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事実と真実(私の捉え方)

目に見えて起きた出来事、これを事実。
心に生まれた感情や腑に落ちたこと、これを真実とする。

20年前に離婚をした。
その後シングルマザーを経て、今の旦那さんと愛でたく再婚。
今はとても幸せに暮らしている。

離婚という出来事、これは事実である。
私がそこから得たのは、幸せ。
これが私にとっての真実である。

側から見れば、離婚という事実から様々なことが推測できる。

「経済的に大変そう」
「子供がかわいそう」
「子育てが大変そう」
「寂しそう」

などなどなどなど。

人によって受ける印象は様々だし、憶測も様々。
人は目の前に起こった事実を受けて、自分にとっての真実を得る。

『離婚』
その事実を受け止めて、ある人は
「離婚は経済的に大変。」
という真実を得る人もいる。

『離婚』
その事実を受け止めて、またある人は
「離婚は子供がかわいそう」
という真実を得る人もいる。

このように、その事実をどう受け止めるかによって、
その人の中に生まれる真実は一人ひとり違うということである。

それは価値観や固定観念でも違ってくるだろう。

なぜ20年前の離婚の話を持ち出したかというと、
私の離婚の事実を受け止めて、私とは違う真実を得た人がいたからである。

それは私の母親。

「なぜ自分ばかりがこんな目に遭うのか。」と言う母に、
「じゃぁ、なぜ自分ばかりがこんな目に遭うのかと思う出来事を全部言ってみて。」
そう提案した。

全て吐き出したら心が軽くなるのではないかと思ったからだ。

すると母はいくつかの出来事を言葉にし、最後にこう言った。

「娘が離婚した。」

私には到底理解ができない発言が飛び出した。

なぜ、そんな昔のことを?

私の今の幸せを全否定するかのような言葉。

その言葉が飛び出した時は、いろんな感情が私の中にも生まれた。

でも、冷静さを取り戻すと、

これは私の課題ではないことに気づく。


なるほど。

私の離婚という事実から母が得たのは、

「なぜ私がこんな目に」

という真実であったのか…。


今ではシングルマザーは珍しくなく、
シングルマザーを経験して得た体験を仕事にする人までいる。

自立していて素晴らしいと思う。


でも、母の時代はどうだろう。

離婚することは家の恥とか、世間体が悪いとか、そういう時代だった。

その時代の世間の価値観が、母の真実を導いたとも言えるのではないだろうか。

離婚は恥、離婚は世間体が悪い、離婚するなんて信じられない。

そんな価値観を持っている人の娘(私)が離婚した。

まさか私の娘が離婚するなんて!

世の中にどう説明したらいいの?

無理!恥ずかしくてそんなこと言えない!!

そんな気持ちに苛まれていたかもしれない。


離婚は私にとっては、未来の幸せを掴む一つの選択で、
実際私は幸せに過ごし、今もそれは続いている。

その『離婚したことで得た未来の幸せ』

そこに母は目を向けていない。

離婚したことで、娘はそれ以上の幸せを手に入れた。

その事実は、母の目には映っていない。

いわば、娘が離婚した事実があった時点で、時が止まっているとも言える。

「私の娘が離婚するなんて許せない。」
そう思っているかどうかはわからないが、
その出来事は母にとって『自分を苛む』真実になったのだろう。

その時生まれた自分の中の真実を手放せないでいる。

過去に捉われ、『今』を生きていないように私には感じ取れる。

それはとても苦しい。

それはとても切ない。

自分の身に起きた許せない事実に心が囚われた。

それが20年の時を経て、口から出てきた。

心の中に20年、自分を苦しめた出来事として居座り続けていたのである。


しかしそれは、母の課題であるとも言える。

私が離婚した事実は、私が創った私の人生の出来事である。

母の人生には関係がないことに気づいてほしい。

それをどう消化していくかは、もはや母の人生の課題と言える。

逆にいうと、

私が離婚したことで、母が20年抱えていた想い。

それは、私には関係のないこと。

それは、母の心の問題。

私の離婚という事実からは離れ、そこには別の問題が起きている。


『私が離婚した』

そこから得た私の真実は『幸せ』である。

そこから得た母の真実は『なぜ私がこんな目に』である。


事実の受け止め方は人それぞれ違う。

でもそれは、自分で決められる。

その事実をどう受け止めるかで、進む方向は変わる。

自分でどう受け止めるかを決め、

自分にとって最善の真実を生み出せば良いのだ。

人生は、受け止め方でどうにでもなる。


真実にいつまでも囚われるようなら、

それは起きた事実とはもうかけ離れていて、

自分が向き合うべき、自分の心の問題(人生の課題となることもある。)と捉えてほしい。



補足すると、『子供がかわいそう』について。

これは、子供が決めることである。

親が離婚した。

その事実を受け止め、どんな真実を得るかは、

その子供の心が決めること。

周りが決めることではないし、

周りが自分の真実を押しつける権利はない。

そもそも権利など通用しないのが心の世界。

あなたは自分にどんな真実を生み出していく?












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