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BUMP OF CHICKENの28周年に寄せて(非ライブ感想)

twitterに書き起こしたけれど、自分で遡りづらそうなのでちょっと再編集してnoteにも残しておく。
※ ライブ感想ではなく、当時から今にかけてのorbital periodの感想です(当たらなかったので泣


BUMP OF CHICKENの28年目の誕生日、一緒に祝いたかったーーーー!(ホームシック衛星Kアリーナは地元なのに両日とも外れてしまった…)ので、BUMPの5thアルバムorbital periodの思い出&曲紹介を書いて気持ちを浄化させたい。

orbital period(アルバムを通して)

リリースされたのは大学時代、就職活動直前のタイミング。
その後もBUMPさんには、ずーっとそうなんだけれど「このバンドは、なんで欲しい時に欲しい言葉を声をかけてくれるんだ!」と支えになってもらい続けている。

CDとは思えない分厚さをワクワクしながら開けたこと。
ふじくん描き下ろしの分厚いブックレットのあたたかくて切ない物語を、沁み込ませるように読んだこと。
同じく物語のように繋がっていく楽曲を、涙が出そうになったり、ぶん殴られたような気持ちになったりしながら聴いていった。

個別の楽曲の中でも書くけれど、orbital periodでもらった言葉や概念は、今にまで続く考え方や感じ方の基盤になってくれているので、出会わなかったら、きっと今のぼくではなかった。
決して今の自分を好きなわけではないけれど、きっともっと鼻持ちならない、独り善がりな人間になっていたと思うと背筋が冷える。

前提としてBUMPはどの時代も本当に大好きだし、どれも大切な曲たちなんだけれど、思い入れっていう意味ではorbital periodは一番かもしれない。

それぞれ140文字で収まるようにと思ったのに書き出したら思いのほか長くなってしまったけど。書こうと思えばいくらでも書けちゃうからこそ、2時間で一本勝負で制限持って書いてみる。
ちなみに当時のホームシック/シップ衛星は、就活を理由に申し込まなかった。今思うと、なんてバカなことを…!それほど就活に一生懸命だった訳でもないのに。。ユグドラシル時代のツアーも受験を理由に諦めたので、今はなきAX渋谷で開催されたグッドグライダーがBUMPの初ライブだった

voyager

無機質な通信音に「はじまり」のワクワク感が詰まっている。
「◯月×日 本日モ 通信試ミルガ 応答ハナシ」に感じる孤独と「ワタシハ ドンナニ離レテモ イツモアナタノ周回軌道上」に感じるあたたかさ。
そばにいないけれど「いつもそばに居たい」とメッセージを送ってくれているBUMPの姿勢を1分半に詰め込んで渡してくれる最高の1曲目。

星の鳥〜メーデー

目に映らないほど遠くで飛んでいるvoyagerから「星の鳥」を通じてあっという間に飛んできて「君に嫌われた君の沈黙が聞こえた」と寄り添ってくれる。
BUMPが以前も今も、ずっと唄い続けてくれている「いつかついた傷」の唄。いつだって見ないように、気づかないようにしている弱さや傷を、ただ肯定するだけじゃなくて。「そこにあるものこそが大事な君なんだ」と唄ってくれる。
※アルバム全体としてそうだけれど「ユグドラシル」までとは「君」と「僕」の関係性が変わってきている感じが伝わってくる。

才悩人応援歌

寄り添ってくれたメーデーと打って変わって、格好つけようとしていた自分・冷めて見せていたかった自分を、ぶん殴るように目を覚まさせてくれたのがこの曲。

「得意なことがあった事 今じゃもう忘れてるのは それを自分より得意な誰かがいたから」
「死にたくなるよ。なるだけだけど。」

等など。当時恥ずかしくなって「ウワァー!!!!!」と転がり回った感情が、今もほんのり残っていて、今聴いても『ウッ!…死』となる。
そんな風に大きな岩を引っくり返すような言葉の先に。
それでも『そんなあなたの耳に届けたい』と唄ってくれる優しさ・あたたかいの両面が感じられる転機のひとつになった一曲。

プラネタリウム

この曲を聴いてプラネタリウムを自作した人も多いんじゃないかな。(ぼくはつくってないはず。たぶん。うん、きっと。つくってないよね…??)

