恩師を思い出した話④
③のあらすじ
リーダーになった。
〜〜〜続き〜〜〜
左にはベテラン同期Sさん、右にはAさんという幸せこの上ない環境で、リーダーとして共通機能を作ることになった(当然作れない)
Aさん「まずはモック(なにそれ?)とかスタブ(なにそれ?)を作ったインターフェース(なにそれ?)を決めちゃってメンバーに渡そうか」と。
Aさん「中身はいらないから、固定値で戻り値返すようにつくればいいからさ」
???
戻り値が何かもよくわかってなかった僕は何もできずにひたすらスケジュールが遅れていった。
覚えてないけどSさんがかなり巻き取ってくれてたんだと思う。
それなのに一切責めることなく本当に毎日毎日プログラミング談義に囲まれて色々教えてもらった。
ある日、Aさんが午前休を取った。前日僕は大型の検索処理のSQLの実装を任されていた。
だが、SQLが1行も書けなかった。何を書けばいいのかまったくわからなかったのだ。
午後Aさんが出社するや否や泣きそうな顔で駆け寄り
「すみません!全然進んでないです」と言った。
するとAさんは笑いながら「えーwちょっと見せて見てよ」と言っていた。
僕の席でカタカタとSQLを書いて(おそらく数分くらいだったと思う)
「よしできた」とブラウザには検索結果のリストが広がっていた。
30行くらいのサブクエリだっただろうか?
AさんとSさんは「SELECTでのサブクエリやWHERE句でのサブクエリがあるけど書き方がどうたらこうたら」と、そこでも色々教えてくれた。
SVNなどのバージョン管理ツールの使い方を知らなかった僕は、少しいじるとエラーを吐くAさんが作ってくれたSQLを大事に大事に10ファイルくらいコピーしてファイルサーバーに保存していた。
そうして少しいじっては構文を理解し、他の検索機能を実装していった。
左右のすごい人たちに囲まれる日々が2ヶ月ほど続きあれよあれよと、クラス、メソッド、抽象クラス、リフレクション、文字コード、SQL、サブクエリなどがわかるようになっていった。
概ねSNSの機能が完成するころ、ある程度若手も育ったしお金も稼がなきゃいけないのでということでSさんも、Aさんも現場に出て言った。
代わりに30代後半のベテランの人が入ってきて、新人研修が明けた後輩も入ってきて僕は引き続きリーダーとして開発を続け、軽微なバグ改修などをしていたと思う。(正直あんまり覚えていない)
〜〜〜続く〜〜〜〜
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