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北の大地で聴いたドヴォルザークは、恋の始まりのような喜びに満ちていた。


出版社時代、僕は3年ほど販売部にいたことがある。

雑誌販売に1年、書籍販売に2年ほど。雑誌販売のときは主に日販やトーハンといった取次を、書籍販売では担当地域の書店をひたすら回っていた。

首都圏以外のメインの担当地区は北海道だった。三か月に一度、ひとりで飛行機に乗り、各地の書店さんを訪ねて新刊の注文を取っていた。

と言っても、ほとんどは札幌と旭川。基本はそれで事足りる。でも、帯広にも釧路にも北見にもご贔屓の書店さんは存在するから、年に一度くらいは顔を出す。ただ顔を見せて、「これからもよろしくお願いします!」と尻尾を振る。
 
札幌の老舗の書店さんからは「今夜は空いているんだろ?」とすごまれ、すすきのの飲み屋を何軒もはしごさせられた。「北海道担当だったら、冬に来なくちゃだめよ」と女性店員にたしなめられ、ちょうど雪まつりの頃に出掛けたこともある。そのときは旭川の氷祭りまで見て、氷点下二十度の夜空に上がる花火の見事さに言葉を失った。

すすきのの「だるま本店」で、ジンギスカンって本当はこんなにうまいんだと驚愕したのもこのときだし、狸小路のお寿司屋さんで目からウロコの鮭をいただいたのもたしかこのとき。こんなふうに書いていると、いつ仕事したのかよっ! て怒られそうだけど。

まあ、いまとなってはいい時代だった。

キタラ

あれは五月の連休明けだった。

ようやく桜が満開になった中島公園を「札幌コンサートホールキタラ」に向かって僕は歩いていた。

たまたま夜、予定が空いたのだ。調べてみるとなんとその日、札幌交響楽団の演奏会が予定されていた。プログラムはドヴォルザークの「新世界」。指揮はバイロイトの「トリスタンとイゾルデ」で名を上げた大植英次。これはもう行くしかない!

北海道産の木材を使用したキタラの美しさは、世界一とも言われる音響の素晴らしさとも相まってまさに圧巻だった。

大植英治もステージ上で「大きな声では言えないですが、ここはサントリーホールよりずっといい」と声を潜めた。

そうやって始まった「新世界」、何度も聴いた曲なのに、これほど新鮮に響くのはなぜなんだろうと僕は感激しながら考えた。

きっとそれは、広大な北の大地とシンクロするナチュラルでネイチャーな音楽だからなのだろう。

第一楽章の第二主題を吹くフルートの物悲しい音色。第二楽章、有名な「家路」のあの懐かしさはイングリッシュホルンでなければ成立しない。第三楽章スケルツォ冒頭の胸をえぐるオーボエの刻み。そして第四楽章第一主題の勇壮なホルンの雄叫び。すべては大地にこだまし、その上で暮らす者の胸を突き動かす。

そうだ。それはまるで、とうに忘れていたはずの恋の喜びに震える胸の鼓動のようだった。

ドヴォルザークの生家

それからずいぶん経って、僕が合唱仲間とプラハに行ったときのこと。オプショナル・ツアーの中に「ドヴォルザークの生家」が含まれていた。

小さな庭付きの一軒家で、中は博物館になっていた。訪れる人はあんまりいなくて、ほとんど貸し切り状態。「もしかしてドヴォルザーク、母国では流行っていないのか?」と思わせる淋しい状態だった。

でもご安心を。この後立ち寄った墓地では、「モルダウ」の最初の4音だけが墓碑に彫られたスメタナよりもはるかに立派なドヴォルザークのお墓を拝むことになったのだった。

閑話休題。書籍販売部から書籍編集部に異動になり、ついには会社ごと辞めてしまった僕はすっかり北海道から足が遠くなってしまった。

ときおりふと思い出す。「新世界」を聴き終え、桜が舞い散る夜の中島公園に再び立ち戻ったとき、僕の胸に去来したあの締め付けられるような思いを。

誰かを思う気持ちは、きっと、こんなふうに突然起こり得るものなのだ。

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