四畳半という小さな小さな、自分の閉じこもった部屋はプラネタリウムと『君』を通じて宇宙に届く。けどその宇宙は『自分の部屋』の中にあって。「背伸びしたら驚くほど容易く触れてしま」う。

『大切に思う君』は僕の部屋には本当にはいなくて、届くハズがないけれど、それでも大切に思う気持ちは本当で…。
という。。見える世界を広げてしまうと見えにくくなってしまう『閉じた世界だからこその愛情や大切さ』に触らせてもらえた曲。

supernova

なくなることで気づく『当たり前』。

「人と話たりすると 気づくんだ 伝えたい言葉が無いって事 適当に合わせたりすると 解るんだ 伝えたい気持ちだらけってこと」

藤原基央は「ラララ」でしか語れないものがあるって言ってるけれど、『ある』ことは当たり前じゃなくて、『ある』ものじゃ足りなくて。『なくすこと』で生まれるものもあったりする。

どんな大切な今も、この瞬間失われていってしまう。

だからこそ、そこにある『今』を『君』を『僕』は大切で、『あった』ことにも意味があるんだって思わせてもらった。

ハンマーソングと痛みの塔

「お集まりの皆様方 これは私の痛みです あなた方の慰めなど 届かぬ程の高さに居ます きっと私は特別なんだ 誰もが見上げるくらいに 孤独の上に選ばれたから こんな景色の中に来た」

振り返って恥ずかしさに震えてしまうけれど、こんな風に感じてしまうことってきっと誰でもある(あるよね?)。そんな自分が「ハンマーソング」と共に落っことされる情けなさを一緒に味わってくれる。

「皆アンタと話したいんだ 同じ高さまで降りてきて」

ブックレットの王様と一緒に、痛みの塔から降りていきながら、落ちていきながら同じように感じているダレかが、必ず何処かに居るよと示してもくれる才悩人応援歌に続いての、ぶん殴られ系楽曲。

時空かくれんぼ

この曲の詞はBUMPの中でもブッチギリで難しくて、今でも解釈できないところが多い(’けれど、詞ってそういうもので良いと思う)

特にユグドラシルまでのBUMPの詞だと『君』は『僕』の中の存在なことが多くて(ダイヤモンドとか太陽とか)、orbital period以降ではその関係性の世界が開いて来ている感じが強いと勝手に解釈してるんだけれど、この曲の『君』はどこにいるのか、かなり曖昧で難しい。

いや、やっぱ外にいるのかな。arrowsと繋がるところが強いのかも?『僕』は『僕』として完結しなくて『君』の中にある『僕』も合わせて『僕』で、『僕』の中に『君』を預けてくれても良いんだよ?みたいな…?
うーんやっぱりムズカシイ。。

かさぶたぶたぶ

最初に聴いた時はネタ曲!と思ったけれど、聴けば聴くほどジンワリ沁みてくるのが「かさぶたぶたぶ」。

君を守るっていう役割を果たしたら消えてしまう存在。
そんな風に切なく「かさぶた」を捉えられる感じ方って、どう磨けばいいんだろう。。自分の中に、自分ではない、自分の大切にしてくれる『なにか』が生きている感覚って、もしかしたらスゴく大事なんじゃないだろうか。

「二度と会わずに 済むのが一番 怪我には 気を付けてほしいな でも たまには 転んでもほしいな」

この感触って、今も誰か大好きな人の相談に乗るときの感覚にスゴく近いかもしれない。

花の名

この曲は発売当時に聴いたとき以上に。QVCのライブで泣かされるほどヤラレタのを覚えている。
僕には「世界でひとつだけの花」とか聴いてもあまり響かなくって(名曲だとは思うんだけれど!)綺麗事じゃんと思ってしまう捻くれた感じ方をして
しまうので。

「あなたが花なら 沢山のそれらと 変わりないのかも知れない」

と。前置いてもらった上で「そこからひとつを 選んだ 僕だけに 歌える唄がある」と言ってくれた。『選んだことに尊さがある』と示してくれたのは衝撃だった。

ライブでは「ぼくが今日置く唄は あなたと置いた証拠で」と歌詞変えで唄ってくれることが多くて、ここにいる私に、あそこで歌うBUMPが繋がっているよと。
届いていて、届いているんだよと言ってくれる嬉しさが、いつも湧き上がってくる。

ひとりごと

全人類、聴いた方が良い(目的語がデカすぎる)
優しく居ることって、今でも本当に難しいと思っているんだけれど「優しさ」の在り方の本質が「ひとりごと」には詰まってる。

「ねぇ 優しさってなんだと思う 僕少し解ってきたよ きっとさ君に渡そうとしたら 粉々になるよ」
「ねぇ 優しさって知ってるんだ 渡せないのに貰えたんだ きっとさ 人と人との心の外の中だけに 在るんだ」

『優しくなりたい』のは独り善がりでしかなくって、受け取ってもらって初めて『優しさ』は生まれてくる。
その上で「優しくなんか無い なれやしない なりたいと思わない」と言い切ってしまう思い切り。

