恩師を思い出した話②

①のあらすじ

僕は今2個の出来事で落ち込んでいる

〜〜〜続き〜〜〜

あの頃の僕は、自宅待機ではなく国から助成金が出るということで、新人研修が終わった後もひたすら社内研修を受け続けていた。

同期で楽しく過ごしてるものの、上司からの課題に応えられず日増しに呆れられる日々だった。

ちなみにその上司は僕の仲の良かった先輩などのことが大好きでよく自慢していた。

僕はその部署始まって以来初の文系・未経験採用だった。

だから先輩達は本当によく仕事ができた。

心の中で

(あぁきっと上司はこの人たちと自分を比べている。僕を採用しなければ良かったと思ってる違いない)

(僕が何もできないから客先にも出れず、社内研修を受けるしかないんだ)

頑張っても頑張っても何も出来ない自分を責める日が続いていた。

転機が訪れたのは2年目の夏頃だっただろうか。

当時はSNS全盛期で研修がてら無料でいくつかのコミュニティ(社長の知り合いだったのかな?)だったり、無料の会員制のSNSをいろんなチームで開発していた。

僕はとても尊敬していた1つ上の先輩Y*1の金魚のふんとして何かしらのSNSを開発をしていたはずだ。

ある日突然Yさんの常駐先*2が決まった。

先輩はAjaxを使ったGoogleMap周りの実装をしていて、これから機能拡張を行おうとしていた矢先だった。

幾十ものサンプルプログラムと使い方を僕に伝授し「じゃ、あとよろしくね!」と去っていった。

かっこよかった。

入れ替わりで、僕やYさんとはまた違う部署(Javaのエリート達が集う部署)の所長(普通の会社でいうところの課長)さんがPMになることが決まった。

この人が後の僕の恩師だ。

もうあまり覚えてないが僕のチームは僕の同期が大半で、Yさんがリーダーをやって一人で支えてたように思え、開発をまともにできる人がいなかった。

どういう経緯かはわからないが、そんな時なんちゃって同期のSさん*3が開発リーダーとしてJOINすることになった。

恩師のAさんは、まず僕らを集め自己紹介をしてくれた。内容は忘れたが「自分の部下が社内待機で研修を受けているのに1人で現場に出てる場合じゃない、おれが教育する。そのために戻ってきた」という尋常じゃないくらいかっこいいセリフだけは覚えている。

〜〜〜続く〜〜〜

*1前の会社では1年目のみMVPの選出のようなことがあり、1番実績を出したひとが新人賞をもらう文化があった。Yさんは文系未経験ながら新人賞を獲得したすんげー人

*2多重請負構造とかで調べてもらうとわかるが、当時の会社は孫請けくらいから始まるSES契約で働くのが中心(人貸し?)の会社で、直接取引する会社の社員を名乗ることもしばしばあり、現場で人手が不足した場合などに面談を受けて合格すればそこの現場で働くことができるよな感じだった(と思う)そのことを客先常駐と呼んでいた。

*3僕の同期は10人くらいいたが、同じ時期に中途社員としてJava歴10年という30才くらいの関西人が一緒に研修を受けていた。めちゃくちゃできる人なのだが新人研修というものが存在しない世界で生きてきたらしく経験として受けたいとのことだった。当たり前のごとく研修の終わるスピードが尋常じゃなかった。

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