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いきなり男性雑誌に配属された夜、僕は編集部の隅で震えていた。


今回はクラシック抜きの話です。僕が小さな美術系の出版社から一念発起して銀座にある雑誌出版社に転職したての頃の話。

中途で採用された同期は十三人。それぞれに輝かしい経歴を持っている彼らの中にあって、僕はどうしても自分が採用されたという事実がもうひとつ腑に落ちなかった。

三日間の研修で、居並ぶ現職の編集長の前でなにか意見を言ったとき、「それ、違うよね」と面と向かって否定されたこともあった。僕はすっかり委縮してしまい、研修が終わって配属先の男性雑誌の編集部にひとりポンと放り出されたとき、こっそりこのまま帰ってしまおうかと思った。

そのとき、同い年の先輩編集部員に首根っこをつかまれた。

「なにしてんの? これから帝国ホテルのパーティだから、いっしょに行くよ!」

その雑誌が主催しているデザイン・グランプリの年に一度の受賞パーティだった。

大きな会場にいる二百人ほどの人の中で、僕は誰とも目を合わさずひたすら料理をつまみ、グラスを空けた。二時間ほどで解放され、ぞろぞろと編集部に戻る。やれやれこれでやっと帰れると思ったら、くだんの彼が寄ってきて今度は僕の腕をつかんだ。

「これからみんなで赤坂に行くけど、おまえも来るよね?」

拉致されて赤坂へ。十人ほどでたしか焼き肉を食べたと思う。僕は時間を気にした。もうすぐ終電がなくなっちゃう!

「なに馬鹿なこと言ってんの。ほら、これ。でもこの時間は捕まらないから、もう少しいたほうがいいよ」

手渡されたのは「タクシー券」だった。

まだみんながどんちゃん騒いでいるあいだに僕だけ二時ごろにタクシーを呼んでもらった。家にたどり着くまで、不安で不安で仕方なかった。こんな小さな紙切れで本当に大丈夫なの? 俺、金持ってないよ。

でも、そんな生活も一か月もすれば当たり前になった。

クロス


その雑誌で最初に担当した号は、ベテランのフリースタッフと組まされることになった。なんといっても僕は見習いなのだ。

取材も撮影も入稿も、彼は僕の隣にいてくれた。でも特になにも教えてくれなかった。「とにかくね、自分が面白くて楽しめればそれでいいんだよ」。それしか言ってくれなかった。

そのことがどんなに大切なことかを知ったのは、ずっと後のことだ。

いきなりリード文を書かされた。これが二週間後には全国の書店に並ぶのかと思ったら手が震えた。でも書かないわけにはいかない。えいやと思って書いた。誰もほめてくれなかったが、ダメだとも言われなかった。

そしてその号が書店に並んだとき、僕はもう次の号の取材で忙しかった。書店で確認した記憶もない。過去など振り返ってはいられないのだ。

毎日が夢のように、がむしゃらに過ぎていく。

自分がその仕事に適しているのか、まわりの足を引っ張っていないか。そんなことを考えたのは最初の一か月だけだった。

それはきっと、くだんの彼を含めた同年代の仲間がいたからなのだろう。なんでもやらせてくれた編集長の存在も大きい。もちろん時代も後押ししてくれた。幸福な時代だった。

それでも僕はあえて言いたい。その編集部に潜り込めた自分の運がすべてだったと。

周囲の期待に押しつぶされる必要はない。自分は自分だし、どんな人間にもその人なりの役回りがある。

その仕事が、その仲間が、自分にとって大切だと思えるのなら大丈夫。いつしか仕事のほうから自分に近づいてくることになる。このみそっかすの僕がそうだったんだから。

バンドリーダー


こんなことをふと思い出したのは、クリストファー・クロスの「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」とダン・フォーゲルバーグの「リーダー・オブ・ザ・バンド」がたまたま街に流れていたから。僕の学生時代に流行った曲だけど、初秋の東京の空に涙が出るほどマッチした曲なのです。

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