『優しさ』は行為の中じゃなくって、関係性の中に受け手と渡し手の両方でつくるものなんだよって。
知ってから少しでも体現できるようになるまで、随分と時間をかけてしまったり、誰かを傷つけたりしてしまったりしたきもするけれど、21歳のときにこれを知っていられて本当に良かったと今でも思う。

飴玉の唄

「ひとりごと」の次にこの曲が出てくるのは衝撃がスゴいと思うのだよ。

「僕は君を 信じたから もう裏切られる事はない だってもし裏切られても それが解らないから」

と始まるこの曲は『優しさ』に続いて『”信じる”って、どういうこと?』と示してくれる。
拠り所にできる何かを失って生きていかなきゃいけない僕らにとって、『そこに在るもの、居てくれるものを信じればいいよ』と示してもらえることがどれだけありがたいことか。
飴玉という儚くって、でも確かに其処にあるモノを通じて『君』に触れられえる。いつか居なくなってしまう『君』だからこそ、そこにあることを信じて一緒に生きていくことができる。
誰かを『好き』でいることは、そこにいる存在ごと受け止めていくことで。それを選んですることが『僕が生きていくことの証明』にもなるんだっていう。「ひとりごと」とは違う角度での『人と一緒に生きること』を教えてもらった楽曲。

ちょっと外れるけれど、「悲しい時 嬉しい時 どちらにしても ほら泣く 困るでしょうって更に泣く あんまり困らないよ」「あんまり」が今もあまりにも好き過ぎる。

星の鳥 reprise〜カルマ

「星の鳥」がアルバムの真ん中ではなくて、この位置に出てくるのがまた良い。

「ガラス玉ひとつ 落とされた 落ちた時 なにか弾き出した」

『生きること』は、好むと好まざるとに関わらず、誰かを押しのけてそこに場所を取っていくことである。
世界には、社会には悲しいこと・シンドいことが多すぎて、そこに自分は何をするもできず、手を差しのべることもできないことばかり。

今も『できない事』に大しての罪悪感を抱えてしまうこともある。

けど、その罪悪感を抱えていても『生きていて良い』と言ってくれることに救われてきた。「汚れた手」でも、誰かに差しのべることはできる。

arrows

あくまで僕の解釈なんだけど、よく言われる『死』を語る曲じゃ無いと思ってる。

何処からか歩いてきて、何処かへと歩いていく人たちが『お互いに預けたハズのガラクタが大切になって再会できる』ことの喜びと美しさ。

自分が生きてきたことなんて、つくってきたものなんて本当に大したものじゃなくって、自分自身も空っぽで。
けれど生きてきた旅路で出会った誰かさんと交換した思い出が大切なものになっていく。
大切な誰かが居てくれるから、自分のモノじゃないものが大切になっていく。
自分が持っていたものも『大切なもの』に変わっていってくれる。
「偽物じゃない荷物」になってくれて、離れた後も冷たい日々を温めてくれる。

涙のふるさと

「LAMP」の正統進化系(だよね?)。
『いつかついた傷』『忘れてしまった弱さ』が、僕を支えてくれる。

弱かった自分、恥ずかしい自分、やっちまった自分。

いつだってそんなのは忘れ去ってしまいたい過去なんだけれど、そういうものがあったからこそ、今は支えられていて。
それを認めてくれる、「良いじゃんそれで!」って言ってくれるBUMPが居てくれる。

結成から28年間、ずーっと同じことを唄い続けてくれているんだけれど、そう唄い続けてくれているからこそ、『そうだよな』と立っていさせてもらっている。そんな楽曲のひとつ。

flyby

あっさい感じ方として、就活のテーマソングとして聴くとめちゃくちゃ悲しくなる曲。

「応答願ウ」「◯月×日 本日モ通信試ミルが 応答ハ無シ」

というのは冗談(当時は半ば本気でそうだったが…)で、1曲目のvoyagerと異なり力強く響く「応答願ウ」「忘レテモ構ワナイ 忘レナイカラ」と『届ける』意思を響かせてくれる。

自分がどこに向かって行っても、向かえなくても。
倒れてしまったって、ここに『届けてくれる人たちがいること』。

そう『信じていられる』人たち、BUMP OF CHICKENに出会えたことは、どれだけ幸福なことなんだろう。
あらためて、出会わせてくれてありがとう。

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書きたいことが多すぎて、いつまでも書けないでいたBUMPの楽曲感想。
28周年という節目に寄せて書こうと思ったことで、もらったものの1%にも及ばないくらいでしかないけれど、かろうじてちょっとでも世界に投げることができました。

28年間、ありがとう。おめでとう!!
これから次の28年も(BUMPの皆さんの心と身体が続く範囲で可能であれば)よろしくお願いします。

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