よくわかる均衡理論の歴史(6):エッジワースの極限定理

 深夜のテンションでなんと連続更新だ。やったね!
 そんなわけで前回までを貼り付けるとこちら。

 さて、今回だが、まず最初に断っておくと、学説史的な見地から見るとこの記事は甚だ不正確です。いや、その。
 Edgeworth (1881)なんて誰が読めるねん、という問題がありまして。
 ていうかこの本、こんな古かったの? もう20年は新しいと思ってた……というのはともかく、これはケンブリッジの伝統的経済学者たちの「悪いところ」がこれでもかと詰まった本で、とにかくまともに読めたもんじゃないのです。英語だけでなく最低限ラテン語が読めないとダメで、さらにそのへんの文化圏の広範囲の教養を持っていないと無理なので。
 だから僕がここから語るのはエッジワースがこの本"Mathematical Psychics"で示した「とされる」結果についての話であり、それ以上でもそれ以下でもないのです。前回の最後で歯切れが悪かったのはそういう理由。厚生経済学の第一基本定理のオリジンはアローじゃなくてこの本だった可能性がある、けど誰も読めないからよくわからん、というわけです。まあアローにとって厚生経済学の第一基本定理なんてナッシュにとってのナッシュ均衡の存在定理と同じくらい、業績表の隅っこのどうでもいい結果だと思うんだけどさ。
 さて、伝聞によると次のようなことが言われている。ワルラスの『純粋経済学要論』では仮想的な中央市場が存在して、仮想的な「競売人」が需要と供給の情報を元に価格調整をして結果として均衡価格が達成される、というシステムだった。だが現実には競売人はいないし中央市場もない。このギャップをどうするのかを考えたエッジワースは、数人で集まって取引をする行動を何度も繰り返すようなべつのシステムを考えて、もうこれ以上どんなチームで集まっても取引できなくなるような「極限」を計算すれば、その点が経済の実現点だろうと考えた。有名なエッジワースボックスを使うと、これは例のレンズ状領域に含まれる契約曲線上の点に対応する。このような「極限」の点の集合を「コア」と呼ぶ。
 エッジワースが示した「とされる」のは次の三つである。まず第一に、競争均衡における配分は必ずコアに所属しているということ。第二に、均衡配分ではないコア配分が存在しうるということ。第三に、「レプリカ経済」と呼ばれる、いま考えている経済のそれぞれの消費者を、同じ好みと初期保有を持つN人の消費者に置き換えた、当初の経済のN倍の人数を含む経済を作ると、Nが増えるにしたがってコア配分の集合は均衡配分の集合に収束するということ。
 最後の結果が重要で、「人数が十分多い経済ではコアは競争均衡とほぼ一致する」という含意を持っている。したがって、そのような経済ではコア配分は競争均衡配分と「ほぼ」見なせるのである。だから、ワルラスが考えた「仮想的な」中央市場が存在するという仮定は、現実の、たくさんの人を含む経済では、ごく普通の相対取引と結果がほとんど変わらないため、許容される。この結果は「エッジワースの極限定理」の名で呼ばれる。
 以上が伝聞情報によるエッジワースの業績である。見ての通り、ワルラスの均衡モデルは中央市場の仮定が非現実的であり、その点をカバーしてくれる業績が必要だった。その点、エッジワースの極限定理はその弱点を完全に補ってくれるもので、均衡モデルはこの批判から逃れられたのだった。
 が、読めないからねこの本……結局、誰かが結果を再発見する必要があったわけで、Debreu and Scarf (1963)がこの問題の厳密な定式化をやり直し、証明した。一方で……たぶんAumann (1964)かな? これが、最初から無限の人間を含むマーケットのモデルで議論していて、これだとたしかレプリカ取るまでもなくコア配分と均衡配分が一致したはず。後にマスコレルが交渉集合配分とも一致することを示してたはず。
 そんなわけで、いまいち結果が軽視されがちなエッジワースの極限定理のお話でした。これを見ればわかるように、基礎理論は1950年代に完成されたなんて通説は嘘っぱちだよ。こんだけ重要な問題が1960年代になるまで手つかずだったんだもの。
 この記事群全体で言いたいことは、均衡理論の中に魅力的な未解決問題はそこかしこに転がってるということ。なんかこの理論、もう完成品だろうからそっとしとこと思われてるところがあるんだよね……それは嘘だよ。まだまだ議論の余地があることはいっぱいある。たとえばレプリカでない増やし方したときに変なことが起こる例とかも知られているようだし、多すぎる人間が一堂に会したときにコストが発生するという(わりと現実的な)仮定を入れてなにが起こるかは知られていない。もっと単純に、人間同士で取引するために移動しなければいけない、その移動コストを入れただけのモデルすらたぶん扱われてない。このへん掘れば山ほどあるよそういう問題。
 さて、(4)あたりで、あと二回で終わると言ったな? あれは嘘だ。なんかさらってみたら2つも言及すべきこと見つけちゃった。片方はクールノーの極限定理で、もう片方は部分均衡との関連。なんであと二回やる予定ってことで。

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