天に向かって吐いた唾はいつか自分に落ちてくる

人生は己との戦いだという。
その通りだと思う。

どんな境遇でも、何があっても、
腐ったら終わり。
幸せを諦めたら終わり。

世の中の理不尽に泣いて叫んで怒ったって
結局自分の人生は自分でどうにかするしかなくて、恨みつらみで反抗すればその分自分の首が絞まるもので。

天に向かって吐いた唾はいつか自分に落ちてくる、とはいつか本で見た印象的な一文だった。

一方で、大きな不幸は人の人格を簡単に変えるとも思う。

いじめや暴力、被災や身近な人の死。
裏切られること、傷つけられること、失うこと。

そんなのみんな一緒、
それで自分を見失うかどうかはその人の責任、
というのも分かるような気がするが、
そう言い切れる人は自分を見失うほどの不幸に見舞われたことがないんじゃないかとも思う。

もちろん不幸を言い訳にできるほど人生は甘くないのだけど、人間性なんて実は確固たるものなんかではなく、そのとき良い人と悪い人を分けるのはどんな人生を生きてきたか、運によるところも大きいのではないか。

良い人でいられることはとても恵まれていることで、とても幸せなこと。

ある人に問題があるとするならば、現在の人生が不運だっただけかもしれない。
なにか幸運を掴んだり、本物の愛を噛み締めたり、守るべきものができたり、信じられるものができたときもまた、悪い人から良い人へ、簡単に人間性が変わったりして。

人生は己との戦いだけれど、
結果の全てが当人だけの責任だとは、私は思わない。
少しくらい神様のせいにしたっていいじゃないの。

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