私がハンドメイド作家になった理由
最近は「ハンドメイド」のハッシュタグがついた記事をnoteで読むのが、夕食後の楽しみの一つになっています。
その中でも、つい気になって読むのが、なぜその方がハンドメイドの道を選んだのか…ということについて書かれているもの。
今日は私も、自分がなぜ本気でハンドメイド作家になると決めたのかについて、書いていこうと思います。
全く「キラキラ」していない理由
私は中学生くらいからずっと、何かしらの物づくりに励んできたのですが、作ったものを販売するということは、全くしてきませんでした。
そんな私が、30代になって販売経験ほぼ0のままそれまでの仕事を辞め、ハンドメイド作家として生きていこうと決めたのは、キラキラした夢や希望からは到底かけ離れた、現実的過ぎる理由です。
一緒に暮らしている祖母が認知症になり、お世話が必要になったから。
最初は軽い物忘れや、同じ会話を繰り返すだけだったのが、少しずつ進行し、お鍋の火を止めれなくなり、もう今は存在しない畑へ行こうとしては家に帰ってこられなくなり、家族で探し回る日々が続くようになりました。
誰かが常に家に居ないと危ないな…と家族みんなが感じるようになったのです。
とはいえ、一緒に暮らしている祖父はまだ週5~6日仕事に出ていて、両親も家をあけることが多い仕事をしているので、私が留守を任されることも増えていきました。
私の前職…
私は今年の4月までは、英会話を教えていました。
英語は私にとって、10歳から14年間海外で生活した中で、生きるために身につけるしかなかったスキルでした。
日本に戻ると「英語が話せるなんて羨ましい!」と決まって言われるようになったのですが、私はそう言われることが、どうしても苦手でした。
壮絶なイジメや人種差別…英語を話せる私になるための代償がとても大きかったからです。
そんなこともあって私は、英語に関する職種にだけはつきたくない!と考えていたのですが、家族の思いは別でした。
両親は苦労して身につけたスキルだからこそ、今後に活かして欲しいと思っていたようです。
祖父母としても、長年海外へ行ったきり、なかなか会えない時間を我慢したのだから、その期間に得たものを糧に生きて欲しいという願いがあったようです。
一番大切にしているのは誰よりも身近な家族の幸せ
私は子供の頃から、家族のことは自分なりに大切にしてきました。
「自分なりに」と表現するのは、大切にする方法を間違え、心配をかけてしまったことや、悲しませてしまったこともあるからです。
自分の思いを押し通すより、家族の願いを叶える方が私は幸せになれると思った結果、私は英会話の先生になりました。
今でもその選択に後悔はありません。
そしてその仕事に一区切りがついた2020年4月をもって、英会話の先生を辞めて、在宅で祖母の様子を見ながら働くことができるハンドメイド作家の道を選びました。
私が常に家に居ることで、祖母は望まない施設に入らなくて済むし、祖父は好きな仕事を続けられて、両親も少しだけ安心して仕事に打ち込めると思ったからです。
やっぱり私にとっては、身近な家族が健やかに、笑顔で生活していることが幸せで、守りたい生活だったのです。
背中を押してくれた両親
私の作品の1人目のファンは私の母です。
あまりアクセサリーなどを身につけなかった母ですが、私が作品作りをするようになってからは、外出時には必ず私の作品を一つは身につけてくれています。
ちなみに、母が気に入った作品は、父が私から買い取り、母へプレゼントしてくれています。
なので、私がハンドメイド作家になると決めた時、母は喜んで応援すると言ってくれました。
生計をたてられるようになるのが、いつになるかわからないと言った私に父は「お金のことは考えなくていいから、とにかくお客様に喜んでもらえる作家を目指しなさい」と言ってくれました。
その言葉を聞いて、この仕事は私の家族と私を幸せにするだけでなく、まだ出会っていない誰かのことも幸せに出来る可能性を秘めているんだ…!と希望が見えたのです。
本当に贅沢な有難い話で、そのお陰で今、こうして挑戦することができています。
私の社会との繋がり方
仕事を辞めて家から出ることがなくなり、家族以外と顔を合わせることがなくなった今の私は、インターネットを活用し、この手から生まれた作品をお客様に届けることで社会と繋がっていられることに改めて感謝と喜びを感じています。
作品の情報や作家としての活動を発信するSNSで繋がる作家の皆様、作品をお迎えくださるお客様、資材の仕入れ先の方々や郵便局員さんとのやり取りが、私がしっかりと、この社会の一員であると伝えてくれています。
そして一時は大嫌いだった英語は今、迷いや躊躇なく海外から直接資材を仕入れることが出来るという点において、ハンドメイド作家としての私を立派に支えてくれています。
英語が話せて良かったと、今では心から笑えるようになりました。
私の目指す理想の作家像については、次の記事で詳しく書いてみたいと思います。
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