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<まっしー運命学研究所>現実を揺さぶるもの5:自分と他人

ども所長のまっし〜です。

所長は物事の本質を見極める為にルーツを探るようにしております。
問題というのは、根を断つことで解決します。
人によって問題は違い、その根っこが違うと争いになる。
ほぼ全ての人にある問題というのは、不安ではないでしょうか。
安心したいが故に取る行動が社会問題を産んでいると感じると同時に、
ここに本質的な理想社会への道が見える氣がします。

では行きます。

"他人"の一般的な概念は、良くも悪くも他人との比較の繰り返しによって、人それぞれが決めた価値観の集まりのようなものと思っております。

Aさんからお菓子を貰った。
Bさんに可愛がって貰った。
Cさんに叱られた。
僕はこれが欲しい。
私はこうなりたい。
などを繰り返すうちに"自分というパターン"が価値観をつくっていきます。
それを他人と比較することで他人の概念は出来上がります。

他人という概念の見方を切り替えることで、物事の視点や価値観も変わり、
その価値観が変わることで、
他人の行動を受け入れる幅が広くなり、人間関係や社会へ余計なストレスも感じなくなります。

また、この世が自分の写し鏡の世界ということの理解も深まることかと思います。
そして行動も変わり、運命が動き始める。

先ず心理的な見方からしても、
誰かしらに思いやりを発すればその時は穏やかであるし、怒りを発していれば、その時は気分が良くない。
誰かしらを楽しませていれば、自分も楽しい。

これが心の仕組みのベースに在るということ。

これを見えなくする教えの視点、つまり競走観念や物質主義で考えてしまうと、違いを攻撃し、悪や不安を創り出してしまう。

他人は写し鏡の性質が在るということと、他人という概念や価値観を心ベースにすることで、自分を含めた自分以外のものが、とてもあったかいものになるのではないかと思います。

こう考えることで価値観は変わり、行動も運命も変わるということです。
そして、こういった価値観の集まりが概念を書き換えて行くことに繋がるのだと考えております。

それでは、次回は善悪について語らせていただきます。

因みに、自分以外という言葉は、自分を含まないものという意味で使うと思いますが、言葉の意味的に"以外"というのは、それも含む筈です。
この矛盾は何でしょう。
先人達は細かな意味を込めて言葉を使って来たと思っておりますので、普段使うような日本語は、くっきりとした線引きする性質をあまり持っていないのかも知れませんね。
所長は日本人の生き方の本質は調和と思っています。

ありがとうございます。

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