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おはよ。

1年ぶりのnote。

「わたしはここにいるよ」って発信することが、この1年ほどでこわくなってしまっていて、わたしのなかに表現を押し込めていたように過ごしていた。

毎朝起きたら世界に発信したいことやわくわく実現したいアイデアが頭のなかにいっぱいダウンロードされてて、それを毎日毎日とりこぼさないように夢中でメモしたり、スケッチしたり、次々に実現していた時期が約2~3年ほど前だろうか。

世界がいろんな色に、いろんな角度から見えて、輝いていて、すべての時間と人が愛おしいと思っていた。私の関わる全ての人たちに輝きのきっかけをお渡ししたいと思っていたから、いろんな人の悩みを聞いてひとりひとりに寄り添うことをしていた。いっしょにワクワクする一歩を踏み出す作戦を考えて着火をしまくっていた。みんなに楽しく生きてほしいから、私はまず笑顔でいたいと思っていた。自分がやりたくないことでも、みんなのためにがんばるんだと思って、私の中の声には多少耳栓をしてやりすごした。みんなのために、みんなのために、みんなのために。わたしはがんばりたいと思っていた。それがわたしの幸せの広げ方であり、使命なんだと。

でもいつしかそれが、気づかないうちに「がんばらないと」になっていて、「笑顔でいないと」になっていて、そしたら、自分が世界に何を伝えたいか何も聞こえなくなって、空っぽになった。あんなに無限の泉みたいに湧いていたアイデアだって、なにも浮かんでこない。自分の目の前をただ時間だけが通り過ぎていく。無色の世界。もしくは色が混ざりすぎて、無彩色の世界。外の世界はがやがやうるさく、頭の中は砂嵐。自分の中の声は雑音にまみれて聞こえない。なにも考えることができなかった。

がんばることができない自分はダメだ、やる気の持てない自分は価値がない、がんばってモチベーションを作り出す何かをつかみとらないと、前のように戻らないと、焦った。私はそこから土の中にもぐっていった。土の中でもがいて、もがいて、前に進まないとと思って、とりあえず進む。もちろん光は見えなくて。何も見えなくて、息も苦しくなってきて。どこに向かっているのかもわからなくて、一生この土の中にいるのかもしれないなと思った。

でも、土の中にいて、気づいたことがひとつだけあった。
「私は思いっきり息をしたいんだよ!!!!」って。

すると、本当に久しぶりに自分の中から声が聞こえてきた。

「絵、描く。アーティストになる。」

絵を描くのは嫌いではないけど、日常で特に絵を描いていたわけではなかった。特にうまいわけでもない。なぜかはわからない。でもその声が聞こえてきた。意味わかんないし、どうしようもない自分の願いの声。

土のなかにもぐって周りの声が聞こえない静かなところに来て、やっと聞こえた自分の声。その瞬間、身体の震えが止まらなくて涙が止まらなくて、気づいたら、わたしは一枚の絵を描いていた。

深夜いきなり描いた。

タイトルは「awakened.」
何かのついでに買って家の中にねむっていた絵具たちを引っ張り出して。
わたしの中で何かが呼び覚まされた、そのcallを描いた。

もちろんこの絵を描いたからといっても、わたしはまだ土の中深くを潜っていた。さらに深く潜っていったところ、ある人(※この方は、わたしの不思議な人生のタイミングで突然目の前に登場され、そして颯爽とまたいなくなっていく方というイメージを持っている。笑)から「アート合宿deep」の案内がひょいっと送られてきた。

アーティストになる、とか、絵を描いたとか一言も伝えていないのになぜこの案内を?と思いながら、案内先のリンクを開いた。(アート合宿について詳細を知りたい方はアート合宿主催者大野幸子さんのこちらのnoteをどうぞ!)

deepの募集文案は以下のようにはじまる。

そんな、なまやさしいもんじゃない
おろし金に自分の肌を押し付け、じゅるりと削りおろす
痛さより前に、いわれなき悔しさが込み上げ
浮かびあがった鮮色なる紅に、どうしようもなく歯がみする

傷つければ傷つけるほど手からこぼれおちていく己の虚しさを
ただ見るに任せるしかない己の無力さを
こぼれおちた血くずを集め、そこから這いあがるしかないこの辱めを
このやり場のない情念を、一体どうすればいいのだ

https://www.yukiko-ohno.com/post/artwsdeep

なんでdeep。わたしが今潜っていること知っているんだろうか?とにかくまさか自分が深くもぐっている先にこのような怪しい看板アート合宿deepがなんて現れるなんて想像もしなかった。でも、ああ、わたしはここに呼ばれたんだなと思って、そのままの勢いで4泊5日のアート合宿に申し込んだ。

アート合宿では、不思議な時空を泳いだ。ずっと絵を描く。そこで、絵を描くよろこび、自分を表現するよろこび、生きる喜び。生命の喜びを感じる時間がこんなにあるものか、と。感性に身をゆだね、それが発揮されるに伴い出てくるそれぞれの個性と命の美しさ。

私は私であり、私たちでもある。この世界は私が私でいることで輝き、そして輝く「私」の集合体がこの世界なのだと体感する時間でもあった。

はじめて大きい画用紙に絵を描いているの
わたしの描きたいことを描いてる
100枚ドローイング
自分の声を聞いているわたし
自分の負の感情に向き合うことは自分の「護」を知る時間だった
「太陽の花」
みんなにあたたかく聞いてもらえた経験は一生わすれない

下の写真は、主催者の一人である、しゅんちゃんが私を撮ってくれた写真でいちばん好きな写真。絵を描き、その絵の隣で眠っている私。
わたしはこんな人が集まる場所でお昼寝なんて絶対にできないタイプ。でもこのときは気が付いたら眠ってしまっていたみたい。わたしは土の中でこのように眠っていたのかもしれないな。

アート合宿が終わって1か月後。
このときは思いもしなかったのだけど、後日合宿経験者のグループ展edge!!に出る事になり、ここで描いた絵をギャラリーにてたくさんの人に見てもらえることになった。そのときのことは、またいつか。

いまはアート合宿が終わって2か月。(まだ2か月だなんて信じられない)
アート合宿に参加したことがとても遠い昔のように感じるし、幻とさえも感じる瞬間もある。グループ展に参加した以外にも、自分のプライベート含む自分の人生のなかで様々な大きな変化が目まぐるしく起こった。

アート合宿後の2か月のなかで体験したひとつとして、不思議な流れのなかで写真を撮ってもらう機会があった。

いっしょに撮影したメンバーがこれがいちばんいい!と言ってくれた写真


なんか、眠りからやっと目が覚めて、ぼーっとしている写真にも見える。
わたし、いまやっと起きところなのかもしれないね。

おはよ、しーちゃん。
今日からどんな日をすごしていくのかな。







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