<まっしー運命学研究所>現実を揺さぶるもの3:時間③
ども、所長のまっし〜でございます。
人は目の前が暗くてよく見えないと進む事に不安を覚えます。
人の当たり前な機能です。
過去と未来が現在に与える影響を考慮し、
"今"を生きることへの考え方を、語らせて頂きます。
それでは行きます。
現在に幸せを感じることが重要。
過去を悔やんだり、先のことを心配するのはニの次で良いかと思います。
現代人は、先のことを良くすることばかりに目が向いている気がします。
区別せず未来と現実をくっ付けることで、良き未来ありきの現実を楽しむと言った具合がバランス良いと考えております。
人には未来を創る力が在る。
生きているその時、一瞬一瞬自分の過去未来含めた運命を信じられるかどうかで、大きく変わる。
未来を考えないとか、未来を予測しない、未来から目を背けること、または、今現在ばかりを大事にすることは違います。
時間の概念を考えずに自分を見る。
未来が不安なら、現在はその不安の為に生きている。
未来が楽しみなら、現在は楽しい。
結果を求めるのであれば、それなりの行動を取らねば手に入らない。
価値観や思考の先に行動があります。
そこでどんな思考をするのか。
メンタルトレーニングの様な話にはなります。
現在というのは種まきと収穫を同時にする感覚が大事だと思っております。
もしこのまいた種は必ず実のなる種だと分かっていたら、こんなに楽しいことはないでしょうか。
所長は収穫を何十年と待ってられる程、気は長く無いです。
もう一つは、心の中に自分を幸せにしてくれる木を育てる感覚。
長年育てることで、揺らぐことの無い幸福感がより鮮明になって行く筈です。
これに対して、自分にはそんなものはないとか、もう枯れちゃってるよとか思うのは仕方ないことかも知れなくも、
所長は枯れてるとかあり得ないって思います。
生きてる以上必ず在ります。
別にそれは木でもなく、家や車、船、剣、何かしら自分らしい幸せの印的なイメージが在る。
見えなくても見てると見えてくる。
そんな感じです。
人は不思議なもので、不安が無いと幸せを感じます。
つまり本来は生きているだけで幸せなのです。
そこにやれ時間、ルール、周りの目等、社会に制限される癖がついているだけなのであります。
内に在る自分に目を向けることで、私の言うその幸せの印的な木は見えるのではないかと思うのです。
それでは、次回は場所について語らせて頂きます。
因みに、食パンを焼いていて、焦がして目を離したことを後悔した人に、私目からは気を付けろ、
だけですかね…( ̄▽ ̄)
おっちょこちょいやうっかりは、その人の持つ性格の良い所から、少し漏れた部分的なもの。
自他問わず可愛らしさなんだと出来たら世の中平和ですね。
ありがとうございます。
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