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出生より

時を遡ること197X年、5月。
関東のS県O市にて
第二次ベビーブームの真っ只中に生を受ける。


体重2700グラム。
後に190センチ、123キロになる身としては
至って普通の体重だw

父、母、やがて3年遅れで妹が誕生。
どこにでもいる典型的な4人家族だった。


住まいは一軒家だが、
築何十年という、正真正銘のあばら屋だ。
壁なんか、ざらざらとした砂のような、
紙粘土みたいなやつw
今の若い子は知らんだろうなー


トイレはもれなく、ボットン便所。
う◯こをすると、落下の衝撃でおつりが
ポチャンと尻にはねてくるやつだ。。。
換気扇なんかないし、夏は暑く冬は寒い。
正面下部に小窓みたいなやつがあるが
換気類はそれだけ。とにかくいつも臭かった。


父は気難しいタイプで、
武道を嗜んでいたこともあり、肉体言語派で
何だか知らんが、いつも怒ってる感じ。

母は派手な格好や化粧が好きで、家事は苦手、
更には鉄砲玉で外出したら帰ってこない。

妹は要領の固まりで、常に巧く立ち回る。
そしてグズで要領が悪く、怒られ役の私。


嫌いなトマトが出てくると食べれない私は
父のゲンコツが容赦なく飛ぶ。
当時は掘りごたつ式のテーブルだったので
妹は嫌いなものは、食べた振りをして
掘りごたつの下にポイポイ捨てて
「あたしは食べたよー」というのが得意技w


やがて、私が小学3年生の頃だったかな、
母が出掛けて来ると言ったきり、
2度と姿を見ることは無かった。
父とは喧嘩ばかりしていたので失踪したのだ。

可愛い盛りの子供2人を置いて失踪って。。。
どんな事情があるにせよ、腹を痛めた産んだ2人。
よくダメ旦那に押し付けて出ていけるわな。

現在、子供に携わる仕事をしている身なので、
色んな家庭の事情を持つ親子とも遭遇するが 
2人同時に捨てて逃げるは、流石にあまりない。
せめてどちらか1人は連れて行けとは思う。
なので、それは今でも許せない。

そしていきなり、父子家庭となる。

父は若い頃から空手を始め、
様々な武道に興味があったようで、
鉄拳制裁や怒鳴り声は日常茶飯事。
まだまだ家庭内暴力やDVなど概念も無かった時代。
ことあるごとにボコボコにされ、
暗い押入れに閉じ込められなぁ。 
今なら完全に児相案件だわなw

そして無類の女好きであり、
齢70を超えた今でも変わらないが、
基本的に女に甘く、男にはキツい。
当時、嫁に出て行かれたストレスは全て私にくる。
子供心に、ホントに殺されるかと思った。。。
腹の中で「いつか殺してやる」といつも思ってた。
 

そんな懲役のような日々の中、
居心地が良かったのが母方の祖母の家だ。

私は初孫の男の子であり、妹は2番目の孫。
母も流石に実家には、
「2人をお願いします)くらい言っていたのだろう。
 
当時は小学校も土日休みだったので、
金曜日に学校から帰宅すると、
電車で10分くらいの祖母の家に行った。

初孫の男の子がよほど可愛かったのだろう。
祖母には、優しかった思い出しかない。
私は「ちゃーちゃん」と呼んでいた。
ちゃーちゃんは、地元の繁華街で
スナックを経営している現役のママだった。 
水商売の人間は特に家族愛に飢えている人が多く
ちゃーちゃんも、それこそ
目に入れても痛く無い程の溺愛ぶりだった。

O駅で降りて、歩いて更に15分くらいかな。
ちゃーちゃんの家は繁華街の真ん中にある。
繁華街とはいっても、ソープ街だけどw

向かう途中に呼び込みの怖いお兄さんや
ソープ嬢の綺麗なお姉さん達が良く立っていて
私が5歳くらいで1人で歩いていると、
似つかわしく無い場所に男の子なんて
お姉さんらの格好のターゲットだ。
「ボーク、何処に行くの♪」とからかわれ
「やめて、やめてよー」とした押し問答を
キャッキャッ言いながらされたことを
今でもハッキリと覚えている。

ちゃーちゃんの家では
「お邪魔します」というと怪訝な顔をされ
「ここなら来る時はただいま!と言うんだよ」と
いつも言われてた。

後に知ったことだが、私達兄弟を
ちゃーちゃんは引き取りたかったらしい。
 
O市は母の地元であり、
父は東京のA区の出身で余所者だ。
春音と結婚した際に、ちゃーちゃんのスナックで
働くようになったが、別れたので当然退職。
そのスナックで働いだ理由もクズで
ババアが早く死ねば店は俺のもんだろと
大きくなった私にも良く豪語していたw

しかし何故か父は、別れた嫁の地元に残り続け
言わば敵地のど真ん中で
頑として子供達を渡さなかった。
そう言えば聞こえは言いが、今にして思えば
単に引越し代がなかっただけと思うwww

スナックをクビになり、子供2人を抱えた
30過ぎの男が探した次の職は
タクシーの運転手だった。
タクシーなら時間の融通が効くからだ。

ちょうど私が小学校に上がる前あたりから
父が子供2人に空手を教える事を始め、
家の小さな庭で道着姿で空手を習わされていた。

その噂を聞いた幼稚園の同級生の保護者が
「うちの子にも習わせて欲しい」と頼まれ、
毎日、近所の公園にてちびっ子4人で
青空道場をしていた。
他の同級生はみんなサッカーや野球をしており
公園のベンチで正座をするのが恥ずかしかったw

腕立て伏せや腹筋の意味すら分からず、
「何でこんな辛い動きをしなくちゃいかないんだ」
と、いつも思っていた。
少しでもサボると、殴るわ蹴るわで
「テメーがサボってどうすんだ、オラァ!」と
他の子の手前、示しが付かないとばかりに
ことごとくボコボコにされた。
サッカー少年や野球少年たちも皆ドン引きだw

まぁ、この頃からの意味の分からない
非科学的な稽古や体力トレーニングのお陰で
後に小学校高学年、中学生となった際に
とんでもない力があることを知った訳だがw

今でも4人の名前は覚えている。
太ってて力が強いケンちゃん、
いつも鼻水垂れてる白井くん、
くるくる天パの片岡くん。

みんか元気かなー?

1〜2年ほどやっただろうか、
後に片岡くんが、たぶん引越しだっかな?で
辞めていってしまい、空中分解したと思う。

青空道場を辞めた後は
自宅ボロ屋の2階にてイスやテーブルをどかし
即席道場として、稽古は続いた。

その時は幼稚園のメンバーは既に居ないが
近所の子供ら数人はいたと思う。

この頃は、もう昭和の終わり頃だったな。
この狭い2階の即席道場のテレビで
ファミコンをやったり、確か天皇崩御で
元号が「平成」に変わったニュースもみた。

古き昭和の良い時代かな?!






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