘れないよう「骨折」とメモ。

この月も定例の高山取材。

それ以外は、ひたすら仕込み、会議、仕込み、内見の繰り返し。外に発表できる仕事がなかったことと、かなりバタついていたことで写真が全然残されていなかった。

この月もっともよかったのは、見逃していたジャ・ジャンクーの『山河ノスタルジア』を見れたこと。

というメモが残されていた。ペット・ショップ・ボーイズ『GO WEST』をトリガーに描かれる1999年から2025年の年代記。時代によって、4:3から16:9に変わる画面。何度も見返したい映画。


2016_07:本州で一番澄んだ海

『カルチャーブロス』でのコラム「モニター越しでつかまえて」がこの時からスタート。これも自分個人の考えや、感情を世間に向かって書き綴ることのできるとても貴重なエリアになった。

あとは忙殺っぽい。写真もメモも全然残されていなかった。

プライベートで伊豆半島の南端、下田に旅行。本州で1番きれいな海というものを見た。


2016_08:意外とうれしいデスクの誕生

ROOMIEの編集長に就任。

あたらしいコンセプトをもとに、記事のつくり方の見直しからスタート。リニューアルのプランニングも考えはじめた。客先という気分はあまりなく、固定席としての「自分のデスク」が生まれたことがうれしかった。

この月からひたすらluteとROOMIEのことにリソースを突っ込んで、あいだに地方案件に出かけるというリズムが生まれた。夏の武雄では、ガチなナナフシに出会って感動。夏の飛騨取材では、五色ヶ原のトレッキングコースを回る。

トリカブトの花の美しさや、滝の表情、シラビソの樹液の清涼感を全身で堪能する。山登りを趣味にしようと固く決意し、そしてこれもまだ実行されていない…。

映像作家の仲本くんと、吉開さんの出演するイベントの司会もやった。

演劇におけるレクチャーパフォーマンスを、映像作家の2人がそれぞれの作品を使って行うという意欲的なこころみ。

会場の最寄り駅、上石神井は個人的に懐かしい場所で、おかっぱちゃんハウスという場所もすきになった。
http://h2nakamoto.blogspot.jp/p/blog-page_9.html


2016_09:内見につぐ内見と、仕込みにつぐ仕込み

この振り返り自体に飽きてきたので、箇条書きにする。引き続きluteとROOMIEな月。

・新商品発表会、展示会などの取材モノ多かった。

・そしてオフィス内見、内見。夏の内見は単純に暑いが、みんなでアイス食べたりした夕方が夏休みのようだった。

・luteのネオンサインが届く。ブチアガる。
・池袋西武屋上のかるかやは、やっぱり夏がさいこう。

・TOKYO HEALTH CLUBワンマンがさいこうすぎて、ダルボーイになりたくなり坊主にする。2週間で飽きる。

・みちくさ市イベントで、大学のサークルのパイセンであり『ディストラクション・ベイビーズ』があまりにも素晴らしかった、真利子哲也監督をゲストにお招き。なぜ暴力を主題にするかという作家論から、ひとりの作家としてどう生きてきたかというバイオグラフィーまで色々聞けた。例によって打ち上げはサン浜名でカオス。だれひとり帰ろうとしなかったのが、何よりうれしかった。

・ROOMIEのリニューアルが始動。要件定義書をつめまくる。

・luteのワイヤー書いたりもしていた。

・引き続きオフィス内見。

・武雄では、タイコクラブのみなさんと作り上げた、MABOROSHI FESを開催。田我流パイセンのライブに撃ち抜かれるなど。ハイライトは市長と田我流さんのハイタッチ。


2016_10:秋田、台湾、膝蹴り、流血

luteの大型取材2連発。
秋田県藤里町で開催したフェス・unkindの取材とNDGとの台湾ツアー。

・人口3000人の雄大な自然が売りの町で、来場者は会場(滝やおおきな銀杏の下など)を歩いてまわるというフェス。しかし、転換時間をライトトレッキングに充てていると思えば、苦にならないどころか、運動にもなりものすごく楽しい。田舎道を歩きながら、色んな人と話した。

・1年ぶりの台湾は米原康正さんとNDGのみなさんと。やはりとてもすきな国。街路樹のツタ系植物の茂っているさまなど。THE WALLでのライブでは、せきさんの飛び膝蹴り的ダイブを顔面で受け流血。夜市でドローンを飛ばすことができ、映像班のテンションがものすごくアガっているさまに、アガるなど。米原さんにチェキもらう。

・思い立って、釣りを再開する。バスロッドほか一式購入。自然の中で思考することを、求めはじめた感じ。30センチくらいのバスを釣って、これは継続する趣味になることを予感する。

・luteのロンチ直前合宿で軽井沢に。おいしいものだらけ。車で行くと案外近いことを実感する。

・その直後に見た映画『怒り』で撃ち抜かれて、2日ほど廃人になる。そのことについては「カルチャーブロス」の連載で書いた。


2016_11:同じ月に2つのメディアをローンチしてはいけません

・luteのローンチを3日に。ROOMIEのリニューアルを22日に行った。本気で死ぬかと思った。

・ROOMIEは、ロゴをグルビ金田につくってもらいその他は内製で実装しリニューアルに。エンジニアとデザイナーと編集部の元気玉のような、迅速なリニューアル作業がなんとか完了。

・luteは単純なWebメディアではなく、メディアレーベルという構想を踏まえたβ版としてロンチ。しかし現状の機能的にはWebメディアであるので粛々と。ポケモンだと3段階進化の1番はじめの状態。どんなポケモンに育つかは、ぼくら次第だ。

・親戚のヴァイオリニスト・森悠子さんによる、長岡京アンサンブルのコンサートを見に東京文化会館へ。指揮者不在、弦楽器のアンサンブルならではの、間の読み合いなどに興奮させられた。
http://www.musiccem.org/

・野村秋介さんの晩年を描いた山平重樹さん『激しき雪』を読んでシビれる。今年ベスト10の1冊。過剰な人の人生にやはり惹かれること再確認。

・ART PHOTO TOKYOにluteの人気コンテンツ「ランナーズパイ」で出店。その他のブースも素晴らしかった。名越啓介さんと久々に再開し、直接新しい写真集『Familia』を購入。
http://wired.jp/2016/12/10/nagoshi-keisuke-familia/

2016_12:生き残るも仕事おさまらず、なボーイズ・ライフ

・ROOMIEのリニューアルイベント「東京のボーイズ・ライフ」完了。オオクボリュウ×角舘健吾のボーイズトークは心地よかった。もっと社会性に接続できれば、なおよかった。しかし、イベントタイトル名を「ボーイズ・ラブ」に誤読する女の人がけっこういたのには、笑ったなあ。

・たかくら、小田さんチームで武雄のレジデンスに滞在。ゲームをつくるという新しい仕事にうきうきしながら、毎日夜中まで話し込む。2年前のぼくたちにも戻ってきたような、夢のような時間。当時とは違うのは、実行力が全方位的に上がってきたことだと感じる。

・その他忘年会という名目で、普段仕事ではからめないけど経緯を払い合っている友人たちに会う。こういう時間をわざわざ考えないと持てなくなってきたあたりに、ロマンチックな何かを感じながら酔ういい夜たちだった。

・こう振り返ってみると、「これは死ぬな…」ということがマジなレベルで何度かあったが、案外死なないものだった。自分の特性を踏まえた上での踏ん張り方と振り切り方を覚えてきた気がする1年ではあった。

よい1年だった!
今年も生きよう。

おわり



最後までありがとうございます。また読んでね。