わたしを束ねないで

去年の冬に双子を産んだ幼馴染がいる。男の子一人、女の子一人。二年近い不妊治療、体外受精の末にやっと授かった子宝だ。

彼女はもともと、すごく胆が座っていてサバサバした人だから、着床しては流産を繰り返す日々の中で、一度しか弱音を吐かなかった。

すごくよく晴れた九月の日に、彼女に海に連れて行って欲しいと言われた。旦那には頼めないからと。あー、さすがにキツそうだなと僕は二つ返事で車を出してドライブへ出かけた。

海へ着いても何もせずに、僕ら二人はバスタオルを浜辺に敷いてダラダラとただ話をしていた。彼女が黙ったので、体を起こして見てみると、少しだけ彼女は泣いていた。そのあと二人で回転寿司を死ぬほど食べて、その日は家に帰った。

子どもができてからも、彼女がぶれることはなかった。夜泣きはひどい?寝れてる?という子育て初心者によく聞く質問も彼女は全部、子どもだから仕方ない。の一言で片付けていた。弱音なんて吐く気配すらなかった。

そんな彼女と家でお酒を飲んでいたときのことだ。子どもたちを寝かしつけてからすぐ飛んできたらしく、美味しそうにビールを飲み干していた。もともとかなり呑兵衛だったし、つわりがひどいときですらタバコ吸いたいとか言っていたから、元来の遊び人気質は抜けていない。

ピッチも早く、ワインのボトルを半分空けかかったころ、明日の夕飯何にしようかしら?くらいの声のトーンで、離婚しようと思ってると告白された。

「離婚といっても、もちろん今すぐじゃなくて子どもたちが自立したらの話ね。その頃私がまだときめきたいなと思っていたら、今の旦那と離婚する」

今、女の人の真髄を見ているなあ、と思わず飲んでた酒が止まった。てっきり今の生活に満足してるものだと思ってた。子育てに夢中になってるし、マイホームにマイカー。誰もがしがみつこうとする夢なのに。人間は欲張りだ。たかがときめき一つのために、それを全て投げ打ってもいいと思っているなんて。(もちろんやるべきことを全てやった上で)

「最後の恋をしてから私はずっとくすんでる。若さとか関係なく、あの頃の自分が一番綺麗だったと思うし、あの頃の自分が一番好き。」

彼女の人生における最大の恋物語は僕もよく知っていた。幼い頃から大人になるまでの節目ごとに同じ相手と付き合っては別れてを繰り返していた。その彼と付き合ってた頃は三人でよく遊んだ。

「まさか、よりを戻したいとかそういう話じゃないよね?」

「違うよ。最後にときめいたのは彼だったし、一生忘れないと思うけど、そういうんじゃないよ。」

『マディソン郡の橋』みたいな話だな。自分の母親もこんなことを考えていたのかなと少しトリップする。

夜も更けて、気づけば朝方近くになっていた。彼女もかなり酔っていて、帰りたくなさそうだったが、さすがに人妻をこんな時間まで拘束している後ろめたさもあり、早く帰るようにすすめた。彼女は深呼吸しながら、ポロポロ泣いた。

「あと四時間でお母さんやらなきゃ。がんばれ私。」

アイコスの煙を吐きながら彼女は泣いた。初めて幼馴染のお母さんの顔を見た。僕はどうしてあげたらいいのかわからずに、めちゃくちゃに彼女を抱きしめた。がんばれなんて、口が裂けても言えなかった。ひとしきり泣いたあと、じゃまた!とサッパリした顔で彼女は家に帰って行った。いつでも遊びに来ていいからね、と付け加えて。

親が思う僕たちの人生は、子育ての延長線上にあるもんだとばかり思ってた。もちろんそうなのだけど、そうじゃない瞬間だって当たり前にあったんだろうなと彼女を見て思った。残りの人生、母親という役を一生やる気はないよ?という彼女の姿勢。親になったからって最強になるわけじゃない。人はそんなに変わらない。こんなよく聞く話、目の前にしないと飲み込めないんだから情けない。

お母さん、死ぬ前にちゃんとお母さんやめてね。と眠たい頭で熱心に祈った。

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