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発達障がいの診断は、子どもを守る印籠

こんにちは、子どもの発達を支える言語聴覚士、三輪桃子です。

最近では、発達障がいの認知度があがり、子どもが小さいうちから、発達障がいの可能性を視野にいれて動き始める親御さんが増えていると思います。とはいえ、「診断がつくこと」に対しては、抵抗がある人も少なくないのではないでしょうか。今回は、改めて「診断は本当に必要なのか?」という視点に立ち、発達障がいの診断について考えていこうと思います。

この記事は、小児科医の石川道子先生と言語聴覚士の三輪で行っている「発達障がいの集団あるある」と題したInstagramライブをまとめているものです。ぜひ、Instagramも合わせてご覧ください。

ライブリンクはこちら⇩

https://www.instagram.com/hattatsu.hoiku.gakkou/

早期に診断がついた子、遅れて診断がついた子の差

私(小児科医、石川)が、今から15〜6年前に、関わりのあった子どもの数を数えたところ、1万を超えていました。そして、20〜30年ほど、小さい頃からずっとお付き合いが続いている子もいます。

あくまで、自分の知っている子という括りで、消息がわからない子もいるのですが、ずっと音信が途絶えない動向が分かってるお子さんたちは、「小さい頃に診断がついてよかった」と思っておられる方が大半のようです。

その理由を聞いてみると、親御さんは「子どもがどういうタイプなのか早くに分かったので、小さい頃は苦手なものを練習してこれたし、大きくなってからは出来ること/出来ないことが凸凹した子なんだと思って良い距離で見守れたから」と言う人がいました。

診断がついた子の親御さんは、自分の子は言葉で聞かせても分からないけど見本を見せると分かるタイプ、子ども自らが興味を持ってる時には情報を吸収してくれるけど興味ない時は全然理解できないタイプ、などを小さい頃から把握できています。タイプを把握できていると、親御さんとしても、うまい対処方法がわかります。そして、通常の親子よりも結びつきが強い親子さんになっていくことが多いように見えます。

一方、幼児期の頃にはどこの支援先にもかからず、かなり年をとってから来院された親子をみると、すごくボタンの掛け違えしてるように感じます。親御さんは、長年の経過から「みんなが当たり前に出来ることが、この子は出来ていないんです」「どうしてみんなが困ることばかりするのか」という発想になっていて、子どもは親に理解されないと反抗的になっています。

お子さんのタイプがわからないと、大人が常識と思ってることとお子さんが違う反応をした時に、凄く強く叱ったり、逆に対応が分からず好きなようにさせすぎてしまったりするものです。

また、親御さんがお子さんにとって分かりにくい対応をすると、お子さんは混乱する上に、親は自分のことを分かってくれないという気持ちでいっぱいになります。そうすると、二次的に親子関係も上手くいかなくなります。

幼児期に診断がつくことは「子どもが何者であるかを、早々に知る」ということなのだと思います。

さらに、今社会参加に割と困っていない子は、親御さんが子どもにとって分かりやすい教え方を外で出会う人にも伝えている、つまり障害名をオープンにしていることが多いのです。一般的に、自閉症スペクトラムの子は、「こだわりが強い」「人との付き合いは上手ではない」と言われることがありますが、本来はそういう傾向が強くなるはずだった子が、大人になってこんなにも人に興味持って、上手く付き合いたいと思うのだと、感動することもあります。

診断は、本人にとっての適正ゾーンを守る

診断の捉え方の一つとして、高血圧の患者さんをたとえにお話しをします。一般的に、高血圧の方は、生活習慣を調整したり服薬をして、なるべく適正な範囲内に数値が入るように治療をします。そして、治療自体は落ち着いて血圧が正常範囲に戻ったとしても、高血圧の高くなりそうな要因は持っているので、事前に手を打って予防していきます。

この「高血圧になるリスクがあるので、上がらないように予防的に関わりましょう」という対応ができるのは、診断があるからだと思います。

発達障がいにおいても、診断がついていれば、少しまずい状態になりそうだぞと予測できる時に、本人にとっての適正ゾーンに入るようにコントロールしていくことができます。

発達障がいの人たちは、人と関わる行動を本人任せにすると、自分にとっては効果的な方法だけど、周囲にとっては効果的でない行動をとり、非難されることがあります。例えば、小さい頃に、おもちゃで遊ぶときに、何度も人と交渉しておもちゃをゲットするよりも、目の前の人からパッと奪った方が早いので、奪うやり方を優先してしまう、といった形です。また、相手の子が抵抗したら、抵抗しないように押し倒す方が早いよね?といった発想になることもあるのです。

