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贅沢と必要

生活の中で、何が必要で、何が贅沢か。例えば家計を見直す中で、そんなことを見直したほうがいいという意見を聞いたことがある。贅沢と必要というか、何が投資で何が浪費か、とか。それはもちろん、人によって違うもので、私は、服やかばんについては、贅沢ではなく必要、浪費でなく投資だと思っている。だから、多少お金もかける。夫は、服にもかばんにもお金をかけない人だから、私から見ると、もう少しお金かけてもいいんじゃない??と思うけど、夫から見ると私は、服もかばんも「買いすぎ」のようだ。

確かに、このごろ、特に服に関しては、自分でも買いすぎかな、と思うことがある。ちょっと山のようになっている中に、あれ、こんな服あったっけ??ということがあって、確かに、こんな服買った覚えがあるけど、ちょっと忘れてた、と思う時。たぶん買いすぎなんだろう。

服を買うのがストレス解消になっているときもあるかもしれない。それは、投資というより浪費なのかもしれない。なんにせよ、私は、服を買う、なのだ。服を買うことに付随して、私は、行きつけの洋服屋さんで、店員さんとおしゃべりするのが楽しみだ。なんと、私は、行きつけの洋服屋さんで名前を覚えられている。○○さん、と、さんづけで呼ばれている。あんまりしゃべったことのない店員さんにも、「いつもありがとうございます」と言われてしまう。いつぞや、その店のアプリをチェックしたら、スペシャル会員みたいになっていて驚いた。あー、私、この店で、相当買っているんだわ。

でも、「人としゃべる」ことって、「必要」じゃないですか?夫以外に誰としゃべるかっていうと、私は、洋服屋さんの店員さんなのである。あ、もちろん、パートの勤め先ではしゃべりますよ。だけど、友達はそんなにいないし、友達とはそんなに頻繁には会わない。たぶん、私の場合、洋服屋さんの店員さんとしゃべるのは、「必要」の部類に入るような気がする。洋服屋さんの店員さんとしゃべるのが「必要」なんて悲しい、って思われるかもしれないけど。お客と店員の関係ってやっぱり、商売を介しているから。

私は、そのお店にとっては、服をよく買ってくれるお客さん、として、必要とされている。だからしゃべってくれるのだ。ときにそうとう長いことしゃべったりすることもあるけど、最終的には、私が服を買うことにつながるから、雑談もするんだろうと思う。いつも話し相手になってくれるから服を買わなきゃって思ってるわけではない。本当に欲しい服がその店にあるから、その店に行くのだ。それはそうなんだけど、批判的にふりかえれば、やっぱり買いすぎかもしれないと思う。

最低限必要な服の量、それはどれくらいなのだろう。生活スタイルにもよるとは思う。私は、去年転職して、写真館に勤めている。その前は大きい通販会社の倉庫に勤めていた。倉庫の中で働いているわけではなかったが、服装は、倉庫の中で働いている人の服装に準じたものだった。なので、カジュアルな服装だった。写真館もカジュアルな服装で構わなかったので、転職したからと言って、新たに服を買う必要もなかったが、あるとき、上司から、出張に着ていく服として、トップスは襟のついた服、ボトムスはジーンズはダメ、と言われた。さらにダメ押しをするように、ジーンズじゃないズボン、持ってる?と言われた。そんなにジーンズばっかり履いてるわけでもないと思っていたが、そういうふうに見られていたのか。それから、私は意識して襟付きのシャツとジーンズではないズボンを買い始めた。そしてTシャツとジーンズを仕事に着ていかなくなった。冬は寒いのでパーカーを着ていたけど、今度の冬はどうしよう。上司は真冬でも襟のついたシャツ一枚で過ごしている。ヒートテックを着ているのかもしれないが。

もはやタイトルからだいぶ離れてきたが、贅沢も、必要も、生活によって変わるものなのだと思う。服のことばかり語ってきたが、食だって、うちはけっこう果物を食べるほうだけど、それも贅沢なのか必要なのかよくわからない。この文章を書いているのはタブレットだが、タブレットだって、もともとパソコンを持っている私にとって、必要かと問われると、考え込んでしまう。いろんな物事について、贅沢か、必要か、たまにはふりかえる「必要」があるのかもしれない。



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