よくわかる均衡理論の歴史(8):部分均衡理論

 なんと8回目。どうしてここまで長くなったのかコレガワカラナイ。
 前回まではこちら。

 で、今日の話は部分均衡の話。これ(3)でもうワルラスの話については言及してたんだけど、どーもそっから先、議論が錯綜しててよくわからんのですよね。
 前の所属先にいたとき、官僚出身のなんかよくわからん学部長が専門外の人相手に「この部分均衡の図はワルラスの牙と呼ばれていて、経済学で最も重要なものです」とか言ってたんだけど、僕、ワルラスの牙って言葉も知らないしこれが経済学で最重要ってのも初耳だよ! という。ぶっちゃけこんな呼び名、みんな知ってた? そもそもワルラスの部分均衡っていまの部分均衡とぜんぜん違うと思うんだけど。
 一方で、ワルラス安定性の話をするときに、ギッフェン財だとか言って需要曲線を増加的に書いたり、あるいは供給曲線を減少的に書いて無理やりワルラス不安定な図を作ってる人がいるんだけど、あれも意味分かんねえ。ていうか、西村和雄さんの本に出てきたんだけど、あれ元ネタどこなの? 供給曲線が減少的なのは利潤最大化の二階の必要条件に違反するからあり得ないし、部分均衡やるときに普通仮定される準線形の仮定の下では所得効果はニュメレール財が全部吸収するからギッフェン財なんてあるわけねーんだけど、誰があんなトンチキやり始めたんだ。
 で、今日のお題はこの準線形の仮定になります。これがないと、与件の変化によって需要曲線がきれいに書けないし、そもそも支払い準備と限界効用の対応関係もないし、厚生についての議論も怪しくなるわけなんだけど、これがどこから出てきたのか。
 どーも調べてみると、オリジンはマーシャルっぽいんだよねえ……これ。
 マーシャルの本の数学付録に、それとなく準線形に言及した部分があるとかで。だから、あの時代にすでに知ってる人は準線形の仮定がないと部分均衡わやくちゃになるってのを理解してたってことみたいなんだよね。その割にマーシャルはギッフェン財の話とかも最初にしだしたみたいなんで、彼のスタンスはいまいちわからん。あとマーシャルの生産の理論っていまとぜんぜん違うらしいんで、そのまま議論していいのかどうかはちょっと。という。
 で、その後が問題で、時代が下ってサミュエルソンの全盛期。彼はどーも逆に、準線形の仮定なんかがないと成り立たない部分均衡は嫌いだって意見だったっぽいんだこれが。この話は直接の弟子筋から聞いたことがあるのでたぶん本当(というか僕も曾孫弟子みたいなもんだし)。このため、サミュエルソン門下とその後継者はわりと部分均衡を使わない傾向があって、逆にサミュエルソン門下以外は部分均衡使いまくってるっていう、へんな文化的差異がある。僕はサミュエルソン門下の方の末裔なわけだけど、前の勤め先で必修授業で「需要曲線のシフト」とか説明させられたんだけど、静学モデルである部分均衡にシフトなんて概念ねーだろ、と思いながら、政治的に逆らえないので仕方なく教えてた。あれホント苦痛だったな……
 ただ、ここが気になってて、サミュエルソンの議論にはひとつ、論理の飛びがあるんだ。準線形だったら部分均衡分析はうまく行く、というのは、多くの本にロジックが書かれている。準線形の仮定を完全に取り外してしまったらひどいことが起こるってのも、多くの本にいろいろ書かれている。だけど、準線形の仮定「でないと」うまく行かない、ということまで書かれている書籍を、僕、発見できてないんですわ。
 準線形とぜんぜん違うクラスで、そのクラスの下だと部分均衡分析の議論(つまり、余剰分析とか安定性とか)がだいたいうまく行くというものが「存在しない」ってことを証明した論文とか本って、あるの? これ、僕、未だに悩んでる。他に本当にないのかね?
 まあ、僕がぜんぜん知らないだけで、このへん全部白黒ついてるのかもしれないけど。ともかく、これだけ古い理論にもかかわらず、どーも部分均衡まわりの話は不完全なところがあって、煮え切らない。林貴志さんの本も読んだんだけど、まだ煮え切らない。なんかこう、うーん。そうね。うん。うーん。
 とまあ、煮え切らないままこのシリーズ終わりにするのもなんなので、最後に動学的一般均衡モデルの話して終わりにしようかと思います。もう一回で終わり。では今回は以上で。

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