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詩歌の分類フォーマットver.2.0

先日、詩歌ビオトープの分類がこのままじゃ多分ダメなんだろうなあ、という話をしましたが、分類に使えそうなのをふと思い出しました。

それは、萩原朔太郎の「詩の原理」です。

僕はこの本がすごく好きで、ほんとに、これが無料で誰でも読めるなんて幸せだなあと思うのです。

萩原朔太郎って、かなりの理論派ですよね。で、この本以外にも結構哲学的エッセイのようなものをたくさん書いています。

この『詩の原理』は、萩原朔太郎がそれこそ『詩とは何か』ということについて書いた本です。

大抵はね、こういう本って「君が詩だと思えばそれが詩なんだ!」みたいな、そういうことになるのがオチなのですが、これはそうじゃない。だから反論もたくさんあるのだけれど、反論がある、というのがむしろこの本がまともであるという証拠だと僕は思います。神秘主義になっていないというか。

普通はね、この本みたいなことをしたら「そもそも詩を解明したり分類したりしようとする時点でお前は詩が何か分かってねーよ」とか思われるものなのですが、それは確かにその通りなのですが、その野暮を敢えてやってくれている、という、このことの意義はとても大きい、と僕は思っています。

で、本書において朔太郎は、芸術は大きく2種類に分けられる、というのですね。それが美術と音楽であり、どの芸術も究極的にはこのどちらかに含まれるといえるのです。

で、美術というのは、いわゆる絵画ですよね。この絵画は、物事を具体的に、写実的に表現できる。でも、絵画で画家の気持ちを表現する、というのは、できなくはないけれども、難しいわけです。

一方、音楽は気持ちを昂らせることのできる芸術です。つまり、気持ちや感情を表現するのに向いている。でも、その代わりに、風景なんかを具体的に描写するのは難しいですよね。できなくはないかもしれないけれど。

文学の場合、小説は絵画に、詩は音楽に当てはまる、と朔太郎は言います。

で、今こうやって芸術を美術と音楽に分けましたが、といってすべての美術が写実的なわけではないし、すべての音楽が感情的、というわけではありません。実際にはムンクやゴッホのように感情的な絵画もあれば、バッハのように写実的ではないけれど理知的な音楽もあるのです。

だから、さっき小説は絵画、詩は音楽といったけれど、実際には音楽的な小説、絵画的な詩も、当然ありうるわけです。

さて、朔太郎はこのことに加え、もうひとつの分類をしています。それがロマン主義と自然主義です。ロマン主義の芸術家は現実を否定し、ここにはないものを強く求めます。一方、自然主義の芸術家はそうではなく、現実を見据えることをモットーとする。ロマン主義者はプラトンの哲学のようにイデアという理想を求め、自然主義者はアリストテレスの哲学のように現実を観察する。

で、朔太郎によると、詩とは本質的に音楽的なものであり、また詩的であるとは本質的にロマン主義的なものであるから、音楽的かつロマン主義的な詩こそが詩と呼ぶに相応しい、ということになる。

まあ、音楽的かつロマン主義的な詩こそが詩として優れているのかどうかはまた別問題として、この朔太郎の分類は使えるな、と思ったのです。

なので、詩歌ビオトープの分類ver.2.0は朔太郎バージョンにしようと思います。

具体的には、カテゴリーを四つに分けます。縦のx軸は、どれだけ生活感があるか、です。言うなれば、自然主義的かどうか。で、横のy軸は、どれだけ写実的か、です。いわば、絵画的かどうか。

つまり、カテゴリーとしては、緑色が「音楽的かつ自然主義的」、黄色が「音楽的かつロマン主義的」、青が「絵画的かつ自然主義的」、赤が「絵画的かつロマン主義的」になります。

で、収められているすべての歌にxとyそれぞれ0か1かを当てはめます。

「音楽的かつ自然主義的」だったら(1,0)、「音楽的かつロマン主義的」だったら(0, 0)、「絵画的かつ自然主義的」だったら(1, 1)、「絵画的かつロマン主義的」だったら(0,1)です。

たとえば、「音楽的かつ自然主義的」(1,0)なのは、日常生活における感情や信念を詠んだ歌。

おろかなる日々過ごせども世の常の迷路(ラビリントス)に吾は立たずも 斎藤茂吉

「音楽的かつロマン主義的」(0, 0)なのは、旅における感情や恋心を詠んだ歌。

山家集に一首すぐれし恋のうた君に見せむと栞を挿む 川田順

「絵画的かつ自然主義的」(1,1)なのは、日常風景を写実的に詠んだ歌。

ひとりゐる二階の部屋にさす日かげほとほと眩し春のしるけく 窪田空穂

「絵画的かつロマン主義的」(0,1)なのは、旅の風景や過去など、ここではない場所を写実的に詠んだ歌。

月夜よし遠き梢に下り畳む白木綿雲(しらゆふぐも)は雪のごと見ゆ 北原白秋

まあ、僕の主観による分類なので「そうかー?」と思う人もいるかもしれませんし、僕自身「これはどれだろう?」って分からなくなることの方が多いのですが。

そして、xとyはそれぞれ最高20点とします。そのため、たとえばある歌人の歌が100首が収められていれて、xとyそれぞれの合計点が(75,90)だったとします。その場合はxとyの合計にそれぞれ(20÷100)をかけます。すると(15,18)になる。そうすれば、その歌人のポジションは(15,18)とする、というわけです。

うーん、上手に説明できたかどうか分かりませんが。

さて、そのような方法で改めてここまでの歌をすべて分類しました。こんな感じ。

で、改めてここまでの歌人14人をポジショニングし直したのが下の画像です。

上に行くほど自然主義的、つまり生活感のあるものが多く、右に行くほど絵画的、風景を表現したものが多い、ということになります。


まあ、そうするとね、今度は黄色が過疎ってくるわけですが……。

でも、朔太郎的にはこの黄色のカテゴリーこそが詩の真骨頂なはずなんですよね。うーん。

さてさてどうなることやら。

あと、アララギ系がみんな僕の分類だと「音楽的かつ自然主義的」になりましたね。かれらの理想は青、「絵画的かつ自然主義的」だと思うのですが、僕は相対的にそうは思いませんでした。

まあ、参照している昭和文学全集35が、誰が、どの歌集から抜いているのか、ということもありますけれど。歌人の全業績や、あるいはそれぞれの歌集単位で見るとまた位置が変わる、ということもあるでしょうね。

ま、そういうことで、とりあえず、今度はしばらくこっちのフォーマットを使ってみます。

また明日。

おやすみなさい。

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