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2022年"度"を振り返る

はじめに

2022年は、自分の社会人としての最初の1年であった。
これまで学生という連続した、そしてある程度舗装されていた道を走っていたが、ついにその整然な道が終わりを迎え、砂埃の立つ荒れた道に差し掛かったような気分が今年の4月には少なくとも感じられた。
一方で今は、サスペンションの効いた車を運転するように、ぬるっと生きているよう感じている。
この記事では、これまでの振り返り記事とは趣向を変えて2022年度を振り返ろうと思う。以下のそれぞれの章は風呂場の思いつきを時々に書いたものであり、それぞれ別の思考・人格によるエッセイと言っても良い。

自己分析

学生の終わりから仕事(研修を含む)において、いわゆるパワポ資料・それを用いた発表に対して良い評価いただいたことが多かったと思う。
もちろんお世辞というのも含まれているはずだが、投票によってある程度定量的に評価されたものもあった。
エンジニアのコアな部分としては、そこが評価されてもな…と思う一方で、技術的なものの発表の場などにおいて、内容の他に武器となる可能性を秘めているとも感じている。
これは研究室で毎週スライドを作っていたことが効いてきていることは間違いなく、専門性を高めたという以外でも修士課程まで進んでよかったと思ったことである。
一方で、これは自分の"エンジニア"としての実力の低さというものを感じられる部分でもある。
そもそも、自分は"エンジニア"は向いていない というのはずっと思っているところでもあり、コードを書く速さ・思慮の深さは他者にずっと劣っていると感じている。
また、集中・継続して物事を進めるのも自分はできない。すぐに飽きて別のことに取り組んだと思えば、また別のことに取り組み、最初のをちょろっとやって別のことをやったり… と全てのものが中途半端に進みがちである。
それぞれに対して優先順位をつけると、今度は義務感が生まれてくる。
自分はこの義務感がとても嫌いであり、結果、全てを放棄する。
全てを放棄するぐらいなら、放牧している方が少なくとも前に進めるなと思うため、今のスタイルにならざるを得ない。
この辺りのスタイルというのは、いつ決まるものなのだろうか。風呂場における永遠のテーマである。

技術に対する向き合い方

学生の頃と比べて技術の収集方法が変わってきた。
学生の頃は、研究室で購読していた技術雑誌やTwitterから新しい・流行っている技術の情報をインプットしていた。
一方で、今は基本的にTwitterから情報を収集し、気になったものに対してはお金を払うという形で技術に触れようと意識し始めた。
今年度ではいえば、いくつかの技術書やChatGPTである。
技術書に関しては、目次の中で1章でも気になれば買うことにしていて、気づきは少ないながらも得られている。ただ、個人的なインパクトに欠け、読んだ記憶が抜けやすいため、おすすめはしない。
次に、サブスクリプション系のサービスだが、こういう課金形態はとてもありがたく、とりあえず試すということがしやすい。ただ、自分の知識が及ばないものを体験しても一般人と同じ感想ぐらいにしかならないし、使いこなせない。大抵のものは2週間ほど体験できれば十分と言った具合である。
そもそもすでにビジネスになっている技術は面白みに欠けるため、論文(の解説)を読んだり、OSSでの実装を見たり、自分で動かしてみたりする方が比較的意義のある行動のように思える。(ChatGPTの論文は素人が読んでも分かりませんでした。色々勉強が必要だととても感じています。)
また、前後どこかの章で書いたように、エンジニアとしての適性があまりないと半ば諦めのようなものもあり、微力ながら開発者に対してお金の支援するといった老人の趣味を初めてしまっている始末である。

技術に対してお金を払えるようになった一方で、あまりうまく享受できていないというのがフラットな感想である。
享受できない理由は、今の技術の発展方向が自分の専門のような領域ではないことが大きいと思う。少しはAIに関する勉強をした方が良いのかもしれないが、どこかで言及した飽き性のため意味のある時間内に勉強しきれないだろうなと思う。

幸せとは何か

3月に友人の結婚式があり、僭越ながら参列させていただいた。
一般的に結婚は幸せの象徴の1つとして認識されているように思う。
同年代の一人がそのような契機を迎えて、少し自分の「人生としての幸せ」について考えるようになった。
彼らが現在のパートナーについて話す内容は、そこにドラマが宿り、彼ら自身が彼らの人生を生きているのだと感じさせた。
それはまるで一種の映画をみているようで非常に面白かった。
一方で、自分は登場人物にはなりたくないと思った。
劇的なことは起きてほしくないし、注目もしてほしくはない。
映画公開のTweetに対していいねをする無名の1個人でありたい という思いが強い。
何も起きないことが自分にとっての幸せではないか。
なんだか『寝そべり族』のようだが、否定できない。
生きることに対して特段執着がない。死に至る生が怖いから生きているだけのように感じている。

仕事のあり方、構え方

久しぶりに大学時代の友人と話をする機会があった。
そこで感じたのは、「環境はとても大事である」ということである。
情報系の学部であったため、友人らはそれに関連する企業で働いていることが多い。
彼らと話をする中で気づいたのは、「やりたい仕事ができているか」という問いに対して、自分はかなり実現しているということである。
彼らと会話していると、仕事の内容や環境があまり良くないといったことを冗談まじりに話してくれた。
それをもとに世間の一般の仕事の捉え方をキャリブレーションすると、自分の仕事内容はかなり恵まれている方だと感じた。

仕事は仕事、プライベートはプライベートと割り切ることは、自分にはできない。
自分は、プライベートとしてコンピュータが好きだからそれを仕事にした。
プライベートの中に仕事があるので、プライベートと仕事を分けることは難しい。
しかし、「今日はもう仕事したくないな」であったり「この仕事気が乗らないな」というのは存在する。
その時の「したくないこと」を観察すると、それは「やらなくてはならないこと」というのが一番良い説明をしているのではないかと思う。
大抵の場合、この「やらなくてはならないこと」は本質的にコンピュータをメインに使わないことであることが多い。
したがって、ライフワークバランスというよりは、「やらなくてはならないこと・やりたいことのバランス」をうまく取っていくというのが自分としての仕事に対する構え方になるのではないかと思う。
(ここまでざっと書いてきましたが、この「やらなくてはならないこと・やりたいことのバランス」というのは、落合陽一氏が提唱していたワークアズライフと同じようなものだと後から気づきました。)

まとめ

これまでに書かれた文章を改めて読んで、なんて暗い人間なんだと驚愕した。
日を置いて客観的に読むとかなり痛いし、そろそろ死ぬのではないかとも思える。だが、もともとポエムの企画なのだから、これぐらいは毒がないと面白くもない。

これまでの文章を自分で読んで今年/今年度はどうするかだけ書いてさっさと公開してしまうと思う。
まず、技術的なインプットの質が下がっていることから、何か新しい分野でコードを書くことによって新たなインプットを得ようと思う。
今のところはWASI 周辺を触りたいと考えている。
あとは、老化防止のために、できるだけ何かをアウトプットしようと思う。
Misskey.ioや個人ブログ、会社のブログで何か技術的なものを月1ぐらいの頻度で書ければと思っている。(ネタをちゃんとまとめるためにJiraを導入しました。)

まとめを書くのも飽きてきたので、このぐらいにしようと思う。
今考えたらChatGPTに書かせてもよかったかもしれない。

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