でも、人類の歴史の中では、上記のような行動は「上手く暮らしにくい」のです。逆に言えば、歴史の中で築かれてきた「こういう方法をとれば、上手く暮らせる(関われる)」という方法があるので、その流れに本人が少し乗れるように大人のサポートが必要なことがあります。相手の物をとってしまう時には、大人が間に入って「人の物をとる形では、楽しく遊びは続けられないよ」という見通しを教えていきます。

診断がどうしても受け入れ難い人へ

いろんな親御さんにとって、診断を受けることは、決して楽で軽い決断ではないと思います。中には、「子どもは子どもなのに、発達障がいの〇〇ちゃん」と偏見を受けるかのしれないという気持ちから、絶対に診断をつけられるのは嫌だと思われる方もいるでしょう。

だから、親御さんが診断が嫌な場合には、診断を受け入れなくていいと思います。ただ、園や学校の先生など子どもが関わっていく大人には、できるだけ子どもにあった教え方をしてほしいので、その時だけは診断を利用する、という方法をおすすめしています。

もし、親でも「えっ?」と思うほどの不適切な発言があると、他人は「この子なんなの?」と誤解されてしまうことがあります。その誤解を防ぐために、「相手を傷つける意図はなくてもとっさに強い言葉がでてしまう傾向がある、と専門家の人が言っているんです。」と言えばいいのです。その時に、「親としては、全然診断は受け入れていません」というスタンスでも構わないと思います。

世の中は、障がいや生活に困りのある人には、助けることができる人が助け共生社会を作ろうという流れになっています。子どもが世の中に出たときに、怠けたり、反抗しているのではなく、「部分的に上手くいかないことがある〇〇障害という診断を言われたことがあります」と伝えると、周囲のサポートが簡単に集まってくるのです。

診断名は、簡単にサポートを引き寄せる、水戸黄門の印籠みたいなものなのです。「権利」が発生するということなので。

サポートは、最初はたっぷり、少しずつ減らしていく

私(石川)の持論としては、出来るだけサポートは小さい頃にいっぱい受けて、それが少しずつ必要なくなっていくことが、成長だと思います。調子が悪くなってから急にサポートしても、サポートの量の割に効果が出にくいものなのです。小さい頃に、診断名を利用してサポートをひっかき集めてもらうといいと思います。

診断名は、子どもへのレッテルではなく、子ども本人を守るものです。無理なことを要求されたり、無理なことを非難されたりしないようにするために使われるべきなのです。

集団生活においても、発達障がいという言葉が広まってきて関連の研修も増えていることで、発達障がいに関する知識を持った先生が増えています。そうすると、例えばこの子はADHDだと分かれば、「刺激に反応するから、刺激がなるべく多くないとこが良いな」とか、「大人が用意した教材は10分以上かかりそうだけど、この子は5分しか集中力持たないから、無理だろうな」みたいな行動予測がされ、対策が練られていきます。

診断がつかない弊害

1番困るのは、専門家に「この子は発達障がいではないです」と言い切られてしまった場合です。集団の中では確かに困ることがあるのに、その可能性をきっぱり否定されてしまうと、「なまけてる性格の子」「生まれつき乱暴な子」「家庭環境のせいで困った行動をする子」のようなレッテルがはられてしまいます。そして、「叱る」「注意をする」という対応ばかりになり、何の手も打てなくなります。

一般的には、一度叱れば困った行動をやめるだろうと予測されるのですが、発達障がいの傾向がある子だと、叱ればわかるわけではないのです。本来は、子どもが行動を繰り返す理由を考え、周囲が対応の工夫をしなくてはいけないことが、なされずに過ぎていきます。

私は、診断までに至らない時でも、「いろんなテストをやった結果発達障がいと断定できる結果は出ていないけど、ひょっとすると〇〇ということが分かりにくい子かも想定して、関わり方を変えて下さい。」と言います。

幼児期に、診断がつかない子も沢山いるので、園の先生は子どもの様子から疑う/想定する視点が大事にしてほしいです。ぜひ、発達障害という診断名が付いてなくても、気になる子として救い上げていってください。普通のやり方では通用しない子には「発達障害に対する特別なやり方」に関する本がたくさん出ているので、普通の保育書ではなく、そちらの方を開くと良いと思います。

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