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岩城宏之という指揮者は、はたして正当に評価されているのだろうか。


いまは亡き指揮者の岩城宏之に取材をしたことがある。

彼が亡くなる前年の十二月。場所は赤坂の全日空ホテルだった。

その年の大晦日、彼はベートーヴェンの九つの交響曲を一夜にして全部振るという一大イベントを行った。当時そんなことをする指揮者は世界中に誰もおらず、彼にとって二回目の挑戦になったこのときもメディアは何となく物珍しそうな好奇な目を向けていた。

でも僕はどうしても話が聞きたかった。なぜなら、彼は僕がクラシックに目覚めたときのヒーローのひとりだったから。

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小学生だった僕がクラシックに触れることができたのは、ほぼNHKのFM放送と「N響アワー」だけだった。で、そこでバリバリとN響を振っていたのが岩城宏之だった。

ブラームスの交響曲第二番もチャイコフスキーの交響曲第五番も彼の指揮で曲を覚えた。大汗をかきながら熱演し、終わると顔をくしゃくしゃにして聴衆に頭を下げるその姿は子どもながらに印象的だった。だけどその音楽が最上のものかどうかはよくわからなかった。日本のオケだし、カラヤンやベームに比べたらやっぱり落ちるのかな。子ども心にそう考えた。自分の尺度なんて持っていなかったのだから、ある意味当然だ。

中学生になってビートルズに魂を持って行かれて以来、僕は長い間クラシックの世界から遠ざかった。戻ってきたのは社会人になってから。だからその間、岩城宏之が何をしていたかなんてまったく知らない。日本人として初めてベルリン・フィル、ウィーン・フィルの指揮台に立ったということは聞いていても、なんとなく「小澤征爾には水をあけられちゃったな」くらいにしか思っていなかった。

全日空ホテルの指定された部屋で友人のライターさんとカメラマンの三人で待っていると、やがて岩城宏之が「やあやあ」という感じで入ってきた。

何度目かのがん闘病を経て彼は驚くほど痩せていたけれど、「もう治療は終わって、いまはがん患者じゃないよ」と静かに笑っていた。

椅子に座って今回の全曲演奏会のことを聞く。ベートーヴェンの九つの交響曲がまるでひとつの曲のように思えること、いまいちばん気に入っているのは第八番だということ、学生時代、長野まで電車で彼女を送って行って、帰りの電車の中で「エロイカ」の勉強をしたことがあること、そんなことを例のくしゃくしゃの表情で優しく語ってくれた。

「カラヤン先生に言われたことがあるの。オケはドライブするんじゃなくて、キャリーするんだと」

指揮とは手綱を引き締めて楽団員を統率するのではなく、あくまで彼らの自主性に合わせて同じ方向に引っ張っていくものだということなのだろう。まったくの素人である僕たちにこんな貴重な話までしてくれた。僕はすっかり岩城ファンになってしまった。
 
取材はその日だけだったが、リハーサルを見学してもよいと言われた。ならばと十二月三十日、池袋の東京芸術劇場に向かった。オケは岩城宏之メモリアル・オーケストラ。このときもコンサート・マスターはN響の篠崎史紀(通称マロさん)だった。全曲通すことはなく、どれも第一楽章の途中までやってさっさと終わった。拍子抜けするほどあっさりしている。この日はたぶん二時間ほどで解散したと記憶している。

そして翌日の本番。午後一時から第一番が始まった。

僕とライターさんは一階のちょうど真ん中あたりの席。ふと見ると僕の目の前にあの有名な医師の日野原重明が座っている。友人である彼の身になにかあったときのために駆けつけていたのだ。

いずれも速いテンポで岩城宏之はオケをキャリーしていく。曲が終わるたびにだんだんと休憩時間が長くなり、夜7時にはたしか2時間の大休憩が入った。七番、八番くらいになるとこちらも言いようのない高揚感に包まれる。なんというか、大宇宙の中に体ごと持ち上げられているような感覚なのだ。

そしてついに第九が始まる。時計の針は深夜十二時を回っていた。最終楽章の「歓喜の歌」が鳴り終わったとき、自然と涙がこぼれた。この歴史的イベントに立ち会えたことを心の底から感謝した。

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年が明け、編集部でクラシック好きのひとに会うたびに「これからは岩城宏之の時代だよ!」と僕は豪語していた。

なのに彼はこの年の六月十三日に亡くなってしまうのである。

最後の舞台はその約三週間前の五月二十四日、東京混声合唱団の演奏会。十四番まである軍歌「戦友」をすべてソット・ボーチェ(小声でささやくように)で歌わせたという。この話を聞いただけで鳥肌が立った。岩城宏之は革新的な人だったのだ。

彼が亡くなってはや十五年。オーケストラ・アンサンブル金沢は今年も「岩城宏之メモリアルコンサート」を企画し、年末のベートーヴェン交響曲全曲演奏会は小林研一郎に引き継がれている。それでも岩城宏之という指揮者の実像をきちんと後世に遺せているかと言われれば、やはり首を傾けざるを得ないだろう。

ということは僕がやらなきゃいけないか。そんなことを今朝方、ふと思いついた。

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