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2021.06.15〜18

もう日付も変わってしまったけど先週の日記。

久しぶりに連日出社で湿度をたっぷり含んだ外気に体がついていかない。Tシャツリラコすっぴんからそれなりに服を着て化粧して出かけるの、ハードル高いな〜と思っていたけど始まってしまえば気分的には案外平気だった。それよりも足首と足の甲が痛くなったのが予想外。普段歩いてなさすぎるのかな。

こういう事態になる前は出社するのがしんどかったけどいざ毎日在宅になってしまうと人と顔を合わせる機会が減ったことでどんどん自分の社会性というか「人と一緒にいるときの自分」が減って少ししんどかったから、出社して仕事をしながら雑談できるのは正直楽しかった。

DJ松永とかラジオの朝井リョウと同じくらいの文字量で話すギャルと久しぶりに話せたのも嬉しかったな。辞めるまであと何回会えるだろう。

19時を過ぎた頃外の青がいつのまにか濃くなっているのを見て、こういう時間をいくつ過ごせるかだけなのかもしれないと思った。
遠くに音が吸い込まれていくような集中の仕方、空腹やあらゆる心配事も忘れるような、追い立てられてのそれじゃなくてぐぐっと自ら潜っていく感覚は久しぶりだった。
ひとりでもいいけど、離れてても良いから横並びで誰かがいてくれるともっと深く潜れるのかもしれないなと、窓に映った姿を見て思った。

そしてなるほどこれは麻薬的だなとも思う。綺麗なオフィスと窓からの景色、誰にでも出来る仕事だとわかっていてもそういう舞台装置によって特別だと思い込んでしまう。

ご飯でも食べて帰ろうと思って駅に向かいながら初めて19時半ラストオーダーの壁に気付く。事実として20時閉店は知っていたけど、自分の身に降りかかってこない間はその不便さを全然想像できてなかった。
家に着く頃には夕飯を作るのはもちろん、食べるのも面倒くさくなっていた。かといってコンビニの味を食べる気にもならず毎日冷奴+αを夕食にしていたら金曜日の朝には入らなくなったスカートが入るようになっていたので、特に人と会う予定もなかったけどいつもだったらしないようなザ・OLみたいな格好で出勤。

以前は絶対しなかったような格好に抵抗がなくなったのは、趣味が変わったというより考え方の変化が多分大きい。
保守的な格好をしているからと言って考え方も保守的な訳ではないのだ。当然だけど。中指立てながらコンサバな格好をしている人だってきっといるだろう。一見攻撃的で奇抜な格好が武装の場合だってあるように。

色んな呪いが解けつつあるんだし、自分で自分に何かを課す必要はないんだよな、ということを言い聞かせないとすぐに忘れてしまう。本当は椎名林檎の衣装みたいに、その時々の人格と装いを持っていて良いはずだ。性別だって年齢だって情報のひとつでしかないのに、それらに付随する“らしさ”にがんじがらめになるのは馬鹿らしい。もちろんそれにハマることが好きな人もいるし、それを選ぶことで楽できる場面もあるからそれ自体が悪い訳ではなく。本人が楽しくて他人に迷惑をかけないものならなんだっていいんだよねきっと。

そういえば金曜日に事変のYouTubeの伊澤さんフューチャー回(筋トレとパンケーキ)を見て、この人は秀才タイプの人なんだなと思った。なんとなくだけど浮雲さんと刃田さんは天才タイプ、他の3人は秀才タイプのイメージ。全員とんでもない技術を持ったプロフェッショナルには違いないのだけど、自分の能力に自覚的か否かというところで分けるとするとそういう印象。

平日フルで出社してしまうと休息で週末が終わる。昨日も今日も昼食後に昼寝をした。今日夕方たまたま見たイグナッツで漫画リアルの話をしていて、思わず1.2巻を読み返してしまった。

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