彼女の隣にいて思い出した、高校三年のエピソード。


二日の遅れのクリスマス・ディナーを彼女と楽しんだ。

カウンターの席に並んで座って美味しいワインとイタリアンをいただく。それぞれの昔のことを懐かしく話しているとき、ふとこんなことを思い出した。

あれは高校三年の五月半ばのことだ。


僕は軟式テニス部のキャプテンだった。その少し前に行われた北九州市の大会で僕らは団体戦のベスト4に入り、念願の福岡県大会出場を決めていた。

団体戦はダブルス3チームで行う。補欠も入れて登録は4チーム。一番手(一応僕のペア)と二番手、そして補欠のチームは三年生で、次期キャプテン候補の二年生ペアが三番手を務めていた。

その日は狭苦しい部室で今後のことを話し合うことになっていた。

県大会に出られるのはいいが、その試合は七月下旬で、そこまで部活を続けると受験勉強に出遅れてしまう。さてどうしよう、というわけだ。

当然のことながら、僕はこのまま練習を続けようと強く主張した。でもそんなことをして浪人でもしたら本末転倒だ。ここは潔く後輩に道を譲ろうという意見が大勢を占めた。

重苦しい沈黙。折衷案が出る。大会まで三年生は三日に一度程度の練習でやり過ごそう。そうすれば受験と両立できるんじゃない?

すると次期キャプテンと目される二年生が静かに手を上げた。

「はっきり言って、そんな形で練習に来られても、僕たちは迷惑なだけです」

それを聞いて僕は即決した。わかった。今日を限りに三年生は引退しよう。あとはおまえたちに任せる。どうか精いっぱい頑張ってくれ、と。


部室を出て、僕はひとり自転車で家に帰った。もう日は暮れている。道すがら、ひとつ上の先輩で元キャプテンの家に向かった。夏休みにみんなで遊びに行ったことがあった。ちょうど帰り道の途中だし、なんにしても今日のことを報告しなくちゃ。そんな思いだった。

大学生になっていた先輩は、幸いにも家にいた。

「どうしたんね」と驚きながらも先輩は僕をリビングに招き入れてくれ、冷たいアイスコーヒーを出してくれた。

それをちびちび飲みながら、僕はさっきまでの話の中身を先輩に伝えた。「すみません、こんなことになってしまって」。そう言ったとき、不覚にも僕の目から涙が溢れた。高校三年にもなって人前で泣くなんて。恥ずかしさに動転したが、溢れる涙を止めることはできない。僕は嗚咽まで漏らして泣き続けた。

先輩はただ黙って「そうか、そうか」とうなずいた。そしてやおら立ち上がると、リビングの隅に置いてあったオーディオセットで一枚のLPレコードをかけた。

流れてきたのは、ピンク・フロイドの「狂気」だった。

狂気

プログレッシブ・ロックの先駆者である彼らのアルバムを、僕はそのとき初めて聴いた。タイトルまではわからなかったが、まるで闇夜の空を舞う蛇のようなデビッド・ギルモアのギターにわけもわからず聴き入った。

そのせいなのかどうかはわからない。しばらくして僕は落ち着きを取り戻し、先輩に礼を言って再び自転車に乗った。


そのことを僕は誰にも話していない。彼女に初めて話した。いや、話せた。

話しながら僕はうっすら泣いていた。横を見ると、彼女の目も真っ赤だった。

「あなたも、その先輩の気持ちも、すごくよくわかる」と彼女は言った。

こんな女性が僕のすぐ隣にいることを、いったい誰に感謝すればいいのだろう。

今日でこの一年が終わる。彼女と出会えた素敵な一年があと数時間で幕を下ろそうとしている。

ありがとう、君よ。来年も、どうぞよろしく。

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