恩師を思い出した話⑥

⑤のあらすじ

恩師Aさんが来る前と、去った後は地獄だった

〜〜〜続き〜〜〜

地獄を1ヶ月くらい過ごしていたら、なんとAさんの現場でテスターが欲しいからと言うことで僕を呼んでくれた。

面談は正直微妙だった気がするが、「Aさんの連れて来る人なら間違いない」と顔パスで入場が決まった。

そろそろ終わりにする予定なので、この辺の話や常駐時代の話はいつか別途書きたい。

・若手の育成のために自分の意思で社内に戻ってきた

・僕にとって最悪だった課題をなくしてくれた

・Webやプログラミングのやりかたと楽しさを教えてくれた

・自信を与えてくれた

・僕の初現場という体験まで与えてくれた

これだけで十分恩師にあたるが、決定的な出来事は数年後に訪れる。

実はテスターとして入場するも大きな成果は出せずにプロジェクトのシュリンクと共に数ヶ月で僕は退場となった。

しかし、プログラミングの楽しさを知れた僕は、その後複数の客先での開発経験や、社内プロダクトの開発を経て僕のスキルはメキメキ伸びた。

そして再びAさんの現場に戻った。

今度は顔パスの温情入場ではなくしっかりとした役割があったし、面談もスキルや経験を加味してくれた上での合格*2だった。

結果を出したい、成長した自分を見せたいという焦りがあったのかもしれないが、天狗にもなっていたのだと思う。あれだけ教えてもらったにも関わらずAさんはマネジメントスキルは抜群だけど現役は退いていて、メインの開発はお客さん先のプログラマーや僕だった。

ある日しばらく使うと劇的に描画が遅くなるという問題が納品先である顧客から報告があった。

Java&Struts&Oracle9iでORMはiBatisか何かだったと思う。

僕は必死にコードを再確認するも原因を特定できずにいた。

普段は定時で帰るAさんが遅くまで付き合ってくれてコードを読みながら、「ここがおかしいんじゃない?この実装って大丈夫なんだっけ?」と言った。

僕は改めてリファレンスなどを確認し、ルール外の書き方であることを理解した。

その時にこやかにAさんが言った

「おじさんもまだまだやれるでしょ?」と。

たまらなく恥ずかしくて涙が込み上げてきた。偉そうにしてたことなのかAさんをどこかで舐めていたことなのか、結局自分に実力なんてないことなのかよくわからなかった。

〜〜〜次回で最後です〜〜〜

*1一次受け=某大手ベンダー、二次受け=僕の勤めてた会社の直接のお客さんなので一次受けの会社=納品先である顧客という表現にさせてもらった。

*2面談で合否とかはNGって記事も見たことあるけどそういうのはここではスルー。そもそも昔の話だし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?