ベルリン・フィルハーモニーで『第九』を歌った日々。


五年前の五月。僕は当時参加していた合唱団のメンバー九人とともにベルリンに向かった。ある音楽旅行会社主催の「第九チャリティーコンサート」に参加するためだ。

合唱団は日本各地から総勢二百人が集められた。指揮者は僕らの合唱団の指導者で、ソリストは現地のプロの声楽家、オーケストラはベルリン交響楽団だった。

年末になるといたるところで行われる「合唱団による貸館第九公演」を、金にものを言わせてベルリン・フィルハーモニーでやっちゃおうという昨今ありがちな企画。でも憧れのベルリン・フィルの本拠地で歌えるという魅力には抗えず、僕は会社に十日間の有給休暇を申請した。

ベルリン・フィル

合唱団のメンバーは僕以外はすべて女性。それはそうだろう。五月の中旬という時期に十日間も休める会社はそうはない。最初はお姉さま方の後ろをおとなしくついて回っていたが、いろいろと事件も起き、帰る頃にはなんだか「戦友」みたいなノリになっていた。

事件の最たるものは、「合唱団が歌えていなかった」ことだ。

いくつかの団体や有志、個人参加も多い寄せ集めの合唱団。それが二百人も集まると合わせるのは至難の業だ。指揮者はこれも想定内なのか、あまりガミガミ言わなかったが、二回目のリハには現地の合唱団メンバーが新たに加わったり、「自主練をしましょう!」と呼びかける人が出たりで、なかなか騒然としていた。

そんな中、僕たちはせっせと観光にいそしんだ。

五月のベルリンは気候も良く、道沿いにはマロニエの花が咲き誇っていた。リハが終わって近所を散策し、見晴らしのいいカフェに入って飲んだコーヒーのそのおいしかったこと! 夕食後にはホテルから出て、地元の人が行くようなスーパーマーケットまで歩いてお土産物を物色した。朝早く起きてテレビ塔やベルリン大聖堂、ベルガモン博物館を見学したこともある。数年前に訪れたばかりだった僕はいっぱしのガイド気分でみんなを引率した。

ベルリン大聖堂

途中、僕はうっかりして「半日乗車券」の制限時間をオーバーしてしまい、確か十倍? の罰金を払わされる羽目になった。本番当日だったからそれなりにショックだったけど、いまとなってはいい思い出だ。

午後のゲネプロが終わると夜の本番までけっこう時間があった。いまがチャンスとばかりバックヤードの探検を始めた。ステージのすぐ裏にあるカフェテリアがオープンしていて、いつもはベルリン・フィルの団員が口にしているであろうアラカルトやスイーツを堪能できた。練習部屋だろうか、立派なスタインウェイを置いてある部屋がいくつもあった。喫煙ルームも見つけた。壁には来週行われる予定の野外コンサートのプログラムが貼ってあった。こんな風景を見られただけでも、はるばる海を越えてきた甲斐があるってものだ。

そして本番。チャリティとは聞いていたが、なんと客席はほぼ満員だった。アマチュアの常で、本番はこれまででいちばんの出来だった。

終わった後にうわーと拍手が来て、ソリストや指揮者がカーテンコールを受けるうちに、二階の奥から「合唱団もよかったよ!」みたいな掛け声(もちろんドイツ語だ)がかかった。

僕らはとても幸せだった。

合唱団が一堂に会する打ち上げはさすがに用意されていなかったが、指揮者が僕らをポツダム広場の奥にあるカフェに誘ってくれた。偶然ソリストのソプラノ歌手がいたり、指揮者のベルリン在住の友人たちが集まっていたりして、午前二時近くまで祝杯を挙げまくった。

ポツダム広場

いつしか僕の隣には個人参加のアルトの女性が座っていた。彼女が僕の大学のオーケストラでティンパニを叩いていたという話でえらく盛り上がった。酔いが回った僕の頭の中で、彼女のシルクのようなアルトの声がぐるぐると回り続けた。

外に出ると大粒の雨が降っていた。指揮者が止めてくれたタクシーに乗り込み、僕らは肩を寄せ合いながらホテルに戻った。

それもこれも、すべて第九のおかげだと、ちょっと叫び出してしまいたいくらいの懐かしさを込めて僕は思い出す。

結局、僕はその合唱団を辞めてしまった。あのときのメンバーの歌声は、いまは客席に身を置いて聞くしかない。それも今年はまだ一度も実現していないのだけれど。

翌日、僕らはバスに乗り、ドレスデンとプラハに旅立った。オプショナル・ツアーというやつ。そのときの話は、また別のおりに。

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