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「間奏曲」とは避暑地のように人の心を癒す音楽。


夏になると無性に別荘や避暑地に憧れる。もはや通過儀礼みたいなものだ。

避暑地はやっぱりパン屋さん。軽井沢の「ブランジェ浅野屋」や那須の「ベーカリーペニーレイン」は、行くと必ずいちごジャムとかブルーベリーブレッドなんかを買いに長時間並んでしまう。

北海道はなんたって富良野のラベンダー畑。車を走らせていたら夕立に見舞われたことがある。雨が上がった後にラベンダー畑一面にかかった虹のなんと美しかったことか。

夏休みに避暑地できちんと心と体を休ませないと、一年中どうも調子がおかしいと言っていた友人の言葉を思い出す。

炎天下のテニスコートをひたすら駆けずり回っていた九州出身の僕にとって、避暑地の夏ほど贅沢で魅惑的なものはない。そこに小池真理子の直木賞受賞作『恋』のような秘密の物語があればなおさらである。

それでふと思いついた。避暑地とは「間奏曲」みたいなものじゃないかと。

カヴァレリア・ルスティカーナ

「間奏曲」と聞いて真っ先に思い出すのは「カヴァレリア・ルスティカーナ」のそれだ。

言わずと知れたマスカーニのヴェリズモオペラの傑作。ストーリーは実話に基づく。

兵役帰りのトゥリッドゥ、昔の恋人でいまは人妻となったローラと密会を重ねている。嫉妬に狂ったトゥリッドゥの許嫁であるサントゥッツァはそのことをローラの夫アルフィオに告げ、決闘の末、トゥリッドゥは命を落とす。

サントゥッツァが許嫁の不貞をアルフィオに密告し、アルフィオが復讐に燃えて咆哮したあと、その場をなだめるように間奏曲が静かに流れる。それまでの音楽の流れとは全く別の、光の粒のような祈りの音楽。のちに歌詞がつけられ、「アヴェ・マリア」として歌った人も多いのではないだろうか。

後半の弦楽器による圧倒的なユニゾン。厳かな祈りは成就され、舞台は運命に翻弄される人間の性(さが)をさらけ出す。

グレン。グールド

晩年のブラームスが残した「間奏曲」(インテルメッツォ)もそれに負けず劣らず美しい。

作品117、作品118、作品119に代表される10曲の間奏曲は、どれも優しく穏やかな癒しに包まれた名曲ばかり。とくに作品118-2イ長調の美しさは筆舌に尽くしがたい。

一般にはグレン・グールドが弾いた「間奏曲集」が有名だが、僕はイーヴォ・ポゴレリッチかマリア・ジョアン・ピリスのほうが心に染みる。両者とも音が明るく、深刻ぶらずより透明度が増している。そこに人生のあきらめはなく、確かな希望を感じることができる。

作品118の6曲はクララ・シューマンに献呈された。さまざまな感情を経た上の究極の友情がふたりの心を結び付けていたのだろう。

カラヤン

ところで、カラヤン&ベルリン・フィルの名盤で「オペラ間奏曲集」というのがある。

「カヴァレリア・ルスティカーナ」はもちろん、ヴェルディ「椿姫」、プッチーニ「マノン・レスコー」やマスネの「タイスの瞑想曲」まで入った王道のコンピレーションアルバム。1960年代の録音だが、ベルリン・フィルの弦の美しさが際立っている。ヒーリング効果抜群の一枚だ。


人は誰かに癒されたいし、それ以上に誰かを癒したいと願っている生き物だと思う。でも自分自身に力がないとすぐに挫けて、誰かを慰めるなんてとてもじゃないができはしない。

そんなとき、人は「間奏曲」に救いを求める。癒しのパワーを連鎖するために。

さあ今夜もブラームスを聴こう。きっと夢の中で、僕は誰かの背中をそっと押すだろう。

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