ソビエト連邦以外にもある世界最短で消滅した国家とは?
雲散霧消(うんさんむしょう)
→ ちりじりに跡形もなく、消滅してしまうさまをいう。
失われた10年という言葉から失われた20年へと変遷し、今や失われた30年と呼ばれるようになった日本という国。
国力が弱くなったことはいろいろなところで批判されているのでそこには敢えて触れることはしない。
いくら国力が衰えたとはいえ、跡形もなく消滅してしまうことなど誰も想像すらしていないだろう。
でも、実際に跡形もなく崩壊、消滅した国というのは実在する。
今回はそんな歴史の一部に触れてみようと思う。
最も有名な消滅した国家
ソビエト連邦あるいはソ連という名前を聞いたことがある人は多いだろう。
そして、名前を知っているということはソビエト連邦が今は存在していないということも知っているはずだ。
おそらく、世界で最も最近まで存在していたが消滅した国ではないだろうか。
そんなソビエト連邦の正式名称は、ソビエト社会主義共和国連邦で、1922年12月30日に誕生した。
マルクス・レーニン主義を掲げたソビエト連邦共産党による一党制の社会主義連邦共和国だった。
複数の構成共和国により連邦共和国が形成され、ユーラシア大陸に君臨し首都はモスクワに置かれた。
その国土は2,240万2,000k㎡と広大で、本の国土が37万8,000k㎡なので、約60倍もの大きさだった。
ソビエト連邦は1917年のロシア革命を起源としている。
1922年に共産主義者が勝利し、ロシア、ザカフカース、ウクライナ、白ロシアなどの各共和国を統合してソビエト連邦が形成された。
1920年代中頃にスターリンが政権を握った。
第二次世界大戦のときには、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツと不可侵条約を締結し、世界を驚愕させた。
スターリンの死後、フルシチョフ政権を経て、ゴルバチョフ政権が最後の政権となる。
額に独特のアザがあるゴルバチョフの名前を記憶している人も多いのではないだろうか。
1980年後半、経済が停滞するソビエト連邦を立て直すためにグラスノスチやペレストロイカの制作を導入した。
この当時、北欧の経済は外国の機関投資家によって大きく変革されつつあり、これに追随しようとするソ連は外資に対する強固な姿勢を取るナショナリズムが生じる一方で、西部はソ連から分離独立へ向けて動き始めた。
その後、1990年3月11日にはリトアニアが独立を宣言するなど、連邦構成共和国の統制が取れなくなりつつある中、ゴルバチョフは大統領制を導入した。
ところが、1991年にクーデターが起き、それをきっかけにエストニアやラトビアが相次いで独立を宣言していく。
衰退の一途をたどり、1991年12月25日にゴルバチョフがソ連大統領を辞任し、1991年12月26日にソビエト連邦は歴史に幕を下ろす。
その他の消滅した国々
ソビエト連邦以外にも、実は消滅していった国は多々ある。
南ベトナム
南ベトナムは第二次世界大戦で日本の降伏によって誕生した国家である。
1945年〜1976年まであった国で、ベトナム国、ベトナム共和国、南ベトナム共和国と短い歴史の中で何度も名前が変わった国でもある。
現在のベトナムは社会主義国として知られているけれども、もともと南ベトナムはフランスやアメリカの影響を強く受けた反共産主義国家だった。
ところが、最終的には現在のベトナム共和国
しかし、最終的には現在のベトナム社会主義共和国に吸収される形で消滅した。
冷戦期の社会主義と資本主義の戦いによって生まれ、冷戦のあおりを受けて消滅した代表的な国である。
ユーゴスラビア連邦共和国
2003年まで存在したユーゴスラビアという国を知らなくても名前は聞いたことがあるという人は多いだろう。
ユーゴスラビアもまた冷戦の集結とともに1992年に誕生した国で、セルビアとモンテネグロという2つの国による連邦国家だった。
この国の歴史は、ほぼほぼ戦争の歴史といってもおかしくない。
ユーゴスラビア紛争、コソボ紛争など多くの戦争が巻き起こり悲惨なニュースを覚えている人もいるはずだ。
また、サッカー好きな人なら、Jリーグでも活躍したストイコビッチの存在を思い浮かべる人もいるのではないだろうか。
現在は、セルビアとモンテネグロという二つの国に分かれている。
とはいえ、まだこの両国は完全にユーゴスラビア時代の傷が完全には癒えてはおらず、町中では銃跡などの戦争の名残を見つけることもできる。
アラブ連合共和国
1958年〜1961年まで存在したアラブ連合共和国は、エジプトとシリアが合併して生まれた。
アラブの地域の統一を掲げたが、実際はこの連合によってエジプトとシリアの関係が悪化した。
わずか3年という短い期間で、シリアがエジプトに対してクーデターを起こし、連合は解消に至った。
国の歴史としてはあっという間ではあったが、イスラエルに侵攻するなどインパクトの強い事件を起こした国として歴史に刻まれた国である。
チベット
現在は中国の自治区として知られており、ダライ・ラマの名を聞けばチベットと結びつける人も多い国だ。
もともとチベットは1つの国で、1912年に誕生した。
ダライラマ13世とダライラマ14世によって統治されていたけれども、1949年に中国がチベットを侵攻。
その後は中国の支配下に置かれることとなった。
1950年に消滅してから60年以上の月日が経っているにも関わらず、現在でもチベットと中国の間には大きな遺恨が残っている。
チベット自治区のことがニュースになる原因は、ここにある。
アイレク共和国
1995年6月26日に独立し1995年6月28日に消滅した国家だ。
その期間は、2日で消滅した国ということで、おそらく最も歴史の短い国だろう。
この国はニカラグアとコスタリカの間に存在していた。
当初はコスタリカ人が住んでいたが、徐々にニカラグア人が移住してきて、ニカラグアなのかコスタリカなのかよくわからない地域ができあがった。
そんなカオスな地域の主な産業はワニを捕獲してその皮を売るというものだった。
というのも、設立経緯は1990年にニカラグア政府が自然保護のためその地域でのワニの捕獲を禁止したため、それに怒った地元民が勢いで独立宣言をしたのである。
そんな急に誕生したアイレク共和国は、その2日後にニカラグア軍に制圧され、世界最短で消滅した国となったのである。
ローデシア
ローデシアはアフリカに存在した国家で、現在のジンバブエの前身に当たる国だ。
とはいえ、現在のジンバブエとは全く性質が異なる国で、当初は白人だけが政治の実権を握る国家だった。
黒人住民には参政権すら与えられない不平等な国だったのである。
ところが、憲法が改正され人種差別をなくす動きが国家単位で起こった。
そして、1980年に現在も続くジンバブエ共和国として正式に独立した。
ローデシアもまた1965年〜1979年の14年間という短い期間で歴史に幕を閉じている。
まとめ
ザッと調べてみただけでも、これだけの例がある。
先進国と呼ばれる国が今日明日に消滅することは考えにくくても、絶対はない。
また、中華人民共和国を見ると長い歴史の中で何度も新しい国が生まれては滅んでいる現実もある。
私もキングダムには癒やしの時間をもらっているが、キングダムの舞台となっている時代も中華の長い歴史からするとほんの一部だ。
どんな時代に生まれようが、その時代になにをするのか、自分の生きている時代を満喫しようではないか。
【Twitterのfollowお願いします】
植田 振一郎 Twitter
株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。