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<まっしー運命学研究所>理想世界11

前回の続きです。

「物事の本質を見極めるにはその出元を遡ることじゃ。
今一度世の中に何が起こっているのかを確認すべきじゃな。」

「そうですね。
どこまで遡るかで本質というのも変化します。
ですが遡れば遡る程根っこは同じという理解は出来ます。
先祖を辿ると元は同じの様なものですね。」

「そう。
現代の混沌は自然とどう向き合うかで論争が起こっておる。

目の前の生活を守ろうとするあまり、限られた教えから来る狭い知識で戦わされておる。

…可愛いんじゃがな。

生命とは何ぞやと答えを出すことで、自然の摂理という大局に人は勝てないと悟るべきじゃな。
所詮は人間の決めた概念など自然には敵わない。
人類自体が盲信し過ぎたのじゃ。
何を盲信し、忘れたのかは解るな?」

「それこそ全てと理と部分の原理ですね。
地球の理、つまり自然の摂理。
動物はこの理の中に留まる存在です。

動物は弱肉強食でバランスが取れてますが、そこに可哀想とか怒るとかの概念などない。攻撃するのは生命を守る為。

全て当て嵌まるとは言い切れませんがそう思います。」

「そうじゃな。
だから、この自然の摂理に準じた生き方を少しは学べといったところ。

文明を捨てろなどいう意味ではない。
その地球からの意図を無意識に受け取り呼応したのが覚者じゃな。」

「二元論でしか考えないからそこが見えなくなっていますね。
凡ゆる事象に真理が在るのに見ようとしないから見えない。
自分を封印する行動を教え込まれているから見えないんですよね。」

「では先程の三点調和を絡めて、自然法則を見ることが人にどう作用するかも少し語ろう。
全ては部分の集合で、部分も更に分解されたものにとっては全て。
理はその全てを繋げるもの。
そういった構造が延々と続いている。

"全て"というのは大局、全体の流れを生んでいる。
部分は個。
個は大局の流れに敵わない。」

「宇宙レベルの大局、地球レベルでの大局、人間が作ってきた社会の大局があって、人間は社会の大局しか見れてませんね。」

「そう。
生きる舞台を引越すことで自然の摂理から力を頂くことが出来る。
それが人じゃ。
本来はそこに至った者を覚醒者と呼ぶべきこと。
より大きな大局にいる者は部分に生きる者とは生きる舞台が違う。

だがどこに生きるかは自由。
上でも下でもないわけじゃ。

より大きな大局に身を置くことで人は自由を得られる。」

「その自由にこそ人間の存在意義があると思います。

自然界から見て人間はイレギュラーな存在。
ただ自然界には善も悪も無いです。
動物界にやられたらやり返すとか上下関係などありません。

もし人に絶滅されたとしても、
天候によって絶滅したとしても動物はあるがままですね。

人が勝手に決めた概念こそが社会の大局。
これは人々の心理を見てると本当によくわかります。」

「そうじゃな。
次回はお役目について語ろうぞ。」

「…(はっ?次回?何言ってんだこの人。いや、コーツ。もはやコーツ)」

「あ?こいつ?😤」

「す、すいません!🙇‍♂️
(ヒィィ、心読まれるんやった
💦)」

               …続く

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