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ベルギーのサーキットでいきなり胸ぐらを掴まれる。


夏も終わりというのに、もう一度夏がやってきたかのような蒸し暑さに見舞われ、季節が繰り返すような錯覚に陥ってしまった。

絶え間ないエンジン音と誰かの叫び声のようなタイヤのきしむ音に取り囲まれて、あてもなく歩き続けたのはいつの夏のことだったろうか。

あのとき、たしか暗闇の中を無数の火花が散っていた。

スパン

まだ僕が男性誌の編集者だったころ、ちょうどお盆の時期に編集タイアップの仕事でベルギーに行ったことがある。

スパ・フランコルシャン24時間耐久レース。ベルギーのF1サーキットも行われるこのコースはドイツとの国境に近いアルデンヌの森に位置する。ヨーロッパでは特に珍しくもない田舎町で、僕とカメラマンが泊まったホテルはまるで中世の修道院のような雰囲気だった。唯一のレストランで提供される朝食は嚙み切れないほど固いパンと薄いハム、そして牛乳とコーヒー。これが一週間続くとさすがに辟易した。

世界中からメディアが集まる有名なレースなのだが、僕らの仕事は日産チームの走りを追えばいいだけ。カラー2ページのタイアップだし、レースは24時間あるのだから、のんびり構えてればいいやと僕は最初からリラックスモードだった。

でも入社したての若い社員カメラマンは違った。

彼にとっては最初の海外出張。おまけに大好きなレースの取材だ。最初から気合が入っていた。僕がぼんやりレースを眺めているときに、彼だけはほかの海外チームの車体を撮ったりスタッフの話を取材したりしていた。

なんだか不穏な空気が漂い始める。そしてついにあたりがすっかり暗くなったころ、僕と彼は些細なことで衝突した。僕は胸ぐらを掴まれ、さんざんな悪態を吐かれた。さすがに殴られはしなかったが、彼は大きなカメラを担いだまま、捨て台詞を残して足早にその場を立ち去った。

取り残された僕は、気まずい雰囲気を取り持とうとする海外メディアの女性の視線を避けるようにふらふらとサーキット会場を歩き始めた。

情けなかった。なんだか自分がやる気のない無能の人になったような気がして、唇を噛んだ。

咆哮を続けるエンジン音もあたりを切り裂くタイヤのきしみもまったく頭に入ってこなかった。

ただ、タイヤが路面を削る火花が無数に煌めいていたことだけは、不思議と鮮明に覚えている。

一度は衝突したものの、なにせ同じ部屋に寝泊まりしながら帰国まで過ごさなければいけないのだから、大の大人としては軌道修正をするしかない。

帰国の前日にはホテルから抜け出し、地元の小さなレストランを見つけて白ワイとパスタでそれぞれの仕事をねぎらったりもした。

帰国してからも彼とは普通に仕事をした。自分の仕事に誇りを持つ、優秀なカメラマンだと思う。でもあのとき、胸ぐらを掴まれて正論を言われた悔しさは、会社を辞めるまで僕の心に静かにくすぶり続けた。

だが、時は偉大だ。いまはもう大いなる懐かしさと一抹の甘酸っぱさをもってあのときのことを思い出すことができる。

修道院ホテルとレース会場を往復するチームの車の中で、いつもラジオから聴いたこともないイタリアのカンツォーネが流れていた。ある日、それに交じってヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲がかかったことがある。

「調和の幻想」の第6番、イ短調。その協奏曲を聴いていると、あの年の夏の暑さがよみがえってくる。

調和の幻想

初心忘れるべからず。僕はあのカメラマンに感謝しなければいけないのかもしれない。

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