ディースカウとボストリッジ。ふたりの「冬の旅」が教えてくれること。


本当に久しぶりにCDを買った。マレイ・ペライアのシューベルトとブラームスの曲を集めた8枚組のボックス。その中に、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウが歌う「冬の旅」が入っていた。

彼は「冬の旅」を7度録音していて、これはその最後のバージョン。引退する2年前、1990年の録音だ。

夜更けに聴いてみて、驚いた。なんと優しい「冬の旅」だろう。マレイ・ペライアの繊細なピアノに支えられて、ディースカウはやや枯れた声を聴く者の心にまっすぐ届けている。アマゾン・レビューでは「老獪をさらした」と酷評したものもあるが、僕はそう思わない。シューベルトが作曲した心境にもっとも近いのではないか。だからあえて彼はこの年齢になって再度録音してみたくなったのではないか。そんなことを考えた。

マレイ・ペライア

思えば僕にとっての「歌」はいつもディースカウとともにあった。

最初に聴いたのはジェラルド・ムーアが伴奏した「冬の旅」。母親がレコードを買ってきて、夜、布団の中で耳をそばだてて聴いたものだ。2枚組で、最後の第4面にフルトヴェングラーが指揮したマーラーの「さすらう若人の歌」が入っていた。フルトヴェングラーは若き日のディースカウを見出した恩人のひとり。ちなみに、この録音はフルトヴェングラーの中では信じられないくらい音がいい。なぜだろう。

カール・ベームが指揮した「魔笛」のレコードで、ディースカウはパパゲーノを歌っている。セリフも含めて実にコミカルだ。こんな役も演じてしまえるのが彼のすごいところ。バイロイトでは「タンホイザー」のヴォルフラムが十八番だった。イタリアオペラも得意で、ヴェルディの「リゴレット」タイトルロール、「椿姫」のジェルモン、プッチーニ「トスカ」のスカルピオの録音は名盤の誉れ高い。現代音楽も積極的に取り上げ、ブリテンの「戦争レクイエム」では初演者のひとりだ。こんな歌手、誰もいない。

2012年に亡くなっているから、来年が没後十年。残念ながら生の歌声に接することはできなかった。だけど録音で聴くたびに、その深いバリトンの声に癒されてしまう。

僕にとって彼の歌声は、クラシックそのものなのだ。

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ほかにもそんなふうに思える歌手がひとりいる。

イアン・ボストリッジ。イギリスが誇るテノール。まだ現役バリバリで、数年前にトッパン・ホールで聴いたことがある。シューマンを中心にしたドイツ・リートのリサイタルだった。

ボストリッチ

彼はオックスフォード大学を首席で卒業し、オックスフォードとケンブリッチの両方で博士号を取っている。専門は科学哲学史。長身で、額に落ちた髪をかき上げながら歌う仕草はまさに学者そのものといった感じ。トッパン・ホールのロビーには彼が「冬の旅」について考察した本が並べられていた。すごく興味深かったが、6000円以上したので結局買わずに帰ってきた。

テノールという声質は、どちらかというと英雄的というか、どこか能天気で直情型のような印象だが、ボストリッジの歌はテノールにおけるほとんど唯一の「知性派」だ。テキストを読み込み、深い解釈とともに放たれるその歌声は、音符の向こうに広がる世界を彷彿とさせる。心地よい「知性の風」を感じるのだ。

彼が内田光子と録音した「冬の旅」をディースカウと比べてみるのも面白い。テノールとバリトンという違いはあるが、ボストリッジは絶望の先に「希望」を見据えているような気がする。ヴィルヘルム・ミュラーが書いた詩の主人公に即した「青年像」なのかもしれない。

冬の旅

ずいぶん前、テレビで彼のリサイタルを放送していて、そのアンコールで歌った「ナイト・アンド・デイ」にすっかり痺れてしまった。こんなジャズのスタンダードも粋に歌いこなす。ボストリッジ、素敵です。

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